2017/05/05

秘密の花園に花が

世界が枯れはじめて
荒涼とした風景が広がっています。
秘密の花園に花が咲いていないのは
ハートを閉じて
私たちが湧き上がる喜びを止めてしまったからです。

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子供は親や社会から植え付けられた条件付けを受け入れて人格を形成していきます。
安全を脅かされて育った子供は自我を強固に築いて
意識にのぼってくる感情の通路を封鎖して不安や恐れを感じないようにします。
固く防護された偽りの自己は、自分を巧みにごまかし、
あるがままの自分から離れて心から湧いてくる感情を素直に表現することはしません。
自分を規制して、世界はこうゆうものだと決めつけます。
自動人形の様に振る舞う偽りの人格にエネルギーを浪費して
体から溢れ出す喜びを止めているのです。
堰きとめるのをやめると生命エネルギーは流れはじめます。
バーネットが書いたように秘密の花園に美しい花が咲くと人は元気をとりもどします。


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先日、鎌倉で行われたワークショップの感想が届きましたので紹介します。
30代
本来の自分を生きる、というようなテーマにここ数年取り組んでいたので参加しました。自他が融合する、というか境界がなくなる、というような感覚を感じました。一瞬だったのですが、世界の見え方が変った、内側からあふれ出てくるあたたかいものがあって、それに包まれていく、それから世界がつくられていく、みたいな感じがあった。
チャクラごとに感情がちがっていて、「分かってくれない」悲しみ、怒り、自己防衛・・・みたいな、幼少期だったのでしょうか、そのあたりに由来する感情みたいなものが出てきました。マインド、は過去、妄想、というのは初めての見方で、今後も取り組みたい、です。

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30代
自分の内面とシンプルにむきあいたくて参加しました。自分の身体の背骨や首を一つ一つ意識しワークをすすめるうちにマインドがおしゃべりをやめて、何もかもが浮かんでは消える瞬間を体験する事ができました。自己セルフワークも今回教えて頂きすごく勉強になりました。また開催を楽しみにしています。

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50代
今まで清水先生の個人セッションを受けていたのでワークショップ形式のものを受けてみたかったから参加しました。体をゆるめる技法をたくさん教えてもらえたのがよかった。一人でもできるものもあって、家で使えるのがありがたいです。
ペアワークで、冷え症の私の足があったかく、ポカポカしてきたこと、手のひらで感じる「ドクドク」とした血液の流れが自分のものなのか 相手の方の足のものなのかわからなくて、溶けていきそうになってとても心地よかったです。ワーク中雑念が一杯でしたが、構わずにいると、意識の奥(?)にある「目」のような存在に何度も気づいて面白かったです。


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40代
あるがままにとはいえど、受け入れたくない、マインドがあり、それは潜在下にあり、気分の不快感としか感じない。その抑圧した情動を表層化して、思い出したかった。そして手放したいので参加しました。
やはり、抑圧した情動は、幼日の母への感情でした。感じたくない感情を感じました。これは普段は感じてないものだとわかりました。
「虚空の中をあらゆる思考、感情、感覚が過ぎさっていきます。」のナビの最中に、情動が浮上して経過していきました。それはおどろくべき事でしたが、それ以上概念化することをしないと、それは過ぎ去っていきました。


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50代
全ては思考!!と気づいてから無気力や絶望感が続き、それを越える為に参加しました。思考型のワークショップばかり参加していたので、このように肉体を使い体験から感じられるワークを定期的に参加したいと思いました。長い間、ずいぶんと自分の表現を押し殺していたと気づき、思考では今まで色々なレッスンを受け表現しているつもりでいたので、驚きました。自分を少し開放できたと思います。


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40代
より愛のエネルギーを深めて行きたいと思い参加しました。スッキリして、新しく生れ変った感じです。新たに希望、もっと何事に対しても意欲的に前向きにやって行きたい、という気持ちが一番大きな事に思うように光にかこまれた様に感じます。喜び、感謝と、人生、の宝物を受けとらせていただきました。

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40代
エネルギーの調整の仕方。チャージの仕方を教わり、日常使える様にしたかった為に参加しました。。体をリラックスさせて背筋がのびた感じがしました。体がやわらかくなった感じがします。マインドに気づきました。いつもいかに緊張していたか気がつきました。寝てやるワークがとても気持ち良くて、何かに包まれている様な感覚がありました。他の人の様子が変化していくのが楽しかったです。あるがままが良かったです。
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2017/05/05

思考はエネルギーであり波動であり

思考はエネルギーであり波動であり人間のまわりにエネルギーの場を形成しています。
相手が敵意や怒りを持っていると気分が悪くなるのは、相手が待っているエネルギーの場に同調してしまい自己の中心を保てなくなるからです。


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不安と恐怖に怯えている内なる子供を抱えたまま競争社会の中で強い者が生きのこり、弱い者は苦しんで死ぬという考えが究極の真理と思い込んでいます。
愛という言葉を聞いても恐怖と不安に同調しているので愛と自分を一致させることができません。愛の実感がわきません。自分の内側で感じとれないものは偽善的に思ってしまいます。
世界と私の分離という幻想が新たな不安と恐怖を生み出しています。自分そのものが幻想であり、自分だけの幸福を求めても、自分だけの幸福などありえず、求めれば求めるほど却って分離が強くなり、苦しむことになります。
この間違った思い込みの幻想は周りの人間や社会によって増幅され強化されています。
すべては縁にしたがって物事が起きています。どんな感情も必要があって起きています。
分離感が強くなることで、葛藤が起きて再び全体に戻ろうという衝動が起きます。

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人間はもともと目覚めた意識を持っているので、頭の中のおしゃべりを止め、いまここにくつろぐことが出来ます。
沈黙しているとハートとハラの間でうごめいている沢山の緊張を発見します。
その緊張を言語化しないで、あるがままにしておくと、思考の制限から解き放たれたエネルギーはハートへ流れて深い喜びのエネルギーへと変容します。

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春になると一斉に花が咲いて自然の美しさの中で驚異と歓喜の瞬間が訪れるように、
沈黙して自分自身の内なる力を解き放った時、内側で連鎖的な爆発が起きてエネルギーの交響が起きます。
一瞬のうちに洞察が訪れ、自他を分ける境界線は太陽の下の雪のように溶けてしまいます。
世界と私の分離は幻想でした。

思い込みの葛藤を抱えている最中に全体を俯瞰する気づきが起きると、
いままで心の表層を流れる波に呑み込まれていたことに気がつきます。

思考を通さずに世界をあるがままに見た時
分離した私はどこにもなく
見るものも見られるものもなく
あるがままの全体だけがそこにあります。

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2017/01/27

魂の暗夜

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探求の旅で急激な意識の変容が起きると16世紀のキリスト教神秘家十字架の聖ヨハネが語った「魂の暗夜」とよばれる魂の危機を経験します。

この危機の「機」は機会(チャンス)の機でもあります。この危機を通過することにより新しい意識の次元が現れます。

しかし、今までの人生で困難で受け入れがたい経験、恋愛の破綻、親しい人との死別などの人間関係の喪失、経済の破産、計画の失敗、挫折などを受け止めずに避けてきた人は欲圧されたエネルギーが蓄積されているので、「魂の暗夜」の最中に否定したエネルギーが再浮上してくるのです。

この探求の旅のプロセスは次のようになります。



1.セパレーション

今まで身につけていた偽りの自我がまわりの環境と合わなくなり葛藤が強くなって自我がゆらぎます。いままでに築き上げてきた物質的なもの、人生に価値があると思っていたもの、すべてが意味を失っていきます。

今までの古い自我を脱ぎ捨てることが起きます



2.イニシエーション

古い自我の境界を超える時にしまい込まれた過去の辛い記憶や否定的な情動と出会います。

シャーマンは地下世界へ旅たち、すさまじい拷問や試練を課す悪魔たちの攻撃を受ける経験をします。古事記のオオナムチは根の国へ行って苦しい困難な試練を受けます。

その葛藤をあるがままに受け入れることで未知の経験をします。自我の境界が溶けだし、通常の時間と空間の感覚を消失します。

超自然的なサトルの領域に入り、光と闇、善と悪、賞賛と嘲罵の相克の中で世界の創造と破壊のヴィジョンが現れます。



3.リターン

混乱の時期を過ぎると神と溶け合う経験をします。神と融合した「聖なる結婚」に至ります。

この経験は見る事も理解することも表現出来ないので6世紀の聖ディオニシウスは「神の暗闇」といいました。

十字架のヨハネは暗闇について魂はそれを識別することも命名することも出来ない。それを理解する事も説明する事、知らせる事も出来ない、語り得るような概念を形成することも出来ないと言っています。



マインドが停止したとき神と出会うのです。見る事も理解することも出来ない神との合一をどうやって理解するのかという問いに聖テレジアは「神のみが与えることが出来る心のうちに残された確信によって」と答えます。



偽りの自分から、ゆるぎない本当の自分に戻ります。
永遠の命と至福という宝物を手に入れるのです。

新しい自我を得て故郷(日常世界)に帰還します。古事記の英雄神話でオオナムチは試練を乗り越えスセリ姫と結婚をして人間界に戻り中つ国の王となります。

探求の旅は驚きと至福と美しさに満ちています。それと同時に困難と危険な旅でもあります。恐怖と悲しみと不安、深淵な虚無の暗黒が待ち受けています。探求の旅では目の前に繰り広げられる冒険に魅了される自我から影響されない自覚が要求されます。

日常の覚醒意識(グロス・粗大)浄化、夢を見ている状態(サトル・微細)照明、熟睡状態(コーザル・原因)合一、この3つの意識状態を通してどの段階にも影響されないのが観照者(プルシャ・アートマン)です。

夢を見ている(サトル・微細)段階では日常の覚醒意識はありません。眠っていて夢の中で起きる印象に巻き込まれたままです。観照者が目覚めていると眠っていても覚醒夢を見る事が出来ます。

熟睡状態では日常の覚醒意識は眠っているのでわかりません。熟睡状態(コーザル・原因)は無限の空間、空間を持たない空間、永遠の時間、時間がない時間、はてしない沈黙、今ここだけがあります。マインドは眠っているので精神的な喜びや至福を感じる事はありません。この沈黙をキリスト教神秘主義では暗闇と表現したのです。観照者が目覚めていなければコーザル(原因)の状態を知る事はできません。

観照者は3つの意識状態のどの段階にも存在しています。ですから瞑想の訓練をつんでいない人でも観照者を直感的に把握することは誰でもできるでしょう。自分が存在していることを知るのに時間は要らないのです。誰でも即座に知る事が出来るのです。本当は秘密などなく常にオープンにされていて隠されてはいないのです。
自分で目隠ししているだけなので自分で気がつけばそれはいまここにいつもあります。


偽りの自我が消えるとたちまち
光に照らされた朝もやのように
罪と悲しみは
百合たちの間にかすんでいくのです。

(百合はキリスト教で神への深い信頼、純粋さを象徴します)




The Dark Night of the Soul 魂の暗い夜

by Saint John of the Cross 十字架の聖ヨハネ
           
訳 清水友邦

song by Loreena McKennitt
from The Mast and Mirror

            

Upon a dark night
ある暗い夜
The flame of love was burning in my breast.
愛の炎が私の胸で燃えていた。
And by a lantern bright 
その燃える灯火をたよりに
I fled my house while all in quiet rest.
皆が寝静まっているあいだにわたしは家を出た

Shrouded by the night
夜の闇に包まれて
And by the secret star I quickly fled
隠された秘密の階段を使って素早く私は家を出た。
The veil concealed my eye
秘密のヴェールに眼が隠されて
While all within lay quiet as the dead.
死者のように静かに寝ているあいだに。

Oh night thou was my guide.
おお、汝は私の導き、
Oh night more loving than the rising sun.
おお、暁の太陽よりも麗しい夜よ、
Oh night that joined the lover
おお、私たちを結びし夜よ
To the beloved one
愛する者と愛される者を一つに
Transforming each of them into the other.
どちらも変えてしまった夜よ。

Upon that misty night
あの霧の夜、
In secrecy, beyond such mortal sight
秘密のうちに、誰にも気づかれることもなく
Without a guide or light
導きの光はただひとつ
Than that which burned so deeply in my heart.
わたしの心の奥深くに燃える炎のみ

That fire, ‘twas led me on
その炎がわたしを導く
And shone more bright than of the middy sun
真昼の太陽の輝きのように
To where he waited still
愛する人が待っている所へ
It was a place where no one else could come.
誰も来ることが出来ない秘密の隠れ家へ

Within my pounding heart
激しく高鳴るわたしのハートは
Which kept itself entirely for him
いとしい人のためだけのもの
He fell into his sleep
杉木立の下で眠るその人に
Beneath the cedars all my love I gave.
わたしは愛のすべてを捧げた

From o’er the fortress walls
砦の向こうから吹いてくる風が
The wind would brush his hair against his brow
愛する人の髪をとかし
And with its smoothest hand
滑らかなその手が
Caressed my every sense it would allow
すべてを抱きしめた

I lost myself to him
わたしはいなかった
And laid my face upon my lover’s breast
いとしい人の胸に顔を寄せると
And care and grief grew dim

罪と悲しみはかすんでいった
As in the morning’s mist became the light.
光に照らされた朝もやのように

There they dimmed amongst the lilies fair
百合たちの間にかすんでいった
There they dimmed amongst the lilies fair
百合たちの間にかすんでいった
There they dimmed amongst the lilies fair
百合たちの間にかすんでいった

下をクリックすると魂の暗い夜の歌が流れます。聴きながらどうぞ。

YouTube :Loreena McKennitt - The Dark Night Of The Soul
http://www.youtube.com/watch?v=MclLF473XtA


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清水友邦・ワークショップ in 花巻 

「あなたが死ぬまでは」
~古い自分の死と新しい自分の再生~
2017年 4月29日~5月1日 二泊三日 昼集合午後解散 

会場 岩手県花巻市健考館 酵素玄米と温泉の宿

早割あり

詳細はフェイスブックのイベントページで

https://www.facebook.com/events/671374403039883/

2017/01/09

沈黙の祈り

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「祈る心は、治る力」(日本教文社)の著者ラリー・ドッシー医学博士は治癒の秘訣を「何かをしようと働きかけないこと、自分の知恵で何かをするのではなく、世界の英知にすべてをゆだねることだ」と言っています。

カリフォルニア州の認識科学協会の副会長B・オーリーガンは、癌などの難病で助からないと思われていた患者が奇跡的な自然回復をしたケースを調べました。

すると奇跡的治癒が起きた患者はなにがなんでも絶対に病気を治すとは思っていなくて、ただ病気の存在をみとめ、すべてがあるべくしてあるという受容と感謝の心をもっていただけでした。
これは病気を諦めてもう、どうなってもいいという投げやりな姿勢ではありません。
オレゴン州セーラムのスピンドリフトという名の研究機関では、長期にわたって祈りの効果についての研究を行いました。

その研究によると細菌培養容器に糸状菌を入れ、そこにアルコールを入れて、死なない程度に損傷を与えた菌を二つの容器に分けて、一つはヒーラーが、「損傷が治って成長しますように」という「指示的」な祈りを行いました。

もう一つはただ愛と思いやりの意識だけを向けた「非指示的」な祈りを行いました。結果は「非指示的」な祈りのほうが、指示的な祈りの2倍も効果があったのです。

「指示的」な祈りとは結果を求めて、癌が治るようにとか、痛みが消えるようにと祈ることです。病気を治したいと強く思う「指示的」な祈りは自我作用を強めます。世界に境界を作るのが自我の働きです。

「前向きな考え」や「希望をもつ事」や「プラス思考」も思考なので自我を強める副作用があるのです。

一方「非指示的」な祈りは自我の欲求を押し付けようとはしません。いかなる結果も想像したり、「こうなったら」と期待したりせず、癌を拒まずに受け入れます。ただあるがままの自分を受け入れるのです。

病が治っても治らなくとも受容的な態度をとり感謝の気持ちを持つことは境界を取り払い万物との一体感をもつことでもあります。

策略を巡らすよりも「ただあるがままにいる」方が病を癒す力が湧き起こるのです。

テキサス州の一般人のがん死亡率が15~18パーセントなのに知恵遅れと精神疾患の人たちのガンの死亡率はたった4パーセントでした。精神病患者のがん死亡率は7パーセントなのに一般人のそれは13パーセントでした。

1925年から1978年まで精神病者には白血病の症例がひとつも記録されませんでした。

これは患者が死のイメージをもたず病に恐怖を感じたりしないほうがガンの死亡率が下がることを意味しているようです。

免疫と治癒の関係は患者が病に対して、どのようなイメージを持つかにかかっています。祈りのヒーリング効果が最も高くなるのは未来に対する希望や、特定の目標などが一掃されたときでした。

「非指示的」な祈りは生命の本質と共鳴しやすく、その振動が時空を超えて相手の心と同調して癒しが起こるのでしょう。心は物質的な領域を超えているのです。

キリスト教の伝統がある西洋では祈りが神に近づく方法でした。シトー修道会司祭のトーマス・キーティングが提唱する「センタリングの祈り」は内側にある沈黙に焦点を合わせるために聖なる言葉をとなえます。これはマントラを唱えるバクティヨガと同じ技法です。

思考が湧いて内側の静けさを失ってしまった時に静寂を思い出すために聖なる言葉を繰り返すのです。西洋の祈りも東洋の瞑想と同じことを指していました。

東方教会の修道士の基礎を築いた4世紀のエジプトのエヴァグリオス・ポンティコスは言葉も思いも浮かばない沈黙の純粋な祈りを述べています。

「祈りのとき、あなたの頭は何も語り得ず、何も聞こえないように努めなさい。そうすればあなたは本当に祈ることができるようになるだろう」



13世紀のドイツの神秘家マイスターエックハルトは神に何かを与えてほしいと望んだり、何かを取り去ってほしいと願うことが祈りではないと言っています。何も望むこともなく、何かになりたいと思うようなものが何ひとつない沈黙の中で、祈りが向けられる対象と、祈る者とがひとつとなること、つまり、神と一であること、神と同じ姿でいることと言っています。


キリスト教神秘主義では言葉で表すことができない深い沈黙を神的暗闇と呼びました。神は思考の領域を超えているのでマインドが沈黙した時に神が現れました。隠された沈黙の闇のうちにあるとき自我の境界を超えて聖なる全体と一つになるのです。

ラリー・ドッシー博士は「かつて、われわれはこの文化において、次の二つのうちどちらか一つを選んで生きなければならないと教えられてきた。つまり合理的で分析的に生きるか、霊的で宗教的に生きるかの二つである。いま人びとは、こうした分裂状態で生きなくてもよいと気づきだしている」といっています。未来の治療は処方箋に祈りと瞑想が入ることになるでしょう。
2017/01/06

瀬織津姫の名が残された氷上神社

初詣は瀬織津姫を祭神とする氷上神社を参拝してきました。
岩手県は瀬織津姫を祭神とする神社が日本で一番多く36社あります。

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参拝した奥州市の氷上神社は陸前高田市の氷上神社から分霊された神社です。ところが本社の祭神は天照大神で分社の瀬織津姫の名はどこにもみあたりません。瀬織津姫の名前は消されてしまったのです。氷上神社の本社は祭神を変えましたが分社はそのままだったのでこの神社に瀬織津姫の名が残っていたのです。

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瀬織津姫は人間の罪と穢れの一切を祓い潔める祓戸の神として大祓の祝詞に登場する女神です。
神道の儀式は祓い清めにあるので瀬織津姫は大変重要な女神です。ところが古事記・日本書紀には全く名前が記されていないのです。瀬織津姫はときの権力者によって意図的に隠された女神なのです。
氷上神社は初めての参拝です。昔は「日の神」と言っていたようです。無資格の神社なので地図に出てきません。住所近くのお年寄りは知りません。お巡りさんも知りませんでした。

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村社の宮司さんに聞いてようやくわかりました。氷上神社の鳥居が朽ちて参道は荒れていました。山道を20分以上歩いた山の頂上付近に氷上神社は鎮座していました。正月は初詣で賑わう神社ですがここは野鳥が鳴いているだけで訪れる人が誰もいません。瀬織津舞を奉納しました。

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明治の頃、地域の人々の信仰対象だった神社は中央集権的に村社・無資格の序列がつけられて強制的に神社が統廃合されました。このときに国津神から天津神に神名を変えた神社も沢山ありました。鎮守の森は欲望の対象となり木は売り払われ何万という無資格の神社が消滅しました。それでも産土神として村人に親近感をもって信仰されていた無格社の神社は存続していました。

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高度成長の60年代、TVが普及するようになって若者は物質的豊かさを求めるようになり農業をやめてお金を求めて都会へ働きに出るようになりました。村では人間関係が希薄になって祭りが行われなくなり田畑は荒廃していきました。熊との接近遭遇が増えたのも熊と都市との境界線だった里山の荒廃と関係しています。

里山の5割以上が無居住地化しつつあります。延々と縄文時代から継続してきた神々と自然と村人をやさしく包んでいた里山の共同体は消えていったのです。

本来神社は魂が再生されて生きていることの感謝と喜びが湧いて元気になる場所なのです。

ところが神社の注連縄(しめなわ)がビニールになったり、鎮守の森が消滅してコンクリートで覆われたりで、気の場が乱れて、聖地の機能が消滅している神社が多くなっています。

そして氏子が少なくなった神社は荒廃の一途をたどっています。すでに消滅した神社も多く、かろうじて残っている神社も訪れる人がいない神社は消滅の危機に瀕しています。神社が活力を失ってしまえば日本も衰退してしまうでしょう。