2018/06/20

地球意識の目覚め



1967年10月21日アメリカ国防総省前の反戦デモで州兵が突きつけたM14ライフルの銃口に1本ずつ一人の青年が花をさしました。
この写真が「フラワー・チルドレン」の語源になりました。

フラワー・チルドレンは「武器を花に」を合言葉に愛と平和の象徴として花模様の服をきて伝統・制度などの既成の価値観から自由になることを求めて、非暴力の反戦運動を行いました。

アップルを創業したスティーブ・ジョブズもフラワー・チルドレンでした。

ヨガナンダの本と『ビー・ヒア・ナウ』を何度も読み、サイケデリック・ドラッグを試しインドを旅しました。
Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグは不安定だったころ、ジョブズに相談して「ナイニタールのババのアシュラムに行け」と言われています。

ジョブズは寿司と蕎麦が好きで禅に傾倒し、京都に何度も足を運び、ジョブズの結婚式は禅の老師が執り行いました。
アップルはジョブズが去った後一時死にかけましたが復帰すると彼は年俸1ドルで働きアップルの企業価値を世界一にしました。

「君たちの時間は限られている。 その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない」スティーブ・ジョブズ
「今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?」スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズが残したパソコンによる情報ネットワークが網の目の様に繋がりはじめています。

ネットワークがあらゆる人々を結んで全地球規模で有機的に自由に情報を交換し始めると脳の神経細胞に似てきます。
左脳の働きの西洋と右脳の働きの東洋が有機的に統合されると超高性能の地球生命コンピュータ「グローバル・ブレイン」地球意識が目覚めます。
「あらゆる時代のあらゆる人間たちが、なにか目に見えない網の目によって結びついているという、一種の結合感を感じた。人々の意思や思考を、そして、生命の有無にかかわらず、あらゆる時代のすべての物質を結びつける、巨大な場が存在している」エドガー・ミッチェル宇宙飛行士

「人間の体の中には何十兆という細胞があって、その細胞核が地球が始まってから今までの事をみんな覚えていて、その歴史を記憶している。それが生命力なんだ。」宮沢賢治

惑星意識が目覚めるには私たちが他人の意見に従う単なるプログラミングではなく自由にプログラムを作り変更できるプログラマーであることを思い出す必要があります。

世界との一体感を実感すると、自然に敬意を持つようになり。人と動物、植物は同じ母なる大地に属する兄弟姉妹となります。他者に対する攻撃性が低下し、性別、人種、考えの違いを敵としてではなく、同じ地球市民として理解し合うようになります。
全ては神聖で繋がっているという新しい惑星意識を持った人々が増えています。これから成熟した社会がこの地球に誕生するでしょう。

スティーブ・ジョブズはジョン・レノンのファンでした。

『僕のことを夢想家だと言うかもしれない
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ』イマジン
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これからの予定
■東京 寺山心一翁オフィス主催イベント
清水友邦トークショー 中野サンプラザ
「偽りの世界を見破る 内なる女神の智慧」
2018年7月15日(日) 18:30~20:15
詳しくは寺山心一翁オフィスへ
http://www.shin-terayama.jp/lecture_180715-top.php
■清水友邦特別講師
寺山心一翁のスマイル・ワークショップ
7月16日(月・祝)~7月18日(水)
*身体の声を聞いて身体感覚を取り戻すワーク
*背骨をゆるめるワーク
*体の緊張を解放するワーク
*心の扉を開く呼吸法
*今ここにいる瞑想
詳しくは寺山心一翁オフィスへ
http://www.shin-terayama.jp/ws1807.php
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2018/06/16

魂の故郷 ウィリクタ

メキシコの高原に住むウイチョル族(Huichol)は幻覚性植物のペヨーテを服用して神話世界と自由に交流する儀式を行なう事で知られています。
イニシエーションにはじめて参加するウイチョル族の若者は身を清め、断食をして村から約550km離れたペヨーテが自生するウイリクタ(wirikuta)まで苛酷で辛い巡礼の旅に出ます。
長く苦しい旅の末、ようやく目的地の山中にたどり着きます。そこでマラカメと呼ばれる呪術師によって強い苦みがあるペヨーテを食べる神聖な儀式がおこなわれます。
満天の星空の下、ペヨーテを食べて聖なる焚き火タテワリを見つめていると生命の根源の力が大地から満ちあふれて、無数の光と色彩がリズミカルなダンスを繰り広げます。荘厳なヴィジョンの中で参入者は世界の秘密を知るのです。
ウイリクタはペヨーテ狩りをする土地の名だけでなく先祖の住む世界も意味します。それは大地に織り込まれている全ての命や物質を創造するエネルギーの場でもあります。アボリジニはそれをドリームタイムと呼びました。
『いつの日かすべての人が、ペヨーテを摂ったときにお前が見たような「ウィリクタ」にたどり着くことになるだろう。そのときには「最初の人」たちが戻ってくる。大地は浄められ、水晶のように輝くだろう。私にはまだそれがはっきりと完全に見えていない。でもあと五年もすれば、もっと高い世界が開かれて、私もそれをくまなく見ることになるだろう。世界は終わりを迎え、地上に統一がもたらされるだろう。しかし、それは浄いウィチョルだけしか体験することはできない。
世界が終わるとき、ちょうどペヨーテ狩りのあいだ、いろいろなものの名前が変わってしまったような状態になる。あらゆるものが変化をおこし、すべてのものが今ある状態とは反対のものに変わる。
いまは天には太陽の神と月の神という「二つの目」がある。しかし世界の終わりのとき、月の神の目が大きく見開かれ、今よりも強く輝くようになる。太陽の神の力は弱くなる。そのときには、ものの区別は消えていく。男と女の違いもない。子供と大人の区別もない。すべてが今ある場所から抜け出していく。呪術師ですら、特別じゃなくなる。われわれがウィリクタに行くときには、かならず役割の転換をしなけりゃならないのは、そのためだ。なぜなら、老人も赤ちゃんも、同じ存在だからだ。』(ウイチョル族の呪術師ラモーン)
ウイチョル族のニエリカ(神の顔)と呼ばれる毛糸絵には二つの道が描かれていました。左の道では大きな棘に刺し貫かれる試練を受けます。欲望のままに生きた者はむち打たれ、火に焼かれ、岩に打ち砕かれ、虫がわく汚水を飲まされます。魂は苦痛をともなう長い試練をくぐりぬけて、ようやく浄らかな右の道に戻る事ができました。
右の道では動物や鳥に許しを乞わなくてはならず、聖なる動物の肉を食べた事がない事を証明したのち命の根源を象徴する毛虫に出会って旅を終えます。ようやく先祖の住むウィリクタに融合できたのです。
私たちは母親から分離したとたん世界から切り離され、孤独と不安の中に突き落とされます。私たちはこの世で苦しみから逃れようと、あらゆる行為を無我夢中で繰り返しています。全体に戻ろうと葛藤しているのです。
70年代、物質的な世界の物の見方しかしない自分たちの文化に疑問を抱いていた若者にとってカスタネダの「呪術師と私・ドンファンの教え」はバイブルとなりました。たちまちカスタネダの師ドン・ファンは精神世界のグルとなりました。
私たちが見る事を妨げているのは言葉による思考の分析作用です。カスタネダはおしゃべりで内的経験を損なっていました。あるがままの自分を感じるのではなく、しゃべりまくることでそこから逃げてしまっていました。物事を全体性の中であるがままに理解することをドンファンは『世界を止めて見る』と言いました。
文化人類学者の卵だったカスタネダはいつもペンを持ってノートを取るので、「ノートブックは、いわばおまえのひとつの呪術だ。」と呪術師にからかわれました。
合理的な解釈でしか世界を見ない頑固なカスタネダに呪術師のドンファンは神話世界を体験させるためカスタネダにペヨーテを食べさせました。世界をあるがままに見ようとしないカスタネダは最初に「見る」ことを学ばなければならなかったのです。
先住民の文化には分離したリアリティを再び統合させる儀式が見られます。
ウイチョル族のペヨーテ狩りに出かけるのは主に男性で女性達は村で男達の無事を祈って帰りを待ちます。ある学者が「女性は秘密の智慧を得ることを許されず、いつも村で留守番は不公平ではないか?」と出迎えの女性に尋ねました。
「男達はかわいそうにあんなにまでしなければ、智慧に近づくことはできないんだよ。ところが女は自然のままにそれをしっているのさ。」とその女性は笑いながら答えました。 理屈や論理、分析は男性的で左脳の特徴でもあります。
ウイチョル族には夫が妻の出産を疑似体験する出産儀礼が報告されています。
「ウイチョルの伝統では、女性が初めて子供を出産するときには、夫は妻の真上で、家の天井付近にまたがり、自分の陰嚢に紐をくくりつけて待機することになっている。妻は陣痛に襲われるたびにその紐を強く引っ張り、それによって夫は彼女の苦しみを共有しながら、子供を得る喜びを経験することが出来るのである」
ウイチョル族のペヨーテ儀式はアステカを滅ぼしたスペイン人のキリスト教宣教師たちの度重なる禁止令にも関わらず今日まで生き延びました。
アメリカではNative American church (NAC)を設立した北米のアメリカインディアンの信者に限って宗教儀式におけるペヨーテの使用が認められています。
2018/06/16

シャンバラの勇者




生命は環境に適応しながら自己増殖をします。増殖の限界が起きる臨界値つまり破局に直面すると生命はゆらぎを創り出し、自己を超越して、より新しい秩序に向って進化させてゆきます。
カーラチャクラ・タントラによると「人々の心が荒廃した時にシャンバラの戦士(勇者)が現れてシャンバラの王国を築く」とあります。
シャンバラとはチベット人が信じる雪山に囲まれた理想の仏教国ですが、シャンバラの王国とは目覚めた人々が住む世界のことでもあります。
「シャンバラは幻想や象徴ではなく、この世に実在する世界なのです。ただし、たとえあなたが地図を広げてシャンバラを捜そうとしても、見つけることはできないでしょう。シャンバラは、徳を高めた者以外には、発見することも訪れることもできない清浄な土地にあるからです」ダライ・ラマ14世
目覚めた世界はすでに私たちの心の中に存在しています。誰もがそのヴィジョンを潜在的に持っています。すべての人々はシャンバラの勇者になる可能性を秘めています。ただ自分が誰なのか忘れているだけなのです。
シャンバラの勇者の武器はドルジェ(金剛杵)とティルブ(金剛鈴)です。J・メイシーによると、その武器の意味する所は慈悲と智慧です。
慈悲の心が無かったら痛みを共有して行動する力が湧いてきません。しかし慈悲だけでは消耗してしまいます。 問題が起きている事の根源を見抜く洞察力である智慧、しかし智慧だけでは冷たすぎます。この二つがそろった時にはじめて無敵のシャンバラの勇者となります。

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この世界で起きている問題が善悪の戦いではなく、人間の心が創ったマーヤ(幻)である事をシャンバラの勇者はしっています。恐ろしい魔神に出会ってもシャンバラの勇者は実体がない事を見抜いてそれを解体する勇気を持つ事ができます。
矛盾やおかしな点があった時、その根源を明らかにする洞察力(上丹田)他の生き物の痛みを共感するハート(中丹田)ミッションを最後までやりとげる勇気と行動力(下丹田)この三つの丹田が開くとシャンバラの勇者となります。その人数がある臨界値を超えた時、文明の根本的な変容が起きます。地球は相互に助け合う愛の惑星になるのです。
シャンバラの戦士は戦わないので訳語を勇者に変えました。
2018/06/12

呪術師カスタネダ



10年間段ボール箱に入ったままだったカルロス・カスタネダの本を処分しました。
70年代はこのカスタネダの話題で持ちきりでした。

当時20代だった私は71年にバスの中でソノラ砂漠を横切りながらカスタネダを読んだ吉福さんから話を聞いたり、「気流の鳴る音」を出版した見田さん(真木悠介)のゼミに行ったこともありました。

「チベット死者の書」「Be Here Now」「カスタネダの呪術師シリーズ」は当時の若者にとってバイブルのようなものでした。
カスタネダはアメリカの若者に大きな影響を与えたのです。ドンファンから教わった夢の中で意識を覚醒させて自分の手を見る訓練をしたのもこのころです。
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カスタネダの最初の本「呪術師と私」が出版された1968年は歴史のターニングポイントの年でした。
社会主義政権下のポーランドのワルシャワ大学では民主化を要求した「3月事件」、
チェコでは民主化を要求してソ連が軍事加入した「プラハの春」、パリでは学生によるゼネスト、メキシコでは民主化要求デモに警官隊が発砲し学生が200〜300人が死亡しています。
全世界で学生が民主化を求めて大規模なデモが発生して世界が震撼した年でした。

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ナイジェリアではビアフラ(Biafra)戦争により数百万人が餓死しています。
アメリカではマーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・F・ケネディ上院議員が暗殺され、北ベトナムで「テト攻勢」が起きてかつてないほどのベトナム反戦運動の高まりが起きていました。
ヘイトアシュベリー地区ではティモシー・リアリー 、グレイトフル・デッド、ヘルズ・エンジェルズなど反体制の大集会「Be-In(ヒューマン・ビーイン)」がおこなわれていました。
サイケデリック革命が起き、ヒッピーが社会現象となってドロップアウトをする若者は激増し、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーを目指したのがこの頃です。
ヘイト・アシュベリー地区で資本主義社会から解放されるために原始共産社会のコミューンを作ることを目指して、無料の食料配給が行われていました。ゴールデンゲートパークには舞台が作られ、グレイトフル・デッドやジャニス・ジョプリン、ジョージ・ハリスン等のロック・バンドやジャズ・バンド等による演奏や詩の朗読、サイケデリック革命の進行やベトナム戦争への反対を主張する演説等、様々なパフォーマンスが行われていました。
そして1968年はビートルズが高次の意識を求めてインドの旅に出た年です。
「人生にとって大事なことは自分が何者で、どこに行こうとしていて、どこから来たのか?それを自分に問いただすことだと思った。」ジョージ・ハリスン
探求者たちはありとあらゆるサイケデリックを試し、インドやネパール、日本に行き、ヨガ、瞑想、禅の修行に励み、エサレンやエストなどのサイコセラピーやワークショップに突き進んだのです。
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文化人類学の学生だったカルロス・カスタネダは1961年から1971年までのおよそ10年間インディオ、ヤキ族のシャーマン「ファン・マトゥス」に弟子入りして、知者の訓練の様子をフィールドノートして10冊以上の書物に残しています。
この本は事実かフィクションか随分話題になりました。本に出てくるカルロスはじれったいほど物分かりの悪い紋切型のステレオタイプとして登場するのでフィクションであることは歴然としています。
本に登場する主人公のカルロスとは作者のカスタネダに内在していた、偏狭的な近代合理主義のマインドを類型化したものだと言えます。

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カスタネダがナワールを自覚することで自分の無意識の領域、夢、恐怖、病的な神経症の状態を客観視できるようになったことは事実でしょう。
そのようなことでは事実かフィクションかは抹消的なことで問題にならなくなります。
ドン・ファンは「心ある道」を歩むようにカスタネダに教えます「ドン」は名前につけるスペイン語の敬称です。
ノートと筆記用具を手に持っていたカスタネダにドン・ファンは「歩くときには、手にはなにももつなと言っただろう。ナップサックを買え」と言います。カスタネダは体の不調を訴えていました。本当はどうしたいのか体に聞いてみなくてはいけません。カスタネダは頭で生きていたので盟友の声を聞くことができなかったのです。
戦士の戦いとは自分のなかのおしゃべりを止めて心のある道をあゆむことでした。
どんな道を進むにせよ、大切なのは【心ある道】を進むことだ。
心ある道は安らぎがあり、戦士は喜び、笑いながらその道と一つになることができる。
そしてたどり着いた先で、その結果や意味について何の関心も抱かない。
ドン・ファン「デビルズ・ウィードは知者の秘密へのひとつの道でしかないんだからな。他にも道はあるんだ。だが彼女の罠っていうのは、お前に道はそれだけなんだと信じこませちまうことなのさ。わしは、たったひとつの道、それに心がなかったら特に、その道のために一生をむだに生きるのはくだらんと言ってるんだ」
カスタネダ「だけど道に心がないってことをどうやって知るんだい?」
ドン・ファン「それを歩きはじめる前に聞いてみるんだ、この道には心があるか?とな。答えがノーならお前にはそれがわかる。そしたら別の道を選ばにゃならん」
カスタネダ「でも、どうすればその道に心があるかどうかはっきりわかるんだい?」
ドン・ファン「誰にだってわかるさ。ただ問題は誰も聞いてみないことだ」
ドン・ファン「わしにとっては心のある道を旅することだけしかない。
どんな道にせよ心のある道をだ。
そこをわしは旅する。
そしてその端までたどりつくのが唯一価値あることなのだ。
その道を目をみはって、息もせず旅して行くのだ」
カスタネダは戦士となり世界を自分の狩場に変えました。そして自分の経歴を消し去り、決まりきった習慣をやめ、人生の課題に対し責任を取るようになったのです。
カスタネダの死によっ著作は終了しました。最後の著作「無限の本質」でドン・ヘナロは広大な大地を抱き締める仕草をしました。戦士が旅で拠り所する存在は母なる大地しかないことを教えたのです。最後の教えは「大地を愛すること」でした。そしてこのシリーズは終わったのです。
さようならした本たちです。
ありがとうございました。
呪術師と私-ドン・ファンの教え
呪術の体験-分離したリアリティ
呪師に成る-イクストランへの旅
未知の次元-呪術師ドン・ファンとの対話
呪術の彼方へ-力の第二の環
呪術と夢見-イーグルの贈り物
意識への回帰-内からの炎
沈黙の力-意識の処女地
夢見の技法-超意識への飛翔
呪術の実践-古代メキシコ・シャーマンの知恵
無限の本質-呪術師との訣別
時の輪/カルロス・カスタネダ
境界を越えてーシャーマニズムの心理学
カルロス・カスタネダ/島田裕巳
呪術師カスタネダ/リチャード・デ・ミル+マーティン・マクマホーン
魔女の夢/フロリンダ・ドナー
気流の鳴る音/真木悠介
2018/06/11

タントラの最終段階



チベット仏教では日常の思考する心を「セム」といい、それとは別な純粋意識を「リクパ」と言って区別しています。幸福と不幸、清浄と不浄、善と悪、愉快と不愉快という二元性に分離した思考は「セム」なのです。そして「リクパ」は永遠に空であって、常に清浄です。
鏡はすべてのものを映し出しますが、どんな像が鏡に映し出されても鏡自体が汚れることはありません。この汚れることがない心の本性が「リクパ」です。
リクパは秘密集会タントラに「土台として本来そなわっている光明としての心」として出て来ます。覚醒している光明の心が本当の自分なのです。その状態がダルマカーヤ(法身)です。
自分自身を観察して自己の真の本質がリクパであることを悟ることがチベット仏教の最終目的となっています。
チベット仏教は段階を追って進む道でもあります。戒律を守って静かな心の境地に入る最初の道、次に空性を理解するタントラの道があります。

f6634807.jpgチベット仏教サキャ派の総本山


9 世紀以降に発展した後期密教はタントラ仏教(Tantric Buddhism )と呼ばれています。タントラは次の四つの種類があります。
①所作タントラ②行タントラ③瑜伽タントラ④無上瑜伽タントラです。①~③は空海が日本に持ち帰った密教です。
④の無上瑜伽タントラはインドで最後に発展したので、チベットには伝わりましたが日本には伝わりませんでした。
無上瑜伽タントラには「ヘーヴアジラタントラ」を教典とする母タントラと『秘密集会タントラ」を教典とする父タントラがあってその二つを統合したタントラを不二タントラといいます。不二タントラは「時輪タントラ」を教典としています。
タントラではエネルギーを扱います。
エネルギーを知らなければ私たちは心に怒りが湧いてきたときに怒りを止めたり避けようとします。しかしタントラはそのエネルギーをよく知っているのでそれを止めたり抑圧したりせずに活用するのです。 それを可能にするのがタントラの修行です。
このタントラ修行の最後の段階「あるがままで完全な境地」をカギュ派はマハムドラー、ゲルク派はゾクリム、ニンマ派はゾクチェンと呼んでいます。

PICT0052.jpg


「マハムドラーは何ものにも依らず
また労せず
ただゆったりと自然であることによりて」
「ゆったりと自然なる境地にとどまるならば
間もなく汝はマハムドラーにたどり着き
無達成なるものを達成せん」
「与えず、また取らず
人はただ自然のままにあるべし」
(「マハムドラーの詩」より抜粋)

f3421487.jpgニンマ派の総本山 ミンドルリン寺


チベットでは教えを伝授する教師(ラマ)が大切にされています。
しかし、あるがままで完全なリクパの境地を説明し、それを理解させようとする教師はいますがそれを弟子に直接与えることができる教師はどこにもいません。今までもいませんでしたが、これからも出てくることはないでしょう。
教師は自己の本性を理解するための方法しか与えることができないのです。地図を与えることはできますが直接歩くのは弟子です。
光明を授かるには教師ではなく教えを授かる弟子の方に関わっています。
光明はもともと人の本質に備わっているので、あらゆるものは、あるがままで最初から完璧なので変えたり取り除いたりするものは何一つないことをチベットで「クンツゥ・サン」と呼んでいます。
寂静な心の境地の中にとどまる瞑想をシネーといいます。しかし思考のない三昧の状態は眠っている状態と同じです。瞑想をやめると静寂は失われます。
そこで思考や感情などのエネルギーが動いている状態とリクパの境地が一体となることをゾクチェンは求めます。
覚醒していても覚醒していなくともリクパは誰の心にも最初からあります。
しかし、わかっていない人には、自己の本性であるリクパと自覚されずに思考で理解したリクパの二つになっています。どちらのリクパも一つですが、最終的にリクパは心の中で再統合されなければなりません。それをマハムドラーでは「母と子の光明の再統合」の言葉で表現しています。
「はじめヨーギは
おのが心の滝のごとく転落するを感じ
中ほどにてはガンガーのごと
そはゆるやかにやさしく流れ
ついに、そは大いなる海となり
息子と母の光がひとつに溶け合うところ」
(マハムドラーの詩)

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タントラの最終段階ではさまざなエネルギーが湧き上がる中にとどまりながらリラックスして、あるがままの境地を保ち続けるのです。
ゾクチェンでは 一切はすでに成就しているので努力の病を捨て去り、そのままで完全な境の中にとどまりなさいと教えます。
ゾクチェンの無努力の教えを言葉だけで理解すると「すでに自分は悟ってしまったので、心の浄化や瞑想は必要がない」と思い込んでしまう人が出てきます。
人に迷惑をかけて犯罪行為に手を染めても、わたしは完全だ。何も問題はないと自分を欺いてしまうのです。
ここでは詳しく述べませんが、その危険性は昔から指摘されていました。
しかし、同時に自己の本性を知ってしまえば瞑想の方法を借りる必要がないことも確かなのです。
タントラの最終段階に入る前に無意識の浄化と思考を観察する瞑想が必要だと私は思います。
「私はあるがままで完璧だ」
「私は完全な存在なので瞑想もワークも必要がなく、何一つ変える必要はない。」
とそう自分に言い聞かせて、思い込むことはできます。
マインドは本を読んだり話を聞いただけでわかったつもりになります。わたしのマインドも誰のマインドにも同じことが起きます。今ここにいられないマインドは本性を捉えることはできません。
分離した自我をかかえたままの状態の人々がほとんどなので、(光明を得た完璧な人間像は頭で理想化して作り上げられた概念です。)無意識の底に潜むトラウマが浮上して必ず悩まされます。
自分は完全だと強く思いこむ人ほど抑圧は強まるので、ごまかしても、痛み止めが切れると再び痛くなるように、あとで、ひどく落ち込むことになります。
自分の無意識を浄化しないで教師になって教祖になる例は多く、教祖になってしまうと誰かの生徒になって自分を浄化する機会を失ってしまうようです。スピリチュアルな教師にシャドウーが濃い人がいるのも事実です。
いくら「宇宙は愛と光で満ちている」「私は完璧だ」と自分を正当化しても抑圧したエネルギーは無意識にそのまま残されます。
自分自身の問題との直面をさけ現実と向き合うことの逃避に使われてしまうと、あるがままの自分を見ないで自我を強化し防衛してしまうのです。