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2018/05/20

宮沢賢治と仏教5

「すべてのものに生命が宿る」という考え方をアニミズムといいます。縄文はこのアニミズム、精霊信仰をもっていました。
貝塚は縄文人のゴミ捨て場と思われていました。貝塚からは貝殻や獣や魚の骨などの食料のほか、破損した土器や石器、骨角器などの道具類などが大量に出土しています。
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縄文人はあらゆるものに霊が宿ると考えていました。宇宙は円環になっていて、その輪の中で生死は循環しています。
モノノケとはモノとケが合体した言葉です。 古代の人々はモノを単なる物質的存在ではなく、霊的な存在として捉えていました。 ケとキは異語同義語で、中国でキ(気)は潜象エネルギーを表しています。
人間も動物だけでなく道具も全て死ぬと霊となってあの世に帰って行きます。そして魂を無事にあの世に送るために祈りの儀式をしました。そうして、再生してこの世に戻ってくるのです。
貝塚は神聖な祈りの場だったのです。
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昔の日本人は木の根元にお神酒を注いで山の神の許しを得てから、木を切っていました。日本人の心には縄文の「すべてのものに生命が宿る」という考えが受け継がれていました。
仏教が入ってくると平安時代に人間や動物はだけでなく山や川や草や木も石も、すべて成仏できるという天台本覚思想が現れました。
仏教は日本に入ると縄文のアニミズムと同じ考え方になりました。
賢治の中では全ての生きとし生けるものに仏性がある仏典の言葉「悉有仏性(しつうぶっしょう)」と縄文のアニミズムが一つになっていました。

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「どんなこどもでも、また、はたけではたらいてゐるひとでも、汽車の中で苹果をたべてゐるひとでも、また歌ふ鳥や歌はない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがひのきやうだいなのだから」〔手紙 四〕

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大正9年、賢治は国柱会の会員になり熱心に法華経の普及に努めました。
国柱会を興した田中智學が日本書紀の神武天皇から取り出した言葉に「八紘一宇(はっこういちう)」があります。
「一宇(いちう)」は「同じ一つの屋根」という意味で田中智學の「八紘一宇」は天皇も国民も法華一乗による世界の統一を意味していました。
それが二・二六事件の青年将校の決起文で「八紘一宇」が使われてから流行語になり、天皇を中心とするアジアの統治に使われた軍国主義の言葉ということで、戦後GHQによって八紘一宇の語の使用が禁止されしまった経過がありました。
満州事変に関わった関東軍参謀の石原莞爾は国柱会の熱心な信者でした。
国柱会=軍国主義に加担した右翼というイメージがあり、国柱会の熱心な信者となった賢治をどのように評価したらよいのか困惑する人もいると思います。
賢治が国粋主義者を尊敬していては困るわけです。賢治と国柱会が関係ないことにしたいところですが、生涯に渡って賢治は会員でした。

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賢治は父親に日蓮宗への改宗を迫り失敗、口では南無阿弥陀仏と唱えながら質屋と古着屋を続けて貧しい人から搾取する父親に反発して家出した時期に賢治は国柱会に入信しているので、大正9年の頃の賢治は相当な興奮状態にありました。
「今や日蓮聖人に従ひ奉る様に田中先生に絶対に服従致します。御命令さへあれば私はシベリアの凍原にも支那の内地にも参ります。乃至東京で国柱会館の下足番をも致します。それで一生をも終ります。」(保阪嘉内あて書簡)
「間違えた教えによる人はぐんぐん獣類にもなり魔の眷属にもなり地獄にも落ちます」(宮本友一あて書簡)
この辺りの賢治のマインドは折伏(しゃくぶく)を信仰の実践とする国柱会の影響を強く受けていました。
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そして親友の保阪にも国柱会に熱心に何回も勧誘を迫りました。「早く形だけでも日蓮上人の門下になって、憐れな衆生を救おうではありませんか。そうしないと地獄の火に焼かれますよ」と書いていますから、保阪にとって迷惑な話だったと思います。
保阪は入信を断り二人の中はついに決裂しました。
親友に去られて相当なショックを賢治は受けたと思います。
そして、生活費を切り詰めた賢治の東京の生活はジャガイモと水だけという極端な粗食のため栄養失調による体調不良にも陥っていました。
賢治は精神的にも経済的にも肉体的にも追い込まれていたと思います。
リルケは失恋の痛手を詩に変えました。
賢治もまた親友を失った欠落感、父親との葛藤、妹トシの死、これらの悲しみ、苦しみを童話や詩に昇華しました。
大正十年から十二年にかけて賢治は爆発するように生涯の作品の6割をこの三年間で書いています。
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無意識から湧き上がる衝動に気がついたのなら、他人に暴力的になったり自分を傷付けるのではなく歌や踊り、絵画や詩などの芸術を通して、否定的だったエネルギーを変容させて創造的に昇華することができます。
最悪と思える事態でも振り子の針が反対に振れると最良の効果をもたらします。
「かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし」賢治(書簡165)
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2018/05/20

宮沢賢治と仏教4

草木までが仏になるという山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく しっかいじょうぶつ)という仏教の言葉があります。
しかし、山川草木悉皆成仏という言葉はどの仏典にも日本の古典にも全く載っていないのです。
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大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)にすべての生き物は仏性をもっているという意味の一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)という言葉が出てきます。
ところがインドの経典で草木や石ころは意識のない無情なので仏性はないとされています。仏性があるのは意識のある有情すなわち動物と人間だけ。
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草木だけでなく塵や石ころまでに仏性があると説いたのは中国天台宗の第6祖湛然(たんねん)(711年 - 782年)です。最澄は「木石仏性」といい日本の天台宗に受け継がれました。
空海もまた「草木也成。何況有情」と草木も成仏すると言っています。そして「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という言葉が天台密教を確立した安然あんねん(841~ 不明)によって出てきます。
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」は室町時代の能の謡曲に盛んに使われました。
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親鸞は『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』のなかで、「仏性すなはち如来なり。この如来微塵世界にみちみちてまします。すなはち、一切群生海のこころにみちたまえるなり。草木国土ことごとくみな成仏すととけり」と書いています。
そして、哲学者の梅原猛さんによって国という文字が入ると環境思想にふさわしくないので山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく こくどしっかいじょうぶつ)として60年代から使われたようです。
賢治は大正七(1918)年五月十九日の保阪嘉内あて書簡63「一人成仏すれば三千大千世界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ」と書簡76「わが成仏の日は山川草木みな成仏する」で書いています。
「すべてのものに生命が宿る」という考え方をアニミズムといいます。縄文はこのアニミズム、精霊信仰をもっていました。
縄文以来、すべてのものに精霊が宿ると考えてきた日本人にとって、山川草木すべてに仏性が宿る考えは受け入れやすかったのです。

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比叡山天台宗には誰もが本来悟っているという本覚思想がありました。本覚(ほんがく)というのは本(もと)から覚っているという意味です。
人々は生まれながら永遠の存在である仏と同じ本覚を持っています。
しかし本当は悟っていても煩悩に覆われてしまい、それがわからなくなってしまっていることを不覚といいます。そこで次第に煩悩を取り除いて悟りに到達する事を始覚と言いました。
本覚はありのままの現実がそのまま悟りの現れであり、それとは別にもとめる悟りはないという考えです。
ですから悟りを求めて修行する必要はなく、修行によって悟りを開くことは非常に低次元のことで始覚門とよばれました。
すでに悟っているので修行は不要と思ってしまうと、向上心は薄れ、安易な現状肯定になってしまいます。いつのまにか、そのままで現実に悟りを開いているということになってしまいました。
中世の時代は僧兵が幅を利かせ武力による権力闘争を繰り返していました。僧兵のいいぶんはこうでした。
「もともと罪などというものはない、罪があると思うのは妄想である。自分の心はもともと清いので仏である。」と僧侶はうそぶいて欲望のままに乱暴狼藉の数々を働いたのです。

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比叡山に天台宗を開いた最澄と論争(817年から821年頃)した徳一という僧侶がいました。
徳一は仏性をもたない人がたくさんいるので全ての人が仏になれるのはおかしいといいました。仏性をもっているのは一部の人で、その仏性をもっている人でさえも難行、苦行した末にやっと仏になれると言ったのです。
徳一は南都六宗(奈良仏教)の立場の人でした。華厳経には52もの修行の段階が示されていて、十信・十住・十行・十回向という四十もの段階を経て始めて最後の菩薩道に入る事ができるとされています。
その50段目の十段階を「十地」と呼んでいます。その「十地」の最初の一番下の段階、歓喜地に達したのは中観のナーガジュルナ(龍樹)と唯識のアサンガ(無著) のたったの二人しかいないとされています。
菩薩の最高位になる51段目の「等覚」に達するまで「十地」があと九つの段階があるのです。
そして最後の52段目の「仏覚(ぶっかく)」に達したのは地球上ではお釈迦様しかいないとされています。つまり一般大衆が最高の悟りを得ることはほとんど不可能な事なのです。

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本覚は昔から論争の種でした。
本覚思想が発展する前には悟りを得るのは難しく限られた特別の人だけだとする考えがありました。
悟りを開いていない衆生つまり、私たち、一般社会人は世俗の仕事に忙しく、修行を続けても、いったい、いつになったら悟りが開けるの判りません。その点、もともと誰でも仏性が内在しているのであればそれを表に出せばよいので希望があり、修行の励みになります。
それが中国から日本に伝わる間にいつのまにか仏性が全面に出て来て、すでに悟っているのだから修行は不要の本覚になってしまったのです。
当然、極端に展開した本覚思想は批判されることになりました。言葉だけによる教えの危険性がここにあります。
月を示す指は方便であって月ではありません。悟っている人にとっては真実でも、探求者にとっては「あなたは悟っている」は方便でしかないからです。
それは薬と同じで適切に使用すれば病が癒されますが使用を誤ると毒になってしまうのです。

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探求の道では真実を求める欲望だけが唯一正しい欲望として奨励されます。修行して、さまざまな瞑想体験を積み重ねて、もうそれ以上何処にも行かない地点まで達した時、何をやっても行きづまってしまった時、努力そのものが障害になっていることに気がつきます。
そのときにはじめて努力を落とすことができます。
最初から努力を放棄したならば、それはただの現状維持になってしまい病は癒えないでしょう。
「私は悟っている」「私は完璧だよ」「私は大丈夫」と唱えて、自分に言い聞かせても、無意識の中に未完了の否定的なトラウマがあれば、その人は巻き込まれて簡単に暗黒の世界に落ち込んで苦しみます。
ダークサイドに落ちたスターウォーズのシスのように。

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あらゆる精神的な道は薬のように、あるときは正しく使うと病を癒し、間違うと悪化してしまうので相対的です。そして、究極において全ての人はどんな治療を施しても必ず死亡します。
最澄も徳一のどちらも正しくて間違っているのでした。
本覚思想を学んだ鎌倉仏教の祖師たちは比叡山から出て独自の道を歩みました。

「東アジア的環境思想としての悉有仏性論」岡田 真美子
http://www.indranet.jp/produ…/2002.11.16shituubussyouron.pdf
2018/05/20

宮沢賢治と仏教 3

賢治の家は浄土真宗でしたが法華経に帰依するきっかけとなったのは18歳の時に父政次郎に贈られた島地大等による赤表紙の『漢和對照妙法蓮華經』でした。
宮沢賢治は赤い表紙の法華経の本を座右の書として深く読み込んでいました。賢治はこの通称赤本を1000部刷って東北の山々に埋經するように父の政次郎に遺言しています。
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浄土真宗は罪深い自分の業を自覚して、苦しみを辛抱してこの世を生きていけば来世に救われて極楽往生できると教えます。
賢治の父政次郎は二百年続いている真宗の敬虔な信者で自分のことを「妄念の結晶なる罪悪の凡夫」と表現しています。賢治の家は古着屋と質屋をしていました。
賢治は家に質を入れに来る貧しい人々を見ては「かわいそうだ。世の中が不公平だ。父の家業が嫌だ。」とおいおい泣いたと言います。
貧しい人々から搾取している自分の罪悪を認めながら南無阿弥陀仏と唱えるだけで現世の悪に消極的な父親に賢治は反発していました。

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法華経を説いた日蓮は来世志向の浄土宗派を厳しく批判しています。
法華経の序品に仏の額から光明が出て東方万八千の仏土を照らし出したと書いてあるように、あらゆるもの全てが仏の光明そのものでした。
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生まれもしない、死にもしない、永遠に変わることのない仏の光の世界、賢治の言葉で言えばマコトの世界を常寂光土(じょうじゃっこうど)と言いました。
この世を常寂光土(じょうじゃっこうど)に導くことを日蓮は立正安国と言っています。
現世に消極的で死後に救済を求める来世志向の浄土真宗から強烈な現世志向の日蓮宗に賢治は宗旨替えをしました。
賢治の法華経への傾倒は敬虔な浄土真宗信徒の父親への反発もあったのでしょう。
阿弥陀の語源は「無限と無量の光」なので、今ここにある光明そのものを意味していました。極楽浄土は死んだ後の遠い世界ではなく今ここのいきている娑婆世界に光明がありました。
マインドの眼を通して見ることをやめて、ハートを通して見るとこの世界は愛と光で満ちています。
日蓮宗も浄土宗も究極はどちらも光明に溶け込んでしまうのです。

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賢治の作品は法華経の影響が強く反映されて誕生したと思われていますが、賢治はどうやら目に見えない世界を見ていたようでした。
「いかりは赤く見えます。あまり強いときはいかりの光が滋くなって却て水の様に感ぜられます。遂には真青に見えます」宮沢賢治 (1920年6~7月 保阪嘉内への書簡)
この賢治の「いかりは赤く見えます」はオーラと呼ばれる目に見えない身体のことのようです。青はエーテル体の色でもあります。
インド哲学で身体を大きくグロスボディ(粗大な身体)・サトルボディ(微細な身体)・コーザルボディ(原因の身体)の三つに分類しています。
神智学ではそれを1フィジカル体肉体 2エーテル体(星気体)3アストラル体(感情体)4 メンタル体(精神体)5コーザル体(原因体)又はスピリッチュアル体(霊体)6コスモス体(宇宙体)7ニルヴァーナ体(涅槃体)の七つに分類しています。
肉体(ボディ)・精神(マインド)・魂(スピリット)と分けることもあります。
あらゆる精神的な道は人間の存在が物質的な次元を超えていることを示しています。

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現代社会に生れた私たちの自我は近代合理主義に洗脳されてしまっています。
共同幻想の社会の中で真実の世界に気づくのは難しいようです。頭の中に刷り込まれた世界が真実と思い込んでいる家族や職場の同僚がそれを補強するからです。
真実の世界と思っていたものは過去の記憶にしたがってマインドが作り上げた観念の集合体にすぎないのです。
「わがあたまときどきわれにきちがひのつめたき天を見することあり」(歌稿A134)
 
「そらに居て緑のほのほかなしむと地球の人のしるやしらずや」(歌稿B160)
賢治は肉体を離れた経験をしていたようです。
臨死体験者が語るように意識は時間と空間を超えています。
賢治は早池峰山の登山道で野宿した時に坊さんの幽霊を見ていました。
「早池峰山へ登った時でしたがねぇ、あすこの麓に大きな大理石がごろごろ転がっているところがありましてねぇ。その谷間は一寸した平地になっているのですがそこの近所に眠ってしまったんですよ。お月さまもあって静でよい晩でしたね、うつらうつらしていましたらねぇ、山の方から、谷あいをまるで疾風のように、黒いころもの坊さんが駈け降りて来るんですよ、念仏をとなえながら、またたく内に私の前を通り過ぎ、二人とも若いその坊さん達は、はだしでどしどし駈けて行ったんです。不思議なこともあるもんだとぼんやり私は見送っていましたがね。念仏はだんだんに細く微かに、やがて聞こえなくなったんですよ。後で調べたら、あすこは昔大きなお寺があったところらしいんですね。河原の坊といわれるところでしたよ。土台の石なんかもあるという話でしたよ。何百年か前の話でしょうねぇ、天台か真言か古い時代の仏跡でしたでしょうねぇ。」(鈴木健司著「宮沢賢治 幻想空間の構造」)
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私たちの本質は生死を超えています。
『ぼんやりと脳もからだもうす白く消え行くことの近くあるらし』 (歌稿A165)
私たちが死と呼んでいるものは物理的な肉体が要素に分解して、非物質的な目に見えない身体である精神(マインド)・魂(スピリット)だけになることを表しています。
「私の世界に黒い河が速にながれ、沢山の死人と青い生きた人がながれを下って行きまする。青人は長い手を出して烈しくもがきますがながれて行きます。青人は長い長い手をのばし前に流れる人の足をつかみました。また髪の毛をつかみその人を溺らして自分は前に進みました。あるものは怒りに身をむしり早やそのなかばを食ひました。溺れるものの怒りは黒い鉄の瓦斯となりその横を泳ぎ行くののをつつみます。流れる人が私かどうかはまだわかりませんがとにかくそのとほりに感じます。」(1918年10月1日 保阪嘉内への書簡)
賢治は目に目えない世界を感じていました。振動レベルによって意識の世界は階層に分かれています。
若い頃の賢治は苦しんでいたので否定的なマイナスの振動帯の体験をしていたようです。
心が落ち込んでいるときは落ち込みの振動レベルに同化してしまうので、落ち込みのプログラムが作動して否定的な経験を味わうように宇宙はできているようです。
そうならないようにするには、落ち込んだとき、その振動レベルに同化しないように意志力を使って今この瞬間に集中することです。そうすると、世界は肯定的な意味にあふれ自己の感覚は広がります。

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父親との確執、家業を継ぐこと、体の病気、18歳の賢治は精神的に不安定になっていました。その時に島地大等の赤本法華経に出会ったのです。
仏教の言葉は苦しんでいた時の賢治の感性にぴったりだったのです。
「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい」農民芸術概論綱要序論
賢治の作品は自分の感性にあっている仏教の言葉を使って表現したのであって、単に法華経の思想をそのまま展開した訳ではないように思えます。
2018/05/20

宮沢賢治と仏教2

賢治は一学年下の親友、保阪嘉内が退学処分を受けたときに法華経の教えを手紙で説いています。
『退学も戦死も何だ、みんな自分の中の現象ではないか、保阪嘉内もシベリアもみんな自分ではないか、ああ至心に帰命し奉ずる妙法蓮華経。世間皆是虚仮仏只真」
「保坂嘉内は退学になりました けれども誰が退学になりましたか。又退学になりましたかなりませんか。あなたはそれを御自分の事と御思ひになりますか。誰がそれをあなたの事ときめましたか 又いつきまりましたか。私は斯う思ひます。」
「誰も退学になりません 退学なんと云ふ事はどこにもありません あなたなんて全体始めから無いものです けれども又あるのでせう」 
「世間皆是虚仮仏只真」は世間は空虚で仏だけが真実という意味です。
賢治は繰り返し、退学は起きていない。あなたはいない。世界で起きている出来事は全て自分の中の現象だと語ります。
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今から1400年前の中国の天台智顗は法華経を中心とした天台教学を大成させました。
その中に「諸法実相」「一念三千」などの言葉が出てきます。
あらゆるそんざいは全て因果によって繋がっていて、全ては究極において等しいのです。


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中国の経典にはインドの経典になかった新しい言葉もたくさんあります。仏教が難しく思えるのはこの中国語の用語があると思います。
マインドを使わないで世界を見ると、そこにはあるがままの姿があります。
思考は今ここにいられません。
思考がエネルギーの流れを滞らせています。
今ここに意識を向けると誰でも思考のプロセスを止めることができます。
思考や感情は気づきという心の広がりの中で浮かんでは消える泡にすぎません。
思考に同一化することをやめて次から次へと現れては去ってゆく思考や感情、それ自体が実体のない空である事を見て取ると、今まで思い込んでいた自分は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。
私たちの知覚は思考によって制限されています。
本来の姿から遠く離れた状態で過ごしています。
あるがままの世界を分離して見ているのです。
思考を使わないで全体をあるがままに見たとき行為者としての自分はいないということに気がつきます。
絶え間なく浮かんでは消える流れがあるだけで思考する私はどこにもいないのです。
ただ自然に風が吹き雲が湧いて雨が降るように心の中の思考もまた自然に起きています。
喜怒哀楽の感情も雨や嵐が来るようにただ自然に起きているだけなのです。
それを諸法実相といったのでしょう。

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「石丸さんが死にました。あの人は先生のうちでは一番すきな人でした。
ある日の午后私は椅子によりました。ふと心が高い方へ行きました。
錫色の虚空のなかに巨きな巨きな人が横はってゐます。
その人のからだは親切と静な愛とでできてゐました。
私は非常にきもちがよく眼をひらいて考へて見ましたが寝てゐた人は誰かどうもわかりませんでした。
次の日の新聞に石丸さんが死んだと書いてありました。
私は母にその日「今日は不思議な人に遭った。」と話してゐましたので母は気味悪がり父はそんな怪しい話をするな、と云ってゐました。
石丸博士も保阪さんもみな私のなかに明滅する。みんなみんな私の中に事件が起る」
(宮沢賢治 大正八年保阪嘉内あての書簡)
「みな私のなかに明滅する。みんなみんな私のみんな私の中に事件が起る」
この言葉は春と修羅の
「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です」に対応します。
私といったときに賢治は全てを包んでいる大きな私とその大きな私の中で明滅する実体のない二つの私があることを言っています。
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また賢治は親友の保阪の手紙に
「アオイ山ノナミ、(ユケドモユケドモ)雲ハシハヲツクリ山ヲツクリ、人ハマナコヲトヂテアラハレル木立水ヲ『マコトノ世界トヒトシカラズヤ』トカナシンデ行キマス。世界ノAモ、世界ノ’Aモ均シク寂カナ秋ニナリマシタ。」
と「A」と「’A」と分けて現実の目に見える世界とマコトノ世界の二つの世界があることを説明しています。
マコトノ世界とは天台教学のあるがままの真実の姿を意味する「諸法実相」のことです。

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賢治は大正7年に種山ヶ原に同行した佐々木又治宛の手紙で
「コノ辺ノ山ヤ川ノエ合ナンカハモウアナタニハ夢ノ様ニ思ハレルデセウ。本統ニコノ山ヤ川
ハ夢カラウマレ、寧ロ夢トイフモノガ山ヤ川ナノデセウ」
現実の目に見える世界とは夢から生まれた世界と言っています。
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精神世界ではこの世は夢だと言います。
「神は言い給うた、実際には眠っているのに、彼らは目覚めている、と汝は考えるであろう」コーラン18-18
「おまえにせよ、みな夢を見ているのだ。いや夢だといっているこのわたしでさえ、例外なしに夢を見ているのだ。」荘子
「人間の意識は深く眠っており、機械のように生きている」グルジェフ
仏教では生死の夢から覚める事を涅槃といいます。そして夢から覚めて涅槃に入る人を仏、覚者と呼びます。私たちは目が覚めるまで、思考が作り上げた自我と言う監獄で光と闇、苦悩と歓喜が織りなす夢を見続けるのです。
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別な保阪嘉内宛の書簡で賢治は聖徳太子の有名な言葉「世間皆是虚仮仏只真」を引用し
世間とは実体のない世界であり仏だけが唯一真実だと言っています。
真実の仏とは賢治は別なところで法性とも言っていますのでマコトノ世界=「’A」=法性=法身=諸法実相=真実の仏となります。
賢治は目に見えない世界を感じる心を持っていた人でした。
目に見える現実世界と目に見えない世界の中で葛藤する中で賢治は自分の感性と一致する仏教の言葉に出会ったのです。
それが、島地大等の赤本『漢和對照妙法蓮華經』だったのです。
2018/05/20

宮沢賢治と仏教 1



宮沢賢治が島地大等(1875 - 1927)の『漢和對照妙法蓮華經』を読んで感動して、驚喜して身体が震えて止まらなかった話は有名です。
賢治の家は浄土真宗でした。賢治は15歳の時、父親の政次郎が主催した大沢温泉の夏期講習会で浄土真宗本願寺派の島地大等の法話を聞いています。

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島地大等は僧侶でしたが学者でもあり東京帝国大学講師として死去まで仏教史、インド哲学を教えています。島地大等は浄土真宗だけでなく仏教全体を見通すことができました。
島地大等は、島地黙雷(1837-1911)の婿養子でした。

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島地黙雷は明治時代に活躍した盛岡市北山の浄土真宗本願寺派願教寺の住職でした。
島地黙雷は廃仏毀釈が吹き荒れる中、神道に従属させられていた仏教の新生のために努力して政教分離を明治政府に認めさせた明治を代表する僧侶です。
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島地黙雷は 明治五(1872)年一月 に岩倉使節団の一員として木戸孝允らと共に欧州歴訪の旅に出ています。
欧州の途中で孟買(今のムンバイ)のエレファンタ島の石窟寺院とアラハバード駅近くのヒンズー教やイスラム教の寺院に立ち寄っています。仏教徒の黙雷ですが仏跡を参拝することはできませんでした。
明治六年七月に日本へ帰国した黙雷の七年後の明治十三年に考古学者カニンガムがブッタガヤの大塔を発掘しています。600年間土の中に埋もれたままになっていたので仏跡がどこにあるのかわからなくなっていたのです。
1582年に九州のキリシタン大名たちがローマに送った天正使節団の少年達がゴアに立ち寄っていますがゴア以外には行っていないので、インド国内を最初に旅行した日本人は島地黙雷ということになっています。

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宮澤賢治の3歳年下の親戚の関徳也は
「法華経の方便品のところで、ここは全仏教の地獄破りといわれる箇所で法華経の方便品から出発して寿量品で完成するのだと、実に熱意を込めて説明された時の、青の輝かしい色白のまなざしはなかなか忘れることはできません。」
と賢治から法華経の講義を聞いたことを書き留めています。
今までの仏教の教えは病人に薬を与える手段のようなもので、衆生を導くために説いた仮の教えであり、一つの絶対の真実の教えを説くための方便だったと法華経は説きます。
相対的な真理を超えた絶対の統一真理の教えが法華の一乗だとしています。
浄土真宗の教えは部分的真理の教えに過ぎず法華経こそ宇宙の統一真理で、それが賢治が言う全仏教の地獄破りなのでしょう。
賢治は父への手紙で次のように書いています。
「戦争とか病気とか学校も家も山も雪もみな均しき一心の現象に御座候その戦争に行きて人を殺すと云ふ事も殺す者も殺さるゝ者も皆等しく法性に御座候」 
「一心の現象」とは天台教学で「一念三千」と呼ばれています。
「一念三千」を島地大等の言葉を借りれば「一念三千とは一念中に三千の法界を具し、三千の森羅はこの一念中に内存す」と言うことです。
一瞬一瞬に思いが湧いてくる心に全宇宙の一切の事象が備わっているということは、人間の本質は全宇宙を包括している存在と言うことなのです。
そして、あらゆる存在は全て因果によって繋がっていて、全ては究極において等しいのです。人々はすでに仏陀であり、すでに救われているのです。
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