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2019/02/17

黒いマリア



ヨーロッパ各地で約450体の黒い聖母マリア像が存在してます。

ブルゴーニュの黒い聖母崇拝の中心地で生まれたクレアヴオーの聖ベルナール(1091〜1153)はシャティヨンにある黒い聖母の像の胸からこぼれ落ちた母乳を三滴飲む霊的体験を幼少時に受けたと伝えられています。

聖ベルナールはマグダラのマリアと同一視したベタニヤのマリアへの忠誠をテンンプル騎士団に規則としてあたえました。テンプル騎士団が崇拝したといわれるバフォメット(Baphomet)はソフィア(Sopia)を暗号化したものといわれています。黒は古代の知恵の象徴でした。

テンプル騎士団はコンポスティーラの巡礼地を保護しました。巡礼地に沿ってテンプル騎士団の支部と黒い聖母崇拝の教会が点在しています。フランスの出発点のヴェズレーはマグダラのマリアの崇拝が盛んな場所で黒い聖母の聖地ともなっています。黒い聖母はテンプル騎士団が崇拝しマグダラのマリアと古代の智慧と関係していました。

アルトエッティングは「バイエルンの(信仰の)心臓」と呼ばれ年間100万人の巡礼者が訪れるドイツで最も知られた巡礼地です。巡礼の目的は「黒い聖母」です。

中世パリのサンジェルマン教会には1514年まで黒いイシス像を聖母マリア像として飾られていました。シチリア島ではマリアの聖母子像のかわりにデメテルの母子像を奉る事が許されていました。母が子を抱くイシスやデメテルの像はマリアの聖母子像に似ていたのでキリスト布教初期には同一視されたのです。

ギリシア神話に登場するデーメーテールは地母神の神格を受け継いだ穀物をつかさどる豊穣女神です。ギリシア語のDeは三角形のdeltaのDeで「女陰を表す文字」でmeterは「母親」の意味です。デーメーテールの古い異名はメライナ(黒い者)で黒い衣服に身を包み頭に蛇がからみついた姿をしていました。デーメーテールの古い祭儀の場所は洞窟や、丸天井式地下納骨堂で入り口が三角形で通路が膣状で短く、丸天井になっていました。暗い洞窟も丸天井も女神の子宮を表しています。そこで死と再生の祭儀を行っていたのです。

フランスの巡礼地として古くから聖母マリア信仰が栄えたル ・ピュイ・アン・ヴレイの聖母も黒いマリアです。スイスのアインジーデルンのベネディクト会修道院、ヨーロッパのピレネー山脈東部、プロヴァンス地方の山間部の教会やブルターニュ地方ギャンガン、スペイン・カタルーニャ地方のモンセラートにも黒いマリア像が置かれています。それらはかつてケルト以前から続く古代の聖地だった所です。

黒い聖母崇拝は古代の地母神信仰の痕跡で常に癒しの水や川の合流点、火山など、大地のエネルギーと関係していました。穂麦のマリア、マリアの泉、ブナの聖母、満月に照らされている泉は若返りの力があるなどの聖母マリアの伝説はヨーロッパ中にあります。キリスト教以前の古代ヨーロッパの地母神信仰はマリア信仰に取って代わったのです。

古代母権社会の大地母神キュベレは、大きな黒い石の姿でローマのパラティン丘の神殿に据えられていました。大地母神の神殿はマリア信仰の中心「サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂」となりました。地母神を受け継ぐアルテミス神殿のご神体は黒い隕石でした。
北アフリカの紅海沿海地方トログロデュタイ人の女たちはとても念入りに黒化粧をしました。黒く化粧をするのは豊穣の大地を表し、昼を生み出す夜の闇と結びついていました。エジプトのイシス、フリギアの大地母神キュベレとその神格を受け継いだアルテミスも肌が黒く塗られていました。アルテミスは月の女神ディアナでもありました。

闇に落ちた人間の罪を救うのは闇夜に輝く月の女神でした。中世の男性社会の罪から救う力があったのは古代の地母神信仰を受け継いだ黒いマリアだったのです。
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2019/02/17

聖母マリアのお告げ

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1854年、教皇ピウス9世によって聖母マリアは無原罪の状態で受胎し、処女を守ったままイエスを出産したという「聖母無原罪のお宿り」信仰を公認しました。

それ以降、おびただしい数の「聖母出現」の奇跡が頻発しました。19世紀のマリア出現はルルドの奇蹟をはじめ20回以上に及びます。その出現は20世紀に入っても衰えず、カトリックではマリアの時代とよんでいます。

以前から聖母マリアは、悪魔を打ち破り、あらゆる災いから人々を救済し、信者を天国に導いてくれる女神として、熱烈に崇拝されていました。

ポーランド最大の巡礼地ヤスナ・グラ修道院の「チェンストホヴァの黒い聖母像」は毎年1千万人を超えるカトリック信者が、世界各地から訪れます。ポーランドは東欧圏で最初に法皇となったヨハネ=パウロ二世の祖国でした。

1981年5月13日ヨハネ=パウロ二世はバチカンのサン・ピエトロ広場にて、トルコ人マフィアのメフメト・アリ・アジャから銃撃され重傷を追いましたが奇跡的に弾丸はわずかに心臓をそれました。この日はロシア革命のすぐ後にファティマに聖母が現れた記念日でした。法皇は弾丸で穴が空いた布を「チェンストホヴァの聖母」に捧げました。

ヨハネ=パウロ二世は説教でマリアを熱心に賞賛しました。共産主義が現れたのも、第二次世界大戦も法皇の母国ポーランドの共産圏が崩壊したのも法皇にはすべて聖母マリアの思し召しと映ったのでしょう。

ロシア最後の皇后アレクサンドラはプロテスタントからロシア正教に改宗して「この地の哀れな民度の低い未開のロシアの人々を救うために神の聖母はかならず立ち上がってくださいます」と手紙に書いています。それからロシア革命が起きて多数の聖堂や修道院が閉鎖され、52人の主教のうち40人が銃殺されて信徒多数のほか皇后アレクサンドラ一家全員も処刑されて財産は没収されてしまいました。

聖母が立ち上がるように祈っても必ずしも命が助かるとは限らないようです。

終末の世に太陽を身にまとった聖母マリアが現れることがヨハネの黙示録に書かれています。「また、大いなるしるしが天に現れた。一人の女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた」 (ヨハネの黙示録12章1)。

この黙示録から「勝利のマリア」と呼ばれるマリア像が作られました。マリアに抱かれた幼子のキリストは槍でドラゴンを突いています。マリアが踏む月は征服されたアルテミスなど月の女神を象徴しています。ドラゴンはキリスト教にしたがわない異教徒でした。

ちなみに1941年12月8日に日本軍がハワイの真珠湾攻撃をしたその日は聖母マリアの無原罪の姿りの祝日でした。終戦の引き金となった長崎の原爆は聖母マリアのために献げられた浦上天主堂の真上に投下されました。そして戦争が集結した、1945年8月15日は聖母マリア被昇天の大祝日で、戦争状態を終結させるためのサンフランシスコ講和条約が行われた1951年9月8日は聖母マリアの誕生日でいずれも聖母マリアの記念日でした。

20世紀から21世紀に変わる世紀末はおびただしいほどの聖母のお告げがありました。
肉体を持たない知的存在とコミニュケーションを行なうことを精神世界ではチャネリングとびます。

聖書はそのチャネリングの宝庫です。 (マタイ伝10-20)「語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。」 (ルカ伝8-23) イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。 (ヨハネ伝 3-34) 神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。(ヨハネ伝 10-38)そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」

自分はキリストであると宣言すれば医者は幻聴や幻覚として精神病の範疇に入れてしまいます。
キリストだと信じている精神病患者が複数入院している患者は自分だけがキリストで、他人をキリストと認めません。
自我は自分が特別だということを求めます。自己を否定されて傷ついた人はひとかどの人物としてまわりから認めてもらいたい評価欲求をもっています。終末論的な世界観は精神病患者の妄想にもあらわれるので、精神科の先生にかかると、声が聞こえた人はすべてパラノイアか統合失調症にされてしまうでしょう。

原始キリスト教の時代はカリスマ性のあるチャネラーが沢山いて一派をなし教会を起こしていました。それぞれ勝手にイエスのメッセージを受け取り、自分が本物でお互いに相手を偽物だと非難していました。そこでチャネリングの真偽を識別する必要がでてきたのです。

(ヨハネ第一の手紙4-1~3)愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。 」
教会の教義に逆らうものは反キリスト、つまりサタンの手先として排除されました。聖母マリアは公認されていたので聖母マリアのお告げといえばよかったのです。

20世紀から21世紀に変わる世紀末はおびただしいほどの聖母のお告げがありました。その予言はだいたい「世の終わりは近い、悔い改めよ」で聖書の内容とほぼかわりありません。

涙を流しながら世界中に表れた聖母はこう告げています。
オリヴェト・シトラ(イタリア)「世界は奈落の淵にあります。祈りなさい、特に大きな国の為政者のために祈りなさい。なぜなら、彼らは、戦争を計画し、暴力を拡大することに忙しくて、祈る時間がないからです」(1985年11月2日)
ダマス(シリア)「私の子供たちよ、神のことを思い出しなさい。神は私たちと共におられます。あなたがたは全てを知っていますが、同時に何も知っていません。あなたがたの知識は不完全なのです。神が私を御存知のように、あなたがたが全てのことをよく分かる日がくるでしょう。あなたがたに悪を行なう人々を大切に扱いなさい、そして誰に対しても冷たい扱いをしてはなりません」(1982年12月18日)

私の中の聖母マリア(ソフィア)はこう告げています。
私たちの知覚は思考によって制限されています。
言葉で作り上げた概念で世界を理解しています。
心の中に浮かび上がる考えを真実と思い込んでいます。
世界から切り離されているという間違った思い込みで生きています。
本来の姿から遠く離れた状態で過ごしています。
あるがままの神の世界を分離して見ているのです。
思考に同化することをしないでいると
頭で考えていた自分は存在しないということがわかります。
そのとき、他人の自我も自分の自我も受けいれることができます。
自分がいないということは同時に自分はすべてだということです。
他者を非難したり嫌悪している自分はいません。
絶え間なく浮かんでは消える流れがあるだけで
思考する私はどこにもいません。
すべては神であり、愛であり、虚空であり、全体なのです。
2019/02/17

異端と正統のキリスト教




初期の原始キリスト教の時代では教義や正典が定められてはいなかったので30以上もの福音書が存在していました。
『あなたがたの間に争いがあると聞かされている。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」と言い合っていると』(コリント信徒への手紙1-12)

正統派(オーソドックス)はイエスの死後ペテロが教会の指導者だったと主張していますが、失われた別な資料ではイエスの弟ヤコブであったとされています。

「マグダラのマリアによる福音書」ではイエスの後継者はマリアになっています。

今の福音書が書かれる前に元になったQ資料があったことが研究者には知られています。
それぞれの宗派は精霊から啓示を受け勝手に独自の解釈の福音書を持ちそれらを正典であると主張していました。3世紀までの初期キリスト教で三位一体を掲げる正統派(オーソドックス)は一つの宗派にすぎず、しかも少数派でした。そのくらいキリスト教徒の大半は異端(ヘテロドックス)を信じていました。

「異端」のギリシア・ローマ時代の元々の意味はラテン語のhaeresis(選択)を意味していました。「異端」は「熟考した末に選択した説」であつて、「正統な解釈から外れた説」ではありませんでした。「選択」ならば共生は可能でしたが、誤りの意味の「異端」となると男性原理が働いて自分が排斥されてしまう前に異なる考えの相手を排斥しなければならなくなったのです。

312年ローマのコンスタンティヌス帝は夢の中に現れた正統派(オーソドックス)のシンボルマークをかかげて戦いに勝ち、キリスト教を国教としました。弾圧時代に没収されたキリスト教会資産の返還を命じ、それに必要な補償は国家がすると決めました。
さらに教会関係の使用人や教会所有の農地や工場や商店に働く人々まで拡大し人頭税も免税としました。ローマに拠点を置いていた正統派(オーソドックス)は権力と財力をものにしました。

ローマの宗教政策はキリスト教の公認からキリスト教優遇に変わり、やがて他宗教排撃にかわって行きました。
男性原理が優位なユダヤ教の考えを受け継いだ教父達は激しく憎悪して対立しました。アタナシウス派の教父はアレクサンドリアの教区のアリウス派に向かってこう言い放ちました。

「お前たちは最後の異端者であり、アンチ、キリストの最初の先ぶれである。アリウス派の聖職者たちとは付き合ってはならない、アリウス派の説く教理は十二使徒の説いたこととはまったく反対のことで、あれは悪魔の教理であり、実も種もない頭から生れた考えだ」
正統派(オーソドックス)は数ある聖典のなから自分たちの解釈にあうものだけを正典と定めました。そして、信者になるものは霊的理解力や洞察力がなくとも、教会組織に従う者であれば誰でも受け入れていきました。

正統派のキリスト教徒は信条を告白し、洗礼を受け、礼拝に参加すれば誰でもキリスト教徒の一員になれたのです。
グノーシス派は洗礼や信条や礼拝の型式的意義を認めませんでした。形式よりも個人の霊的成熟を求めたのです。
あるグノーシス共同体は、秘儀参入をはたしてグノーシスを受けた人々だけで成り立っていました。正統派の司教、司祭、助祭、平信徒のような階級制をとらず、完全な男女平等で、役割を常に交代していました。グノーシスは個人的、霊的成長に関心が在り、物質的な教会には関心が薄かったのです。

モノイセス派は自己の認識をこういいました。
「神とか創造とか、これに類した事を探しもとめるのはやめなさい。あなたがた自身を出発点にして、彼をもとめなさい。あなたがたにあって、『わが神わがこころよ、わが思いよ、わが魂よ』という者は、誰であるか知りなさい。哀しみ、喜び、愛、憎しみの原因をしりなさい。
・・あなたがたがこのようなことを注意深く観察するならば、あなたがた自身のなかに彼を見いだすであろう。」
真の自己である神を見いだしたものが真の教会に属するのでした。

325年にトルコのニカイアで会議が開かれ、最も政治力が強かった正統派が多数派をしめ、女性を排除した父と子と精霊の三位一体の教義が正統とみなされました。

ローマに拠点があった正統派は財政上の特権や政治的な力を蓄え、組織化をおしすすめ、各地のグノーシス派を圧倒していきました。弾圧されていた正統派(オーソドックス)は弾圧する側になってしまいました。

正統派(オーソドックス)は女性が男性の下に従属すべきであるという伝統的なユダヤ教の慣習を受け入れていました。
パウロ殉教後に書かれた新約聖書「ペテロの手紙」には「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。」と男女の上下関係を認めています。
「女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。」(第一テモテ2-12)
共観福音書のこの記述からイエスの死後、キリスト教には女性のリーダーがいて実際に男性の上にリーダーシップをとっていた事がわかります。

トルコのフィギリアには正統派から異端と告発されたモンタノス派がありました。
「女性の姿をしてキリストは明るい色の衣まとって私の所へ降りて来た。私に智慧を授け、この場所が聖なる場所であること、ここがエルサレムになるだろうと私に啓示した。」とモンタノス派の女性預言者は述べます。
モンタノス派は男性社会の中で女性が預言者として重要な位置に就いていました。純潔を誓った男女平等の祭司がいて、断食などの禁欲的な生活を行っていたのです。集会では暗闇の中、白い衣をまとった7人の処女が松明をかかげ、エクスタシーの中で預言しました。人々は耐えていた悲しみの涙を流し、人間の持つ運命を受け入れました。
近年の発掘調査でモンタノス派の聖地はアポロンとその母レートーの神殿の場所にあったことが解りました。モンタノスはキリスト教に改宗する前はその祭司でした。

そこはキリスト教以前にあった地母神信仰の盛んな土地だったのです。聖なる場所は地磁気の異常が見られたり、エネルギーが螺旋状に渦巻いているところが多く変成意識状態を起しやすい場所にありました。古代から託宣の地は聖なる場所にあったのでした。
3世紀ころのモンタノス派はローマ帝国、北アフリカまで広がりました。モンタノス派の教義はイエスの肉体の復活を認めることでは正統派とあまり変わりませんでした。

男性中心社会の中での女預言者の存在は「彼女達はあつかましく、つつしみ深さがない。治療行為をして、洗礼さえも行なっている。」と正統派の教父達に嫌われてしまいました。

福音書でパウロは女性預言者に厳しい制限を加えました。
「もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。」(第一コリント 11-6)
「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たち には語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で夫に聞きなさい。」 (第一コリント14-34)と教会で女性預言者が発言することを封じてしまいます。

そしていつの間にかイエスの復活の最初の目撃者が女性のマグダラのマリアだった事も省略されてしまいました。この地域はそれだけ影響力の強い女性預言者や女性指導者が数多く存在していたのでした。

4世紀の初めにはローマでモンタノス派はすでに絶えてしまいました。モンタノス派の預言者は120年後に新しい世界があらわれると預言を下しましたが、120年後の新しい世界とは女性預言者、女性指導者が姿を消した世界でした。

正統派(オーソドックス)による国家の武力を背景に異端とされたグノーシス派は徹底的に弾圧されました。6世紀には膨大なグノーシス派の文献はほぼすべて破棄され失われました。正統派への転向を拒否したグノーシス派の人々は異端として殺されていきました。
1543年トレント公会議でカトリック教会は正典の一覧を定めました。それ以後、聖書の追加や削除は認められなくなりました。
今の正統派(オーソドックス)はパウロ教ではないかと言われています。

正統派の聖書文献はグノーシス派に対立した正統派の教父達によって政治的にのこされた一つの解釈にすぎませんでした。
キリスト教の歴史は分離敵対する男性原理にもとずき正統(オーソドックス)と異端(ヘテロドックス)を峻別し排除する歴史でした。
融合し結びつける女性原理が働いて真実のキリスト教が姿を現すとキリスト教は今までの形態を取ることができなくなるでしょう。

硬直した今のキリスト教の形態は愛の炎の中で溶けてエッセンスだけが残されるからです。
光の中で闇は存在することができないのです。
2019/02/17

神聖結婚



キリスト教は神の前ですべての人は平等だということになっています。

「そこではもはやユダヤ人やギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆イエス・キリストにおいて一つなのです。」 新約聖書「ガラテヤ人の手紙」

しかし、パウロ殉教後に書かれた「ペテロの手紙」には「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。」と男女の上下関係を認める発言をしています。

ユダヤ教が誕生した時代は男性中心の社会が強固に確立していました。

創世記に「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は苦しんで子を産む。お前は男を求め、男はお前を支配する」
第一テモテ「アダムはだまされませんでしたが女は騙されて、罪をおかしてしまいました」

シラ書25章には「女から罪は始まり、女のせいで皆死ぬことになった」と書かれてあります。
父権社会の強い条件付けを受けて育った聖書の書き手はその影響化に置かれていました。

2世紀から3世紀の神学者テリトゥリアヌスは激しく女性を罵りました。
「女よお前は痛みと苦しみの中で子を産む。アダムが最初に作られそれからエヴァが作られた。女は夫の支配下にあり、夫がお前の主人である。アダムは騙されなかったが女は騙されて罪をおかした。女に対する神の告発は続いている。お前は最初に神の権威を弱めた。お前は悪魔の部屋だ。お前は巧みに男を負かした。お前の値打ち、死は神の息子の死に値した。」

女性は本質的に悪であり不浄、低俗で愚かで感情的で女性は男性の所有物であり、女性は男性の命令をおとなしく聞かなければならないと考えていたのです。

コロサイ人への手紙で「若いやもめは結婚して子を産み、家をおさめ、そして、反対者にそしられるすきを作らないようにしてほしい。」といっているように初期のキリスト教徒の師父達は迫害を受けないように外の目を気にしていました。

結婚しない女性や結婚しても子供を産む能力のない女性は先祖か本人が罪を犯した結果であるとみていたように父権社会の女性は徹底的に差別されていたのです。

「妻を離婚する者はみな,それが淫行のゆえでないならば,彼女を姦淫にさらすのであり,だれでも,離婚された女と結婚する者は姦淫を犯すことになる」(第一コリント人への手紙7章)

「慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順である」のが父権社会の女性像でした。

「聖なる者たちすべての教会でそうであるように、婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たち には語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で夫に聞きなさい。」 (第一コリント人への手紙)

父権社会の強い条件付けを受けていた初期キリスト教の教師達が大勢いました。福音書は神の霊感によって書かれていると信じている人がいますが父権社会の条件付けの影響化に置かれて書かれた記述の箇所もあるのです。

古代オリエントでは、父と母と子の三位一体が見られ、子は父と母の代理でした。神は父でもあり、母でもあって神には性差はありませんでした。

正統派原始キリスト教会は父と母と子の三位一体の教義から母性を排除して男性だけの父と子と精霊の教義にしてしまったのです。それを受け継いだローマカトリック教会は現在も女性司祭がいません。

ユダヤ・キリスト教の聖書には男性原理が強く見られますが最初からそうだったわけではなく、本来、女性性の側面も持っていました。
異端とされた聖書外伝の「ヘブル人の福音書」には「わたしの母である精霊は、わたしの髪をつかんで、偉大なタルボ山へ連れて行った。」とあります。「聖霊」を表すギリシア語は男性名詞ですが、 ヘブル語で霊(ルア)は女性名詞なので精霊は女性を表していたのです。
紀元前9世紀と8世紀の複数の遺跡からヤハウェの妻としてアシェラの名が書かれた碑文が発見されました。古代イスラエルではアシェラというヤハウェの妻がいたのです。

旧約聖書でカナンの豊穣の神バールと、女神アシェラを悪魔として非難する記述が40箇所も出てきます。

紀元前1250年頃に鉄器時代が始まると荒ぶる男神を崇拝する戦士の部族が大地母神の肥沃な土地に侵入してきました。最高神だった女神の神格は降格になり侵略者の神の妻にされました。

アシェラは古代イラン語のashaからきている大地母神アシェラトのヘブル語読みです。紀元前2500年頃まで古代オリエントは大地母神が神々の中心でした。

アシェラトは神々の母、豊穣の女神として紀元前1450年頃から紀元前1200年頃にかけて栄えたシリアの古代都市ウガリットから出土した粘土板の神話に最高神エルの妻としてでてきます。
古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩や聖書などの神話の構造を見ると、それ以前の古い神話を借用して新しく作られる神話の中に混合させて新しい支配者の物語が作られています。

ウガリットが滅びると最高神エルはユダヤの神ヤハウェに吸収されアシェラトはエルの神格を引き継いだヤハウェの妻となったのです。
母権社会から父権社会へ移行する創世神話の段階を分析すると次のようになります。
●夫なしに女神から生まれた世界
●夫に孕ませられた女神から生まれた世界
●戦いの男神によって女神のからだから作られた世界
●男神ひとりによって創造された世界

旧約聖書のイスラエルの神は怒ったり、殺すなと言いながら冷酷で残酷だったりします。
旧約聖書の申命記に出てくる神は征服した住民を幼子をふくめ全員皆殺しにするように命ずる箇所があります。他の神を祀る異教の影響をイスラエルの民が影響を受けないためだというのです。排他的で独裁的で非寛容なことこのうえない神です。

神には二つの姿があってインドでは人間の思考を超えている記述不可能な絶対的超越的な実在をニルグナ・ブラフマンといい知的に解釈可能な、目に見える人格的な存在をサグナ・ブラフマンとしています。
旧約聖書の神は父権社会に移行してしまった時代の人格神の神なのです。

神を父とみなす信仰は父権社会の条件付けを強化するのに好都合でした。
新約聖書「女が教えたり、男の上に立ったりすることを、わたしは許さない。むしろ、静かにしているべきである。」(第一テモテ2-12)
この記述はイエスの死後、キリスト教には女性のリーダーがいて実際に女性が男性の上に立ちリーダーシップをとっていた事がわかります。

共観福音書を注意深く読むとマグダラのマリアはイエスと一緒に行動し最初に復活したイエスを目撃した女性として書かれています。
そして聖書はその後、マグダラのマリアの記述は全く姿を消してしまいます。

さらにマルコ伝の後に成立したとされるルカ伝24-33ではイエスに最初に会ったのはマグダラのマリアではなくペテロだったことになっています。

ルカは明らかにマルコやマタイに書かれていた女性の役割を削除したり男性の弟子の評価を高める書き込みを付け加えていました。
1945年にナグ・ハマディで「マグダラのマリアによる福音書」が発見されました。マグダラのマリアは自己の本質を知った(グノーシス)目の見える女性としてイエスの最も優れた後継者として書かれています。

「マリアよ、恵まれた者よ、あなたの中にわたしはすべての高さの秘儀を完成する。自信をもって語りなさい。なぜなら、あなたはどの兄弟にも増して、こころが天の支配に向いているからである。」ピスティス・ソフィア

異端とされた共同体は、正統派の司教、司祭、助祭、平信徒のようなピラミッド型階級制をとらず、完全な男女平等で、そして秘儀参入をはたしてグノーシスを得た人々によって役割を常に交代していました。
教父テリトゥリアヌスは女性祭司に激怒して「あのマムシ」と罵りこう言いました。

「これら異端の女ども、彼女達はなんと厚かましいことか。彼女達には慎み深さというものがない。大胆にも教え、論争に耽り、悪魔払いを行い、治癒行為をし、洗礼さえ授けている。」

正統派は「女には教会で話すことも、教えることも、洗礼を授けることも、聖餐を授けることも、男性のいかなる機能に参与することも許されない。ましてや聖職につこうなどということは、決して許されない。」と教会規定を設けて教会での女性の発言を封じました。
女性は神学を学んだり教えたりすることから締め出されてしまいました。聖書は男性に向かって書かれ、男性によって翻訳され、男性によって注釈がかかれ、男性によって説教されてきました。

正統派(オーソドックス)による国家の力を背景に異端とされたキリスト教の諸派は徹底的に弾圧されました。6世紀には膨大なグノーシス派の文献はほぼすべて破棄され失われてしまいました。

それが、1500年経ってから現代に突然、失われたトマス・ユダ・マリアの福音書が現代によみがったのです。
バランスを取り戻すために女性性が表に出ようとしているかのようです。

キリスト教の結婚式で妻たる者よ、主に仕えるようにと「エペソ人への手紙」が読まれます。そして続いて「この奥義は大きい」とでてきます。

結婚式は奥義(ラテン語でサクラメント)なので1度結婚してしまえば教会の規則では離婚できません。
本来の奥義は霊的なもので神の国との一致のことでした。

自己の本質こそが神の国でありそれがグノーシスだったのです。
それは奥義なので一度、自己の本質を知ってしまうともう後には(離婚)戻れないのです。
2018/12/26

黒い聖母

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ヨーロッパ各地で約450体の黒い聖母マリア像が存在してます。
ブルゴーニュの黒い聖母崇拝の中心地で生まれたクレアヴオーの聖ベルナール(1091〜1153)はシャティヨンにある黒い聖母の像の胸からこぼれ落ちた母乳を三滴飲む霊的体験を幼少時に受けたと伝えられています。
聖ベルナールはマグダラのマリアと同一視したベタニヤのマリアへの忠誠をテンンプル騎士団に規則としてあたえました。テンプル騎士団が崇拝したといわれるバフォメット(Baphomet)はソフィア(Sopia)を暗号化したものといわれています。黒は古代の知恵の象徴でした。

テンプル騎士団はコンポスティーラの巡礼地を保護しました。巡礼地に沿ってテンプル騎士団の支部と黒い聖母崇拝の教会が点在しています。フランスの出発点のヴェズレーはマグダラのマリアの崇拝が盛んな場所で黒い聖母の聖地ともなっています。黒い聖母はテンプル騎士団が崇拝しマグダラのマリアと古代の智慧と関係していました。

アルトエッティングは「バイエルンの(信仰の)心臓」と呼ばれ年間100万人の巡礼者が訪れるドイツで最も知られた巡礼地です。巡礼の目的は「黒い聖母」です。

中世パリのサンジェルマン教会には1514年まで黒いイシス像を聖母マリア像として飾られていました。シチリア島ではマリアの聖母子像のかわりにデメテルの母子像を奉る事が許されていました。母が子を抱くイシスやデメテルの像はマリアの聖母子像に似ていたのでキリスト布教初期には同一視されたのです。

ギリシア神話に登場するデーメーテールは地母神の神格を受け継いだ穀物をつかさどる豊穣女神です。ギリシア語のDeは三角形のdeltaのDeで「女陰を表す文字」でmeterは「母親」の意味です。デーメーテールの古い異名はメライナ(黒い者)で黒い衣服に身を包み頭に蛇がからみついた姿をしていました。デーメーテールの古い祭儀の場所は洞窟や、丸天井式地下納骨堂で入り口が三角形で通路が膣状で短く、丸天井になっていました。暗い洞窟も丸天井も女神の子宮を表しています。そこで死と再生の祭儀を行っていたのです。

フランスの巡礼地として古くから聖母マリア信仰が栄えたル ・ピュイ・アン・ヴレイの聖母も黒いマリアです。スイスのアインジーデルンのベネディクト会修道院、ヨーロッパのピレネー山脈東部、プロヴァンス地方の山間部の教会やブルターニュ地方ギャンガン、スペイン・カタルーニャ地方のモンセラートにも黒いマリア像が置かれています。それらはかつてケルト以前から続く古代の聖地だった所です。

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黒い聖母崇拝は古代の地母神信仰の痕跡で常に癒しの水や川の合流点、火山など、大地のエネルギーと関係していました。穂麦のマリア、マリアの泉、ブナの聖母、満月に照らされている泉は若返りの力があるなどの聖母マリアの伝説はヨーロッパ中にあります。キリスト教以前の古代ヨーロッパの地母神信仰はマリア信仰に取って代わったのです。

古代母権社会の大地母神キュベレは、大きな黒い石の姿でローマのパラティン丘の神殿に据えられていました。地母神を受け継ぐアルテミス神殿のご神体は黒い隕石でした。

北アフリカの紅海沿海地方トログロデュタイ人の女たちはとても念入りに黒化粧をしました。黒く化粧をするのは豊穣の大地を表し、昼を生み出す夜の闇と結びついていました。エジプトのイシス、フリギアの大地母神キュベレとその神格を受け継いだアルテミスも肌が黒く塗られていました。アルテミスは月の女神ディアナでもありました。

闇に落ちた人間の罪を救うのは闇夜に輝く月の女神でした。中世の男性社会の罪から救う力があったのは古代の地母神信仰を受け継いだ黒いマリアだったのです。

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