2017/07/15

厳島神社

宗像三姉妹を祀っている広島の厳島神社と奥社・弥山の御山神社を参拝してきました。

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世界遺産ということもありアジアと西洋人の観光客で賑わっていました。

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長崎県上対馬町の厳島神社の記載によると、「厳島弁才天という神は、本来は宗像の女神、市杵島姫で、沖ノ島の祭神であったのが、仏教と習合して弁才天となったもので、安芸の宮島(厳島)が有名になった」とあるように厳島神社と大願寺は一体となってイチキシマ姫を祀っていたようです。


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イチキシマ姫(市杵嶋姫)は記紀でアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)の時に生まれたとされる宗像三女の一人です。

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誓約で生まれた男性のアメノオシホミミ(天忍穂耳命)とアメノホヒ(天穂日命)はアマテラスの子供になり三姉妹はスサノオの娘となっています。天孫族のアマテラスは父系で出雲のスサノオは母系を表しているようです。

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海部氏の勘注系図によると、イチキシマ姫(市杵嶋姫)の別名はサデヨリ姫(佐手依姫命)、息津嶋姫命、ヒコイラツ姫(日子郎女神)となっており押穂耳(オシホミミ)の第三子のアメノホアカリ天火明と結ばれてアメノカグヤマ(天香語山命)の妻となるホヤ姫(穂屋姫)を生んでいます。

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また先代旧事本紀によるとアメノホアカリ(天火明)はオオナムチ(大己貴神)の娘アメノミチ姫(天道日女命・別名 高照姫命)を娶ってアメノカグヤマ(天香語山命)を生んでいます。

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ホツマではアマテルとハヤコの間に生まれた三つ子、タケコ(奥津島姫)・タキコ(江島姫)・タナコ(市杵島姫) の三姉妹の一人です。タケコ(奥津島姫)は、多賀近江の大己貴命(おおなむちのみこと)の妻となり、タキコ(江島姫)は、香具山祇命(かぐやまつみのみこと)の妻となり、タナコ(市杵島姫) は、息吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)の妻となっています。

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家系図を残す社会は男性の嫡子をたどる男系なので家系図は女性の名前がありません。ところが母系社会では母から娘なので逆に父親という概念がありませんでした。
系図を書いた人も読む人も頭が長男をたどる男系になっています。
そのために古代日本は母系社会だったので古代日本の系図は父系と母系が混在してわかりにくくなっています。
大国主は役職名なので卑弥呼のように女性だった時代もあるはずです。

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三姉妹を祀る神社の中で市杵嶋姫を祀る神社だけがダントツに多くなっています。

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松尾大社の祭神は大山咋神と共に市杵島姫命だけが祀られています。市杵嶋姫は弁財天と集合して安芸の宮島をはじめ江ノ島、金華山、天河、琵琶湖の竹生島に祀られていました。

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2017/07/15

宗像大社

福岡に午後到着したその日、車を走らせていたところ、 突然目の前に宗像大社が現れました。それも閉門15分前でした。

宗像大社はその日行く予定ではありませんでしたが、すぐに、車から降りて参拝しました。人払されていたかのように、ほとんど参拝客がいませんでした。

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イチキシマ姫はイツクシマ(斎く島)の転訛でオキツシマ姫ともされていて最初は沖ノ島に祀られたのが宗像大社の始まりのようです。田島の辺津宮に三女神が合祀されたのは奈良朝末、光仁天皇の時代とされています。

イチキシマ姫はアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)の時に生まれたとされる宗像三女神ですが三女の中でも特にイチキシマ姫は出雲族と関係が深く、八重垣神社の板壁にはスサノオとクシイナダ姫アマテラスと一緒に唯一イチキシマ姫だけが描かれています。

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宗像郡と福岡市にはスサノオゆかりの社が多く、対馬の神社も出雲系の神社が3割を占めています。

古事記に「津島(対馬)のまたの名を天狭手依比売という」記述があり、イチキシマ姫は沖ノ島の神であると同時に対馬の女神だったようです。

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アマテラスの五男三女を祀る神社の中にイチキシマ姫の名がなく代わりに「サヨリ姫(狭依毘売命)」が入っていることもあります。

海部氏(あまべうじ)の勘注系図でも、イチキシマ姫(市杵嶋姫)の別名は佐手依姫命とあるので、海部氏、尾張氏の祖神でもあります。

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イチキシマ姫は水の神さまとしても有名でよくミズハノメ、ヤツハノメと一緒に祀らています。静岡県磐田市の水神社はミズハノメとイチキシマ姫を祭神としています。

和歌山県のかつらぎ町の「丹生都比売神社」では第四殿にイチキシマ姫が祀られています。松尾大社ではオオヤマクイと並んでイチキシマ姫が祀られていました。オオヤマクイの神社にはよくサルタヒコの名が一緒に連ねています。スサノオとニギハヤヒ、オオヤマクイとサルタヒコそしてイチキシマ姫は関係があります。

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全国のイチキシマ姫ゆかりの神社を参拝しているうちに最初はおぼろげだったイチキシマ姫の姿がいつの間にか浮かび上がってきました。

宗像大社を参拝した後の7月9日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は世界遺産となりました。

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2017/07/15

宇佐神宮

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全国にある神社数11万社のうち三分の一以上の4万社が八幡社です。源義家は石清水八幡宮の神前で元服し、八幡太郎と名乗りました。八幡宮を氏神として頼朝が鎌倉の地に移したので八幡神は武士の守護神と思われるようになりました。その八幡社の総本社が宇佐神宮です。

宇佐八幡宮の由緒では、八幡大神(応神天皇)、比売大神(宗像三女神)、神功皇后(応神天皇の皇后で新羅征伐説話で知られる)を祭神としています。

比売大神の名前と宇佐神宮の創立は記録がないので謎となっています。

八幡大神を応神天皇の神霊とする記述は『古事記』『日本書紀』になく蘇我氏の時代の570年に宇佐神宮の創祀に関わった大神比義(おおがのひぎ)が神がかり「我は誉田天皇広幡八幡麻呂(応神天皇)なり。名を護国霊験威身神大自在王菩薩という」と託宣したという平安時代の記録が最初です。

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応神天皇14年(283年)の時代に大陸から弓月君1万人規模の秦氏一族が渡ってきたという日本書紀の記録があります。八幡ヤハタは秦氏のハタであり、八幡神は豊前国(福岡県の東部と大分県の北部 中津市・宇佐市)に移り住んだ秦氏が祀った氏神と言われています。



さて宇佐神宮に応神天皇と神功皇后が祀られていますが歴代の天皇の中で大社に祀られた天皇は明治になるまでいませんでした。そして宇佐神宮に八幡神として祀られている応神天皇の父で神功皇后の夫の仲哀天皇の名前がなく武内宿禰が祀られています。



古事記によると物部の娘と8代孝元天皇の間に生まれた息子と紀氏の先祖宇豆比古の妹の間に生まれたのが武内宿禰と言われています。そして武内宿禰は蘇我氏の先祖とされています。

宇佐神宮には14世紀の南北朝の戦乱によって荒廃するまで巫女が八幡神をチャネリングして宣託するシャーマニズムの伝統がありました。神功皇后もチャネラーでした。

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聖武天皇の病気を平癒したり大仏造立の成就を託宣した宇佐神宮の巫女達は748年朝廷から30階ある官位のうち外従五位を授かっています。



翌年宇佐神宮の禰宜尼(神に仕える禰宜と仏に仕える尼の称号)の大神朝臣杜女(おおみわのあそんもりめ)が神の代理として天皇と同じ紫色の輿に乗り、東大寺に赴いて大仏を拝しました。



これは八幡神が仏教に帰依したことを意味していました。八幡神は八幡大菩薩という称号をえて仏教と習合していきました。

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八幡大神を祀る社殿が造営されたのは娘の光明子を聖武天皇の皇后にした藤原不比等の時代でした。このあと物部氏の痕跡は消されていきました。



769年には宇佐神宮を舞台にした有名な弓削道鏡の神詔事件が起きています弓削道鏡の出身地は八尾市弓削でした。八尾は物部の本拠地だった場所です。


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宇佐神宮の社記によると八幡神が顕れる以前に祀られたのは比売大神で三女神が天降ったのがこの宇佐島だとされています。


宇佐神宮の歴史の最初は太古の昔から祀られていた比売大神で、八幡大神が出現したのが6世紀後半で、八幡大神と比売大神の社殿が建立されたのが八世紀前半、神功皇后が祀られたのはそれから約100年後の823年ということになります。

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772年に罷免されまで古代の宇佐神宮の神官をしていた辛嶋氏はスサノオとイソタケルを先祖としていました。宇佐氏の祖先は「天照大神の二人の姫神」と記録されています。

そして宇佐市の神社の四割近くがスサノオとオオトシで占められています。ここは昔出雲族の勢力下にあったのです。

宇佐神宮に最初、祀られていた神とはスサノオ親子、比売大神はアマテラスとイチキシマ姫の母娘だったように思われます。比売大神とは卑弥呼と台与のような女王だったのでしょう。

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2017/01/06

瀬織津姫の名が残された氷上神社

初詣は瀬織津姫を祭神とする氷上神社を参拝してきました。
岩手県は瀬織津姫を祭神とする神社が日本で一番多く36社あります。

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参拝した奥州市の氷上神社は陸前高田市の氷上神社から分霊された神社です。ところが本社の祭神は天照大神で分社の瀬織津姫の名はどこにもみあたりません。瀬織津姫の名前は消されてしまったのです。氷上神社の本社は祭神を変えましたが分社はそのままだったのでこの神社に瀬織津姫の名が残っていたのです。

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瀬織津姫は人間の罪と穢れの一切を祓い潔める祓戸の神として大祓の祝詞に登場する女神です。
神道の儀式は祓い清めにあるので瀬織津姫は大変重要な女神です。ところが古事記・日本書紀には全く名前が記されていないのです。瀬織津姫はときの権力者によって意図的に隠された女神なのです。
氷上神社は初めての参拝です。昔は「日の神」と言っていたようです。無資格の神社なので地図に出てきません。住所近くのお年寄りは知りません。お巡りさんも知りませんでした。

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村社の宮司さんに聞いてようやくわかりました。氷上神社の鳥居が朽ちて参道は荒れていました。山道を20分以上歩いた山の頂上付近に氷上神社は鎮座していました。正月は初詣で賑わう神社ですがここは野鳥が鳴いているだけで訪れる人が誰もいません。瀬織津舞を奉納しました。

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明治の頃、地域の人々の信仰対象だった神社は中央集権的に村社・無資格の序列がつけられて強制的に神社が統廃合されました。このときに国津神から天津神に神名を変えた神社も沢山ありました。鎮守の森は欲望の対象となり木は売り払われ何万という無資格の神社が消滅しました。それでも産土神として村人に親近感をもって信仰されていた無格社の神社は存続していました。

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高度成長の60年代、TVが普及するようになって若者は物質的豊かさを求めるようになり農業をやめてお金を求めて都会へ働きに出るようになりました。村では人間関係が希薄になって祭りが行われなくなり田畑は荒廃していきました。熊との接近遭遇が増えたのも熊と都市との境界線だった里山の荒廃と関係しています。

里山の5割以上が無居住地化しつつあります。延々と縄文時代から継続してきた神々と自然と村人をやさしく包んでいた里山の共同体は消えていったのです。

本来神社は魂が再生されて生きていることの感謝と喜びが湧いて元気になる場所なのです。

ところが神社の注連縄(しめなわ)がビニールになったり、鎮守の森が消滅してコンクリートで覆われたりで、気の場が乱れて、聖地の機能が消滅している神社が多くなっています。

そして氏子が少なくなった神社は荒廃の一途をたどっています。すでに消滅した神社も多く、かろうじて残っている神社も訪れる人がいない神社は消滅の危機に瀕しています。神社が活力を失ってしまえば日本も衰退してしまうでしょう。
2016/11/23

おおあさ(大麻)

日本の神道は大麻がないと成り立たちませんでした。古代の人々は大麻に神霊が寄りつくと考えていました。
大麻は情報であるエネルギーを転写するのです。お祓いの時には大麻に祓戸の大神が寄りつきます。その筆頭の女神が瀬織津姫です。神社で鈴を鳴らしますがその「鈴緒(すずのお)」の縄も大麻です。大麻は罪や穢れや祓う神聖なものとされていました。

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神主の装束も麻で織っています。神道の穢れを祓う道具が大麻でした。社殿のない場所で祭儀を行うときの神籬(ひもろぎ)は榊(さかき)に折った紙を垂らす紙垂(かみしで)に麻をつけたものでした。
昔から大麻は穢れを祓う力があると信じられていたので伊勢神宮の御祓大麻(おはらいたいま )は何百万枚も配布されています。相撲では麻で編んだ太いしめ繩のことを横綱といっています。

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日本人は昔から麻糸でへその緒を切り、麻を素材にした弓弦、凧糸、かつおの釣り糸や漁網を使い、麻の茎の入った家に住み、麻の鼻緒で作った下駄を履き、麻布でできた着物や褌(ふんどし)を身に付け、麻の蚊帳の中で麻糸で作った畳の上で眠っていました。
天照大神が天の岩戸に隠れた時に八咫鏡(やたのかがみ)と眞経津鏡(まふつのかがみ)と大麻をかけた榊(さかき)を持ち、天岩戸が細めに開いた時天照大神に鏡を差し出したのが太玉命(ふとたまのみこと)別名大麻比古(おおあさひこ)でした。
天皇が「大嘗祭」において儀式のときに着用する神衣(かむそ)は麻の織物でできています。天皇の代が変わる時、新しい天皇は大麻で出来た鹿服(あらたえ)を着て神殿に一晩寝て天皇霊を受け次ぐ儀式をしていました。この鹿服(あらたえ)を天皇家に献上する家が「大麻比古」を氏神とする古代忌部(いんべ)氏でした。
出雲風土記では麻を蒔いた神としてアオハタサクサヒコ(青幡佐久佐彦命)がでてきます。八重垣神社の場所は昔佐久佐神社といいました。神社がある松江市佐草は昔、大草の郷と呼ばれ大麻が沢山茂っていました。

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饒速日命(ニギハヤヒ)を先祖とする穂積氏は仙台に麻の栽培を教えて青麻神社を建立しています。穂積(ほずみ)氏は鈴木氏の祖でもあり熊野三山の神職でもありました。日本はいたるところに大麻が沢山茂っていました。
ユダヤ教でも大麻は神聖とされていました。旧約聖書エゼキエル書第 44 章で「神殿に入るときには頭には亜麻布の冠をつけ、腰には亜麻布の袴をつけ麻の衣服を着なければならない。」と神は祭司に麻の服で聖と俗との区別つけるように指示しています。

大麻で芸能人が検挙されてよくニュースにでますが数多くの裁判を手がけた丸井英弘弁護士は大麻取締法は問題があるといっています。

大麻取締法で大麻の栽培、輸出入は懲役7年以下、所持、譲渡は懲役5年以下の罪に問われます。つまり大麻をただ持っているだけで誘拐と同じ悪質な犯罪とされてしまうのです。

ただし、テトラヒドロカンナビノール (THC)が含まれるのは葉と花冠なので繊維の素材となる茎や食用の種はTHCが含まれないので所持しても犯罪とはなりません。

大麻は幻覚性や中毒性があり危険な麻薬と思っている人が多いですが大麻には致死量がなく大麻摂取による死亡例は報告されていません。

法律を作って市民を保護する利益・権利のことを保護法益といいますが大麻取締法は、窃盗罪や傷害罪のような被害者が存在しません。

関係者の証言を聞いても大麻の作用は心身をリラックスさせるだけで犯罪性も反社会的な要素はなく憲法第一三条で保障された幸福追求権を否定した違憲なものであると丸井英弘弁護士は考えています。

厚生省や警察等取締当局や裁判所は「国民の保健衛生上の危害の防止」と説明していますが酒やタバコも有害なので為政者が恣意的に用いればすべて取り締まりの対象になってしまいます。

大麻取締法はきわめて保護法益が不明確なのです。つまり法律が成立する合理的妥当的な根拠がないのです。

最近のMRIなどを使用した医学的研究ではアルコールやニコチン、コカインよりも大麻が有害だと立証できなかったとされています。大麻が暴力や攻撃性、非行などの主因となるという事も否定されています。

ただし、ヘロインのような物理的な中毒性はなくともチョコレートのような心理的依存性があり煙による害もあるので大麻が全くの無害ではないことはお断りしておきます。

私は呼吸法のファシリテーターなので恍惚や陶酔に導く変性意識状態は煙を吸わない呼吸の方が健康的だとおもってます。
大麻取締法は占領米軍GHQによって1948年に制定されました。その当時のアメリカは大麻を規制していたのです。

大麻を規制した理由は1937年にアメリカで「大麻課税法」が制定されたように綿花の栽培業者、衣料の原料である合成繊維の石油業界、製紙の原料のパルプ業界の保護にあり大麻の禁止には経済的な理由がありました。

大麻は荒れ地や干ばつでも成長し、肥料や農薬も必要としません。大麻からは紙と建材が作られ土で分解するバイオプラスチックも作ることができました。麻の繊維から丈夫なロープも作れます。

中国では昔から鎮静の漢方薬として使われ、最近は緑内障、ガン、アルコール依存、アルツハイマー、鬱病の治療に注目を浴びています。

大麻は食料、油、衣服、紙、建材、薬として日本でも自給できる有益な植物ですが現代社会は不当な扱いをしているのです。

戦後、GHQの指導で大麻取締法という法律が出来て以来大麻は麻薬として取り締まりの対象になってしまいました。
終戦後、全国に600社あった大麻神社も改名を迫られましたが当時の神社庁と関係者は断固拒否して改名はなんとかまぬがれました。

しかし戦後の大麻栽培は犯罪と結びつくイメージが出来てしまったことと木綿に押されて日本の大麻産業は著しく衰退してしまいました。

繊維取得用に開発された大麻草(品種名:トチギシロ)は薬理成分テトラヒドロカンナビノール (THC)が含まれませんが栽培は大麻取締法のために認可制となっています。

今年の出張先は大麻関係の人々とよく出会いました。まるで麻の精霊が地球偶然一致制御局で仕事しているかのようでした。

丸井英弘弁護士インタビュー
http://www.asahi-net.or.jp/~is2h-mri/pent.html
大阪おおあさ自由学校事務局
http://ooasajg.blogspot.jp/p/blog-page.html
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