2016/12/27

古代日本のピラミッド クロマンタ

秋田県鹿角市大湯のストーンサークル北東2キロのクロマンタ山はピラミッドと言われています。
古代日本のピラミッドについて書かれた古文書があります。

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超古代の日本は世界の政治、文化の中心地で天皇は天之浮舟(あまのうきふね)にのって世界中を巡航し世界の人々から崇敬されていたという竹内文書です。
天皇を中心として日本が世界の盟主となる世界観は日本人に過剰な自尊心をもたらす効果がありました。昭和の二二六事件を起こした皇道派の青年将校や大本教と袂を分かち日月神示に関与していた矢野佑太郎は竹内文書に強い関心を持っていました。

天皇中心の国家体制を唱えて昭和維新を目指した皇道派にとって竹内文書は自分たちの行動を正当化するのに都合が良かったのです。その後、二二六事件で皇道派は一斉され竹内文献を保持していた竹内巨磨は不敬罪で逮捕されました。
竹内文書の近辺には変わった人々が多く、その中に酒井勝軍(さかいかつとき)がいました。

酒井勝軍は元キリスト教の牧師でユダヤ民族の研究で中東・パレスチナから帰国すると竹内巨磨と会いピラミッドが日本で発祥した説を唱えて「太古日本のピラミッド」を出版しました。

1932年(昭和7年)に発見された大湯のストーンサークルの発掘の指揮をしたのは当時の村長だった諏訪富多です。彼は昭和十年に青森を訪問した竹内巨磨や酒井勝軍のほか戸来村のキリストの墓伝説を広めた山根キクや青森出身の日本画家の鳥谷幡山と親しく行動を共にしていました。

竹内文書は内容が荒唐無稽すぎることと、研究家も怪しげな人物が多いので、まともに相手にされていませんがクロマンタ山が古代の祭祀遺跡なのは確かなようです。
同志社大学に本部がある環太平洋学会という学術会議が平成3年から4年間かけてクロマンタ山を調査したことがあります。
その結果わかったことはクロマンタ山が七段から十段に及ぶテラス状石積遺構によって造られた、人口ピラミッドであり、山頂部に七段のリング状に配石された祭祀遺跡があることがわかったのです。
昭和17年に「ピラミッドクロマンタ山」を訪れた鳥谷幡山が山頂に突如現れた光を見て描いたスケッチを諏訪富多は所持していました。

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クロマンタ付近の住民もクロマンタ山頂で光を見たことがあると証言しています。貴重な鉱脈がある場所からは光が現れるという言い伝えが昔からあります。最近ではUFO目撃情報もあります。

聖地で奇怪な音を聞いたり奇妙な光を見たりする目撃情報は世界中にあります。その場所を調べてみると古い地層や断層があったり、重力の変化や局地的な電磁場異常の場所が多いのです。脳の側頭葉部分は電磁場に敏感で異常があると幻聴 幻覚が起きることが知られています。

多数の岩石が圧迫されて圧力が生じている場所には圧電気が生じています。クロマンタ山も石組によりおそらくなんらかのエネルギー現象が発生していたのかもしれません。
それからピラミッドの形はエネルギーを増幅させる力があることが知られています。1959年にチェコスロバキアでピラミッドの型をしたカミソリ刃再生装置で特許を取った人物がいます。

ピラミッド形の頂上ではエネルギーが螺旋状に上昇することが報告されています。
クロマンタの山頂部から縄文土器と立石が出土していますがそれは石英結晶が多量に含まれている「石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)」でした。

聖地にある岩石はその結晶構造の組み合わせと太陽と月惑星の位置によって場のエネルギーの増減が起きるようになっています。
そこでは強い高揚感とリラックスが同時に起きて無意識の中から深い感情が湧き上がります。自我の境界が溶けて自然と一体となる変性意識状態がおきやすくなるのです。

クロマンタ山でイニシエーションが行われていたのでしょう。
数年前にクロマンタ山の頂上で野宿した時にカミさんはヴィジョンを見ています。松明を掲げてクロマンタ山に登った古代人が頂上に現れた不思議な光を仰ぎ見る祭儀をしていたのです。

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古代遺跡は夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日没の場所にありました。
クロマンタ山もまた冬至と夏至の太陽運行の直線上に神社が配置されていました。
ただ、すべて5度ほど角度がずれていました。

5度のズレは紀元前3000年頃の北極星だったりゅう座α星の位置と一致します。
現在はこぐま座α星のポラリスが北極星です。
つまりクロマンタ山は約5000年以上前の古代遺跡だったのです。
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2016/12/27

冬至のストーンサークル

12月21日は冬至です。夏至や冬至そして春分や秋分の太陽の方位に合わせて作られた古代遺跡が世界中にあります。

太陽の力が最も弱くなる日が冬至です。冬至の翌日が新しい年の始まりなのです。古代の人々は太陽の恵みに感謝して、世界の安定と繁栄を祈り冬至に祭祀を行なっていたのでしょう。BC2500年頃に祭儀が行われていたイギリスのストーンヘンジでは現在も夏至や冬至に日の出を見ようと毎年大勢の人々が押し寄せています。

秋田県鹿角市大湯に日本最大の環状列石ストーンサークルがあります。直径52メートルの万座遺跡と130メートル離れた野中堂遺跡は直径44メートルあります。この二つの遺跡の中心部を結んだ線上に冬至の日の出と夏至の日の入りが起きるようになっています。

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そして大湯のストーンサークルの北東2キロにピラミッドと言われるクロマンタ山があります。環太平洋学会という学術会議が平成3年から4年間かけてクロマンタ山を調査したことがあります。

その結果わかったことはクロマンタ山が七段から十段に及ぶテラス状石積遺構によって造られた、人口ピラミッドであり、山頂部に七段のリング状に配石された祭祀遺跡があることがわかったのです。

そしてクロマンタの山頂部から出土した立石は大湯ストーンサークルと同じ場所から持ち込まれた組石でした。クロマンタ山の冬至と夏至の太陽運行の直線上に神社が配置されていました。大湯ストーンサークルとクロマンタ山ピラミッドはストーンヘンジを凌ぐ巨大な祭祀場だったのです。

山の頂上と古代遺跡が直線で並んでいる古代遺跡が世界中にあります。その場所には仏教寺院やキリスト教の教会の場合もあります。寺院は古代遺跡の後に建てられたのです。

その場所は夏至・冬至・春分・秋分の太陽の位置を正確に示していました。キリスト教の聖人は聖地で祈り断食して変性意識状態(サトルの領域)に入り天使と語りました。

ストーンサークルに使われている組石は石英結晶が多量に含まれている「石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)」です。石英の結晶は約453キログラムの圧力が掛けられると2万5千ボルトの電圧を生じる性質を持っています。

地震が発生する時の岩石の電磁波パルスを動物や植物は敏感にキャッチ します。サンフランシスコ地震が発生する前にマリン郡のタマルペーズ山で冬の間中、重い地鳴りのような音を聞いていた人がいます。そこは蛇紋石が露出している磁力異常のある地域でアメリカインディアンの聖地でした。

脳の側頭葉部分は、電磁場に敏感なことが知られています。地震の時に発生する電磁波を感知してそれが耳鳴りとして聞こえる人がいるのです。

石英の岩石を輪に配置してストーンサークルを組石するとそこに磁場の変化が起きます。エジプトの大ピラミッド、イギリスの古代遺跡、フランス、ブルターニュ地方のカルナックの巨石建造物は磁気を帯びた石を組み合わせて建造されていました。

人間は磁場の変化を感じ取る能力があるので、そこでイニシエーションを行うことで日常意識を超えた世界に入ることができたのでしょう。

人間も含めて、すべての生物はシューマン共鳴とよばれる母なる地球が発生する電磁場とつながっています。

このシューマン共振はずっと7.8ヘルツでしたが1980年頃を境に、徐々に上昇を始め2000年に13ヘルツを超えたということです。もし、地球の電磁場の周波数がそのまま上昇すれば人々に意識の変化をもたらす可能性があります。

冬至の今日、大湯のストーンサークルとクロマンタ山ピラミッドに行ってきました。人払いがされていて誰もいませんでした。
2016/11/23

縄文土器

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縄文人はドングリを主食にしていました。遺跡からドングリをすりつぶす道具である大きな石皿やすり石が発掘されています。
縄文人はドングリを割って中身をすりつぶして粉にして、それを流水にさらしてアクを抜いて乾かして保存して、それを団子にして土器で加熱して食べていたようです。
米の生産量は一反あたり178キロと言われていますがどんぐりの生産量は一反150キロになるので収穫量は米とさほどかわりません。稲作は田植えから水管理、稲刈りまで汗水たらして働かなければなりませんがドングリはほっといても勝手に実がなります。一週間ほど山に出て拾えば1年分の主食を蓄えることができました。
縄文の住居跡からは炭化している木の実が混じったパンやクッキー状のものが発掘されています。蜂蜜をつけると現代ではおやつになります。

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縄文人は世界に先駆けて土器を発明して煮るという調理法を編み出しました。熱を加えることで殺菌され有毒物やアクが分解され堅い繊維の植物は柔らかくなるので、いままでに食べられなかった食物の種類が大量に増えることになりました。
縄文中期になると蒸し器も登場して煮るだけでなく蒸す調理法も発達しました。

今から約5500年〜4000年前の間、主に東北北部から北海道南部にかけて分布していたのが円筒土器です。盛岡から南を境にして分布しているのがずんぐりした形の大木式土器です。縄文時代前期~中期の盛岡はこの二つの文化圏に挟まれていました。

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海岸近くでは、魚貝や山菜や栗、クルミなどが入った鍋料理を楽しんでいたと思います。もちろん化学調味料などの食品添加物ははいっていません。天然の味を楽しんでいたでしょう。

最近の研究では縄文人の寿命は以外と長く65歳以上が3割もいたようです。体に障害を持って働けなかった人も大切にされて長生きをしていました。

諏訪地方の縄文人は周辺地域が稲作をしていても最後まで稲作を拒否していました。木を切り土地を耕さなくともドングリで楽に暮らせていけたからでしょう。

狩猟採集民にとっては森が神でありすべてでした。人間と動物は等しく、人間が動物になり、動物が人間に自由に姿を入れ変える事ができました。動物は兄弟であり植物は姉妹でした。 シャーマニズムの世界では、物質世界と霊の境界は流動的で切り離す事はできませんでした。




稲作習慣をもった人々が多くなると森を伐採して耕地面積を広げていきました。

しかし唯一木を切ってはならない場所がありました。それが縄文の人々が信仰の対象にしていた神聖な森でした。のちにそれが神社の鎮守の森になったのです。

しかし、近代合理主義の明治時代になると樹木は神聖さを失い単なる商品価値におとしめられました。森林は欲望の対象になり鎮守の森は売り渡されました。

南方熊楠の神社合祀反対運動
http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata104.jinja.html

ブナやクリなどの広葉樹などは大規模に伐採され、生き物の餌となる木の実が激減して獣は姿を消していきました。安田喜憲の花粉調査によると、ギリシャ文明と森の消滅はほぼ正比例しているといいます。

世界四大文明もまた木を切って森が消えたために文明が衰え、滅んでいきました。

命のネットワークからみれば森林破壊は自分の身体を破壊することに等しいのです。生態系全体が崩壊しつつあることの意味を私たちは理解していないようです。

森が消え、クマや小鳥が消えてゆくのは他の生物を巻き込んだ人間のゆるやかな自殺行為です。人工的な世界に囲まれて暮らす私たちの身体感覚は鈍くなっています。いのちの輪が見えなくなっているのです。
2016/10/12

神遊び

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先日、行われた早池峰夜神楽にいってきた。古代の人々は神が顕現する場所にしめ縄をはり供え物をして感謝の祈りを捧げた。神楽も神様を迎える場所に神の依代である神籬(ひもろぎ)を立ててそこで舞う。以前に神楽を舞っているお年寄りから神楽は「神遊びだ」と聞いたことがある。


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山の幸や畑の豊作を祈願する「シヌグ遊び」「海神祭(ウンジャミ)」などの行事の神踊りを沖縄では「遊びピラモト神」や「縄遊び」と呼び昔は単に「あしび(遊び)」といった。
沖縄の「あしび(遊び)」とは祭りの場の呪術的な歌舞のことを指していた。
巫女の巫という字は天と地をつなぐ中心のまわりで踊る人を表している。
神歌を歌いながら円陣を踊るうちに巫女はトランス状態に入り神になるのである。
久高島のイザイホーの巫女の歌舞もすべて「遊び」と称していた。
アメノワカヒコが高天原の神々の命令に背いたので矢で射殺される神話がある。アメノワカヒコの妻子家族は八日八夜歌舞飲食をして遊んだと古事記に出てくる。古代には遊部という役所もあった。


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魂を慰め霊を弔うことが鎮魂と解釈されているが本来の鎮魂は「ツミ」「ケガレ(穢れ)」を払い魂を再生させることだった。
遊びは魂を失って病的な状態にある者に元気を吹き込んで魂を再生させることにある。それが古代の鎮魂法だった。
神遊びといえばインド哲学のリーラという言葉が浮かぶ。この世は神が作ったマーヤー(幻影)でありそこに神自身が降り立ち、遊ぶことを「リーラ」と呼んだ。
神はこの「マーヤー」で遊ぶために記憶をたち自分で自分が神であることを忘れた。その記憶喪失の神を人間という。
困難なことがあるとつい深刻になってしまうがこの世のすべてはリーラ(神の遊び)なのである。
2016/10/12

麻のドリームキャッチャー

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辰巳さんからご縁をいただいた神戸の佐々木真紀さんから麻糸でつくった麻の葉柄のドリームキャッチャーを送っていただきました。

アメリカインディアンのオジブワ族に伝わるお守りですがそれが麻でできているのです。

日本の神道は大麻と切り離すことができません。神道儀式は、大麻がないと成り立たちませんでした。昔から麻は穢れを祓う力があると信じられていたので伊勢神宮の御祓大麻( おはらいたいま )は何百万枚も配布されています。

神社でお祓いをする祓串(はらえぐし)に使われているのも大麻です。神社で鈴を鳴らしますがその「鈴緒(すずのお)」の縄も大麻です。社殿のない場所で祭儀を行うときの神籬(ひもろぎ)は榊(さかき)に折った紙を垂らす紙垂(かみしで)に麻をつけたものでした。

島根県松江市の八重垣神社は観光客で賑わっていますが昔の名前はアオハタサクサヒコ(青幡佐久佐彦命)を祀る佐久佐神社といっていました。アオハタサクサヒコ(青幡佐久佐彦命)は出雲風土記に麻を蒔いた神として出てきます。八重垣神社の場所は昔、大草の郷と呼ばれて麻が沢山茂っていたのです。麻は大切な植物でした。

日本全国いたるところで麻が植えられていました。大麻はあらゆるところで使われていたので日本人の生活の中に溶け込んでいました。

ところが戦後、突然GHQの指導で大麻取締法という法律が出来てから大麻は麻薬として取り締まりの対象になってしまいました。麻糸の技術をもっていたお年寄りも次々と他界して麻の伝統技術は壊滅状態になってしまいました。麻が手に入りにくくなったのでかわりにビニールが使われている神社も多いのです。

風前の灯火のような日本の麻文化の状況ですがバランスを取り戻すかのように麻に関心を持つ人々が増えてきています。私もカミさんが縫ってくれた手作りの麻のふんどしを締めています。麻のふんどしを締めるとパンツは気持ち悪くてはけなくなりました。