2017/01/27

魂の暗夜

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探求の旅で急激な意識の変容が起きると16世紀のキリスト教神秘家十字架の聖ヨハネが語った「魂の暗夜」とよばれる魂の危機を経験します。

この危機の「機」は機会(チャンス)の機でもあります。この危機を通過することにより新しい意識の次元が現れます。

しかし、今までの人生で困難で受け入れがたい経験、恋愛の破綻、親しい人との死別などの人間関係の喪失、経済の破産、計画の失敗、挫折などを受け止めずに避けてきた人は欲圧されたエネルギーが蓄積されているので、「魂の暗夜」の最中に否定したエネルギーが再浮上してくるのです。

この探求の旅のプロセスは次のようになります。



1.セパレーション

今まで身につけていた偽りの自我がまわりの環境と合わなくなり葛藤が強くなって自我がゆらぎます。いままでに築き上げてきた物質的なもの、人生に価値があると思っていたもの、すべてが意味を失っていきます。

今までの古い自我を脱ぎ捨てることが起きます



2.イニシエーション

古い自我の境界を超える時にしまい込まれた過去の辛い記憶や否定的な情動と出会います。

シャーマンは地下世界へ旅たち、すさまじい拷問や試練を課す悪魔たちの攻撃を受ける経験をします。古事記のオオナムチは根の国へ行って苦しい困難な試練を受けます。

その葛藤をあるがままに受け入れることで未知の経験をします。自我の境界が溶けだし、通常の時間と空間の感覚を消失します。

超自然的なサトルの領域に入り、光と闇、善と悪、賞賛と嘲罵の相克の中で世界の創造と破壊のヴィジョンが現れます。



3.リターン

混乱の時期を過ぎると神と溶け合う経験をします。神と融合した「聖なる結婚」に至ります。

この経験は見る事も理解することも表現出来ないので6世紀の聖ディオニシウスは「神の暗闇」といいました。

十字架のヨハネは暗闇について魂はそれを識別することも命名することも出来ない。それを理解する事も説明する事、知らせる事も出来ない、語り得るような概念を形成することも出来ないと言っています。



マインドが停止したとき神と出会うのです。見る事も理解することも出来ない神との合一をどうやって理解するのかという問いに聖テレジアは「神のみが与えることが出来る心のうちに残された確信によって」と答えます。



偽りの自分から、ゆるぎない本当の自分に戻ります。
永遠の命と至福という宝物を手に入れるのです。

新しい自我を得て故郷(日常世界)に帰還します。古事記の英雄神話でオオナムチは試練を乗り越えスセリ姫と結婚をして人間界に戻り中つ国の王となります。

探求の旅は驚きと至福と美しさに満ちています。それと同時に困難と危険な旅でもあります。恐怖と悲しみと不安、深淵な虚無の暗黒が待ち受けています。探求の旅では目の前に繰り広げられる冒険に魅了される自我から影響されない自覚が要求されます。

日常の覚醒意識(グロス・粗大)浄化、夢を見ている状態(サトル・微細)照明、熟睡状態(コーザル・原因)合一、この3つの意識状態を通してどの段階にも影響されないのが観照者(プルシャ・アートマン)です。

夢を見ている(サトル・微細)段階では日常の覚醒意識はありません。眠っていて夢の中で起きる印象に巻き込まれたままです。観照者が目覚めていると眠っていても覚醒夢を見る事が出来ます。

熟睡状態では日常の覚醒意識は眠っているのでわかりません。熟睡状態(コーザル・原因)は無限の空間、空間を持たない空間、永遠の時間、時間がない時間、はてしない沈黙、今ここだけがあります。マインドは眠っているので精神的な喜びや至福を感じる事はありません。この沈黙をキリスト教神秘主義では暗闇と表現したのです。観照者が目覚めていなければコーザル(原因)の状態を知る事はできません。

観照者は3つの意識状態のどの段階にも存在しています。ですから瞑想の訓練をつんでいない人でも観照者を直感的に把握することは誰でもできるでしょう。自分が存在していることを知るのに時間は要らないのです。誰でも即座に知る事が出来るのです。本当は秘密などなく常にオープンにされていて隠されてはいないのです。
自分で目隠ししているだけなので自分で気がつけばそれはいまここにいつもあります。


偽りの自我が消えるとたちまち
光に照らされた朝もやのように
罪と悲しみは
百合たちの間にかすんでいくのです。

(百合はキリスト教で神への深い信頼、純粋さを象徴します)




The Dark Night of the Soul 魂の暗い夜

by Saint John of the Cross 十字架の聖ヨハネ
           
訳 清水友邦

song by Loreena McKennitt
from The Mast and Mirror

            

Upon a dark night
ある暗い夜
The flame of love was burning in my breast.
愛の炎が私の胸で燃えていた。
And by a lantern bright 
その燃える灯火をたよりに
I fled my house while all in quiet rest.
皆が寝静まっているあいだにわたしは家を出た

Shrouded by the night
夜の闇に包まれて
And by the secret star I quickly fled
隠された秘密の階段を使って素早く私は家を出た。
The veil concealed my eye
秘密のヴェールに眼が隠されて
While all within lay quiet as the dead.
死者のように静かに寝ているあいだに。

Oh night thou was my guide.
おお、汝は私の導き、
Oh night more loving than the rising sun.
おお、暁の太陽よりも麗しい夜よ、
Oh night that joined the lover
おお、私たちを結びし夜よ
To the beloved one
愛する者と愛される者を一つに
Transforming each of them into the other.
どちらも変えてしまった夜よ。

Upon that misty night
あの霧の夜、
In secrecy, beyond such mortal sight
秘密のうちに、誰にも気づかれることもなく
Without a guide or light
導きの光はただひとつ
Than that which burned so deeply in my heart.
わたしの心の奥深くに燃える炎のみ

That fire, ‘twas led me on
その炎がわたしを導く
And shone more bright than of the middy sun
真昼の太陽の輝きのように
To where he waited still
愛する人が待っている所へ
It was a place where no one else could come.
誰も来ることが出来ない秘密の隠れ家へ

Within my pounding heart
激しく高鳴るわたしのハートは
Which kept itself entirely for him
いとしい人のためだけのもの
He fell into his sleep
杉木立の下で眠るその人に
Beneath the cedars all my love I gave.
わたしは愛のすべてを捧げた

From o’er the fortress walls
砦の向こうから吹いてくる風が
The wind would brush his hair against his brow
愛する人の髪をとかし
And with its smoothest hand
滑らかなその手が
Caressed my every sense it would allow
すべてを抱きしめた

I lost myself to him
わたしはいなかった
And laid my face upon my lover’s breast
いとしい人の胸に顔を寄せると
And care and grief grew dim

罪と悲しみはかすんでいった
As in the morning’s mist became the light.
光に照らされた朝もやのように

There they dimmed amongst the lilies fair
百合たちの間にかすんでいった
There they dimmed amongst the lilies fair
百合たちの間にかすんでいった
There they dimmed amongst the lilies fair
百合たちの間にかすんでいった

下をクリックすると魂の暗い夜の歌が流れます。聴きながらどうぞ。

YouTube :Loreena McKennitt - The Dark Night Of The Soul
http://www.youtube.com/watch?v=MclLF473XtA


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清水友邦・ワークショップ in 花巻 

「あなたが死ぬまでは」
~古い自分の死と新しい自分の再生~
2017年 4月29日~5月1日 二泊三日 昼集合午後解散 

会場 岩手県花巻市健考館 酵素玄米と温泉の宿

早割あり

詳細はフェイスブックのイベントページで

https://www.facebook.com/events/671374403039883/

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2016/09/13

あらゆる現象が空であることを知る

私たちは子宮の中で母と一体となっている至福の状態から分離して、産道を通り、苦痛と苦しみを通り抜けてこの世界に誕生します。

母親の姿が見えなくなると、幼い子供は、自分が置き去りにされたと思ってしまいます。そして子供は「見捨てられるのではないか」という不安・恐怖をいだきます。

泣くなという条件づけを受けたために泣く事よりも怒りと暴力の方が簡単にでる男性がいます。怒りの奥には愛を受けとれなかった悲しみと不安があります。心の底では子供頃の自分が今も叫んでいます。「お母さん 行かないで私をひとりにしないで」

不安から逃れるために合理的思考を発達させ左脳優位になってしまったのが現代社会です。

石をなげると水面がゆれるように、思考を使って自己の本性をみようとすると、思考自体が曇りとなって見えなくなります。
思考で自己の本質を知ることはできません。本当の自分を知るには思考に同一化することをやめなければならないのです。
あなたと私という分離感が不安と苦しみをもたらしています。思考が世界を分けてしまうのです。

母親が不安を持つと強い影響を受ける子供も不安をもってしまいます。

人生では怒り、悲しみ、絶望、不安、笑い、歓喜とあらゆる感情に巻き込まれ自分を見失う経験をします。思考や感情は気づきという心の広がりの中で浮かんでは消える泡にすぎません。

次から次へと現れては去ってゆく思考や感情を観照して、それ自体が空である事を見て取ることができると、今まで思い込んでいた自分は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。

あらゆる現象が虚であり空であることを知り、全体をあるがままにすべて受け入れたとき行為している自分はいないということに気がつきます。

ただ自然に風が吹き雲が湧いて雨が降るように心の中の感情や思考もまた自然に起きています。喜怒哀楽の感情も雨や嵐が来るようにただ自然に起きているだけなのです。

暴風雨で荒れ狂う台風でも中心は穏やかでいつも青空がでています。心が波打つ不安定な状態になっても自己の中心はいつも静寂です。

意識のどの段階にも本当の自分はいるのでどんな状況でも本当の自分を見失うことはありません。 中心はいつでもいまここにあります。

いつも静かにあるがままに見守っている本当の自分に母親が目覚めた時、その母親から生まれた子供たちによって地球は愛の惑星になっていくでしょう。
2016/07/30

引き寄せの法則について

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「引き寄せの法則」を「思ったことが実現する」すると解釈してポジティブなことを考えるとポジティブなことが起こると信じている人がいます。

誰でも人生を思い通りに生きたいと思っています。プラス思考でいけば何事もプラスに働いて、バラ色の明るい未来が実現すると信じたいところです。

ところがこの三次元の世界はいつも二つの極の間を揺れ動いています。失敗した人は成功し、成功した人は失敗します。悲しみは喜びに変わり、喜びは容易に悲しみに変わります。「陽極まれば陰となし陰極まれば陽となす」が自然の法則なのです。

現実はいくらプラス思考しても必ず望んではいないマイナスの出来事が起きてきます。マイナスの出来事が起きるのはプラス思考が足りないからだと短絡的に考えてプラス思考を強めても、思った通りの結果を得られないことが起きます。

結局、自分はだめだの考えが浮上して罪悪感が増大してしまいます。プラス思考はマインドの薬なので服用を誤ると分離が強まりかえって苦しんでしまうのです。

嫌悪するような、感情が動かされる出来事、気になる他人の行動これらはすべて、影に追いやった自分の一部です。それに同調するために心が動くのです。外側に感じていた問題は自分の内側にもあります。あいつは気に食わない奴だと他人を自分と切り離してみますが自分の中にも同じ要素を持っているのです。自分の中にはすべてがあります。

「引き寄せの法則」は文字どおり自分にふわしい出来事を引き寄せることですが、自分ではないと分離して影に追いやった苦しみも自分なので引き付けるのです。

意識が自覚できていない領域があるとその領域を自覚するような出来事を宇宙が確認するために引き寄せます。

宇宙は光に満ちています。自我は思考で影を作り否定した自分を切り離して見ないように暗闇にしまいます。光は闇を照らします。人生に失望し自分に絶望して、すべてをあるがままに明け渡した時、光がさして闇は消えます。

思考は闇を作ることができますが闇を消すことはできません。闇は光の不在です。気づきが光です。光がさすと闇は一瞬にして消えます。光がさすということは思考が本当の自分ではないことに気がつくことです。そのことを光明を得るといいます。

本当の自分を自覚するとあるがままの世界があらわれます。外側の世界と内側の世界、絶望と希望の二つ世界を同時に生きられるようになります。
2016/07/30

投影した関係

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男性と女性はお互いに自分の理想化した都合の良いイメージを相手に投影をして関係を持ちます。

関係性が親密になると相手が自分のイメージ通りでないことが分かってきます。
そうなると「こんな人は思わなかった」と不機嫌になり関係性が悪化します。
あるがままの相手を見ていたのではなく自分の影を相手に肯定的投影をしていたのです。

お互いに肯定的投影していた関係は容易に否定的投影の関係へと転換してしまいます。

男性は自分の内側に沸き起こる否定的感情が女性に原因があると考え相手の女性を攻撃します。

女性は相手が不機嫌なのは自分が悪いからだと最初は自分の感情を抑圧し我慢して良好な関係を築こうとします。
しかし、内圧が高まって限界を超えると、女性は突然男性的になり攻撃的エネルギーが噴出して関係性をめちゃくちゃにしてしまいます。

こうして二人の関係性は破局へと向かいます。

自我は私が行為しているという感覚を信じてしまっています。
他者を非難したり嫌悪している自我をあるがままに見ているのが
本当の自分だと気がつくと行為者としての自分は存在しないということがわかります。

自分がいないということは同時に自分はすべてだということです。
そのとき、他人の自我も自分の自我も受けいれることができます。

2016/07/30

全体を分けることはできない

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私たちは成長の段階で、あるがままの自分を否定されて、
受けいれられる自分と認められない自分に分離させてしまいます。

そして世界から切り離されている自分という間違った思い込みで生きていきます。
心の中に浮かび上がる考えを真実の自分だと思い込んでいます。

思考は全体を分離させて見ていますが
分離して見ている部分もまた全体なのです。

全体から全体を引いても全体が残り
全体に全体を足しても全体が残ります。
全体を分けることはできません。

すべての存在は大いなる全体であり
全体以外はありません。

思考を通さずに世界をあるがままに見た時
分離した私はどこにもなく

見るものも見られるものもなく
あるがままの全体だけがそこにあります。
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