2017/06/26

温冷浴でナチュラルハイ

温冷浴は温度差がある二つの浴槽に入浴を交互に繰り返すことで、血管が丈夫になり血行も良くなり、自律神経のバランスが取れます。

普通の湯上がりよりも温冷浴の方が 数倍の爽快感が得られます。

大阪は岩手のような野性に満ちた温泉はありませんが温冷浴にオススメなのが心斎橋の清水湯と平野の末広温泉です。どちらも45℃の熱い浴槽と井戸水を使った広い水風呂があります。そのお陰で大阪は快適にすごせました。

心斎橋の清水湯  

地下鉄心斎橋7番出口からエレベーターで上がるとすぐです。夜は見事な刺青アートの肌をした方を見かけました。

http://www.spa-shimizuyu.com

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大阪平野区の末広温泉 温泉ではありませんが温冷浴に特化しためずらしい銭湯

https://www.suehiro-onsen.net/

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温冷浴について


「水風呂に入ると血圧は一時的に上昇するから、高血圧症や動脈硬化症、或いは心臓の悪い人は危険である」というのが現代医学の常識です。ところが温冷浴を毎日実行している人は真冬に水風呂に入っても血圧が上りません。最高血圧も、最低血圧も上りません。温冷浴未経験者の血圧は上りますが、温冷浴経験者では上らないことが大阪府立大学、山口雄三教授の温冷浴の血圧変動実験の結果で確かめられています。

心臓から血液が大動脈に流れて毛細血管に入って毛細血管の少し手前で、動脈から静脈に直接連結している血管があります。この血管を動静脈吻合血管(グローミュー)といいます。血液は毛細血管のバイパスを通って静脈に流れて帰ってきます。この毛細血管のところのバイパスを1707年にフランスの解剖学者レアリー・レアリスが発見してグローミューという名前をつけました。

このグローミューは、全身400兆個の細胞に栄養を送る毛細血管51億本のすべてに安全弁として存在しています。体に異常が起きて毛細血管に血液が流れにくくなった時にはグローミューがバイパスの役目を果たして血液が流れます。グローミューは危険を未然に防いでくれるのです。

温冷浴はグローミューの活動と再生を促して鬱血を防ぎ全身の血液循環を促進させるだけでなくアドレナリンとコルチゾールという抗ホルモンも分泌されるので気分も爽快になります。全身の血行が良くなることで健康を増進させるのです。

甲田光雄先生の講話より

『水風呂に入ったり滝に打たれたり、プールに入ったりして寒い時、体温を外に奪われないように表面の血管が縮みんで皮膚は真白になります。その時、血液はこのグローミューを流れて心臓へ帰っていく訳です。

温冷浴実行者ではグローミューが健全となるため、水浴して、皮膚浅在の毛細血管が急速に収縮しても、グローミューがパッと開いて、血液がスムーズに、そのグローミューを通って、小静脈に流れてゆくことができるからであると考えられます。

それに反し、温冷浴を経験しておらない人では、グローミューの機能が不完全であるため、水浴した際、毛細血管が収縮しても、グローミューがそれに呼応して開かず、そのため、動脈血がスムーズに小静脈に流入することができません。その結果、血圧の上昇という形で水浴の影響が現われてくるのだと考えられます。

皆さんがぜんざいやあんこ餅食べたりケーキを食べたり毎日そんなことやっているとこのグローミューが溶けていってるぞということです。お砂糖の入ったコーヒー、二〜三杯飲んだら鼻水がポトポトと落ちた。「ああ私は鼻のグローミューがもう無いんだなあ。」そういうふうに考えとったらいいんです。』

温冷浴の入り方

『お風呂に入る時に一分間水を浴びます。頭からかぶったらあきませんよ。足元からかけていくんです。そして一分たったらお湯の中に入りまして、一分間温まって出て又水をかける。一分たったら、又湯に入るということを交互に繰り返す。これが温冷浴です。時間はどちらも一分ずつです。水一分、湯一分で一番最初も一番最後も水一分です。湯から入って湯であがるのでなしに、水から入って水であがるのです。

水の温度は大体15度C位が一番よろしい。朝は16度C位、昼ごろになったら大分上がっています。これが井戸水でしたら、冬でも16度C位、夏でも20度C位ですから非常に快適です。水道の水でしたら夏になれば26度C位になります。そういう生温い水よりは井戸水の方がいい訳です。

水の中に入っているとグローミユーが開き、湯の中に入ったらそれが塞ぐのです。これを繰返すことによって、グローミューを訓練していく訳です。これで疲労もとれますし、血液循環も良くなります。是非この入浴法を今晩からでも実行していただきたいと思います。』

ただし、温冷浴の初心者がいきなり冷たい水風呂に入るとグローミューが働かないので当然血圧があがり高血圧の方、高齢者の方、現在病気で薬を服用している方は心臓に負担がかかります。夏の間に温度差が低いぬるま湯からはじめて徐々に冷たくしてグローミューを訓練していきます。
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2017/01/09

沈黙の祈り

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「祈る心は、治る力」(日本教文社)の著者ラリー・ドッシー医学博士は治癒の秘訣を「何かをしようと働きかけないこと、自分の知恵で何かをするのではなく、世界の英知にすべてをゆだねることだ」と言っています。

カリフォルニア州の認識科学協会の副会長B・オーリーガンは、癌などの難病で助からないと思われていた患者が奇跡的な自然回復をしたケースを調べました。

すると奇跡的治癒が起きた患者はなにがなんでも絶対に病気を治すとは思っていなくて、ただ病気の存在をみとめ、すべてがあるべくしてあるという受容と感謝の心をもっていただけでした。
これは病気を諦めてもう、どうなってもいいという投げやりな姿勢ではありません。
オレゴン州セーラムのスピンドリフトという名の研究機関では、長期にわたって祈りの効果についての研究を行いました。

その研究によると細菌培養容器に糸状菌を入れ、そこにアルコールを入れて、死なない程度に損傷を与えた菌を二つの容器に分けて、一つはヒーラーが、「損傷が治って成長しますように」という「指示的」な祈りを行いました。

もう一つはただ愛と思いやりの意識だけを向けた「非指示的」な祈りを行いました。結果は「非指示的」な祈りのほうが、指示的な祈りの2倍も効果があったのです。

「指示的」な祈りとは結果を求めて、癌が治るようにとか、痛みが消えるようにと祈ることです。病気を治したいと強く思う「指示的」な祈りは自我作用を強めます。世界に境界を作るのが自我の働きです。

「前向きな考え」や「希望をもつ事」や「プラス思考」も思考なので自我を強める副作用があるのです。

一方「非指示的」な祈りは自我の欲求を押し付けようとはしません。いかなる結果も想像したり、「こうなったら」と期待したりせず、癌を拒まずに受け入れます。ただあるがままの自分を受け入れるのです。

病が治っても治らなくとも受容的な態度をとり感謝の気持ちを持つことは境界を取り払い万物との一体感をもつことでもあります。

策略を巡らすよりも「ただあるがままにいる」方が病を癒す力が湧き起こるのです。

テキサス州の一般人のがん死亡率が15~18パーセントなのに知恵遅れと精神疾患の人たちのガンの死亡率はたった4パーセントでした。精神病患者のがん死亡率は7パーセントなのに一般人のそれは13パーセントでした。

1925年から1978年まで精神病者には白血病の症例がひとつも記録されませんでした。

これは患者が死のイメージをもたず病に恐怖を感じたりしないほうがガンの死亡率が下がることを意味しているようです。

免疫と治癒の関係は患者が病に対して、どのようなイメージを持つかにかかっています。祈りのヒーリング効果が最も高くなるのは未来に対する希望や、特定の目標などが一掃されたときでした。

「非指示的」な祈りは生命の本質と共鳴しやすく、その振動が時空を超えて相手の心と同調して癒しが起こるのでしょう。心は物質的な領域を超えているのです。

キリスト教の伝統がある西洋では祈りが神に近づく方法でした。シトー修道会司祭のトーマス・キーティングが提唱する「センタリングの祈り」は内側にある沈黙に焦点を合わせるために聖なる言葉をとなえます。これはマントラを唱えるバクティヨガと同じ技法です。

思考が湧いて内側の静けさを失ってしまった時に静寂を思い出すために聖なる言葉を繰り返すのです。西洋の祈りも東洋の瞑想と同じことを指していました。

東方教会の修道士の基礎を築いた4世紀のエジプトのエヴァグリオス・ポンティコスは言葉も思いも浮かばない沈黙の純粋な祈りを述べています。

「祈りのとき、あなたの頭は何も語り得ず、何も聞こえないように努めなさい。そうすればあなたは本当に祈ることができるようになるだろう」



13世紀のドイツの神秘家マイスターエックハルトは神に何かを与えてほしいと望んだり、何かを取り去ってほしいと願うことが祈りではないと言っています。何も望むこともなく、何かになりたいと思うようなものが何ひとつない沈黙の中で、祈りが向けられる対象と、祈る者とがひとつとなること、つまり、神と一であること、神と同じ姿でいることと言っています。


キリスト教神秘主義では言葉で表すことができない深い沈黙を神的暗闇と呼びました。神は思考の領域を超えているのでマインドが沈黙した時に神が現れました。隠された沈黙の闇のうちにあるとき自我の境界を超えて聖なる全体と一つになるのです。

ラリー・ドッシー博士は「かつて、われわれはこの文化において、次の二つのうちどちらか一つを選んで生きなければならないと教えられてきた。つまり合理的で分析的に生きるか、霊的で宗教的に生きるかの二つである。いま人びとは、こうした分裂状態で生きなくてもよいと気づきだしている」といっています。未来の治療は処方箋に祈りと瞑想が入ることになるでしょう。
2016/11/08

いのちのうた

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私のセッションでは必ず音楽を使います。音楽が脳の視床下部に作用して、治癒力を活性化させることが知られています。
脳の視床下部にはホルモンの調整、自律神経の中枢があり、食欲や性欲、睡眠とも関係しています。

音楽は脳内麻薬物質ホルモンのバランスに影響を与えるので自分が好きな音楽をきいた人のストレスホルモン(副腎皮質ホルモン)の分泌は25パーセントも低下します。音楽は免疫系を強化させる作用があるのです。

一番最初に胎内で出来る感覚器官は受精後五週間で発達する聴覚です。幼子は母親の胎内で音と暮らしながら、脳を発達させています。もっとも根源的な感覚が聴覚なのです。アルツハイマーのお年寄りに音楽を聞かせると、忘れていた記憶の断片を突然思い出します。 音楽療法では音楽が薬の処方箋のように使われています。

音楽には、メロディー、ハーモニー、リズムの三要素があります。メロディーは思考センター、ハーモニーは感情センター、リズムは動作センターに影響します。

音の高さは1秒間の振動数で決まり、ドの音は1秒間に約260回振動をしています。この倍の520回振動すると1オクターブ上のドの音になります。この倍の音の振動数を倍音といいます。

チベット密教ニンマ派に多人数で低音の母音を連続的に発声する修行があります。高純度の倍音を浴びることによって、肉体と精神を浄化させるのです。

原子は一秒間に一千兆回振動しています。全宇宙は振動しているのです。脳波のピッチを変えて情報を含んでいる宇宙の干渉パターンと自由に共鳴させることができればあらゆる宇宙についての知識を手に入れる事が出来るでしょう。

ユダヤ教の神秘主義思想であるカバラの秘密の奥義とされる「ゾハールの書」には次のような事が記されています。
「宇宙にはあらゆる局面でうたわれた歌が燃えさかっている。天界の歌はむろんのこと、・・・・・・・・至高の存在の前では恒星、惑星、樹木、動物などすべてがそれぞれの旋律をかなでている。」
「そのはてしない和音は創造のもっとも粗雑な残響でさえ、ふつうの人には聞き分けられないが、礼拝と瞑想と善行によって宇宙の歌を聞くことが出来る。」

ギリシャ神話ではヘルメスからアポロン、そしてオルペウスはアポロンから竪琴をさずかります。オルペウスの教えはピュタゴラス・プラトンに受け継がれました。ピュタゴラス派の人々は宇宙を巨大な竪琴のようなものと考えていました。

古代ギリシャで死と再生の秘儀に音楽が使われていたことをプラトンは伝えています。特定の振動音はチャクラに共鳴して意識に影響を与えるのです。

ブナの森を吹き抜ける自然界の風の音も宇宙空間を飛び交う宇宙の素粒子やプラズマの音も瞑想にはいると宇宙のリズムと同調して調和された振動帯域に入ります。宇宙はひとつの音から生まれたのです。

調和された音に全身を共鳴させていくと左脳の言語中枢の活動が減少して、頭のおしゃべりは減少します。
適切な音楽が使われることによって「私は愛されてはいない。」「わたしは生きる価値がない人間だ。」と思い込む以前の心のいちばん深い部分に共鳴が起きます。

個人セッションで呼吸が深くなり、抑圧していた心理的な痛みを伴ったエネルギーの解放が起きた時に、涙を流しながら突然歌いだす人がいます。

「いのちのうた」が歌われたのです。魂のうたといってもいいかもしれません。それまでに歌ったことがない心の奥底に秘めていたうたです。あまりの懐かしさに涙をながします。

深い心の奥で「いのちのうた」「たましいのうた」はいつも歌われているのです。

辛い記憶でできた自我の殻を通り抜け、そこにたどり着くことができれば誰でも「いのちのうた」を歌うことができます。
「いのちのうた」が歌われるとハートのチャクラが開いて愛と光に満たされる感覚に包まれます。

自由なエネルギーの流れを感じ、周りの人々と自分とのつながりが全宇宙にまで広がり圧倒的な感謝の気持ちに包まれます。
音楽は自己の本質の発見に導くのです。

写真は大阪岡町のワーク会場
2016/10/14

褌(ふんどし)

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日本に古くから伝わる伝統の下着が「褌(ふんどし)」です。

天然繊維だとなんともないのに化学繊維だと触れた皮膚が赤くなったり、ちくちくとかゆくなったり、かぶれや湿疹の症状が現れる人がいます。化学繊維には加工の段階でホルムアルデヒドなどのいろいろな薬品が使用されているのでそれがアレルギーを誘発しているではないかと言われています。今の繊維は化学薬品の固まりなんです。化学繊維はプラスイオンが発生してパンツが帯電状態になります。化学繊維のパンツはむれやすいのです。

高温多湿で汗をかきやすい日本には褌が気候風土に合っています。男性の陰嚢(いんのう)には睾丸の温度を下げるために表面積を大きくして冷却効果をあげる多くの皺(しわ)とヒダがあります。男性の更年期障害には、睾丸をしめつけない越中ふんどしが最適といわれています。

越中褌の紐を締める結び目は臍下丹田にあたり、経穴でいうと気海(きかい)穴になります。気海とは元気、腎の精気の集まるところを意味し免疫力や精神力を鼓舞してくれます。

褌を締めると気海穴を刺激して気力が充実しやる気がでてくるんです。丹田は動きの中心にあたります。

下丹田が充実していないとやる気が出てこないのです。褌は下丹田を養い腰が安定します。

日本と西洋では上半身と下半身に身体感覚を置く文化の違いがあります。日本人は腹を締め西洋人はネクタイで首を締めます。


整体の野口晴哉先生はお尻の穴を触る事で、その人の決心の度合いが違うと言っていました。決心しましたといっても肛門に指がズボッと入るようだとその人は実行できません。いくら口先で「やります。やります。」とその人がうまいこといっても丹田が充実していないと、体にその覚悟が出来ていないという事になります。丹田が弱いと頭でやらなくちゃいけないと考えてばかりでいつまでたっても実行出来ないのです。


褌を締めることで頭に上がった気を丹田に下げて、プロジェクトをやり遂げます。それが「褌をしめてかかれ」です。また、「ふんどしを締め直す」ことで新たな気持ちで物事に取り組むことができます。

そんな理屈はともかく、天然素材の褌を一度しめたらもういけません。パンツなど、ものすごく気持ち悪くて、はけなくなってしまいまました。
2016/08/15

病気の原因は

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「病気になったのは心に問題があるからよ」と言い切る人に違和感を感じたことがあります。

心が調和されていれば病にならないといった方がいました。その方を信奉する人は多く、人々を救う使命を持った偉大な魂だと信じられていました。しかし、その方は病に倒れて亡くなりました。

病気になる人は精神的な欠陥があり、心が正しければ肉体も健康になると信じている人は精神世界の人に多いようです。

ガンや病気で悶え苦しんで亡くなった聖者は大勢います。逆に霊性に興味がなく根性が悪く、殺人、盗み、詐欺を働いても病気をせずに強健な肉体をもった人もいます。どうやら、肉体の健康と心の健康を同じ次元に捉えることはできないようです。

病気になる聖者は偽物で、あるいは宇宙の真理を悟ったといっても、所詮ただの人間にすぎないと考える人がいるかもしれません。

クリシュナムルティは膵臓癌になったと知ったとき「私はどんな悪い事をしたのだろう」と呟いたそうです。感謝と喜びにあふれ、慈愛に満ちた態度で接し、すべてをあるがままに受け入れる清らかな心の人でも病に倒れます。

白鳥が病気になっても白鳥の心に欠点があり、霊性が低いとは言われません。単純に心が正しければ病にならないは根拠のない思い込みのようです。

インテグラル・ヨーガの創始者シュリ・オーロビンドが階段で足を踏み外して骨折したことがあります。「マハトマ(偉大な聖者)であるあなたがこれを未然に防ぐことをできなかったのでしょうか?」とたずねた人がいました。オーロビンドは「生身の体は限界があり、物理の法則にしがうのです。」と答えたそうです。

病の原因がその人の不完全さにあるのではないことが分かっていれば、自分が病になった時にいたずらに罪悪感を抱く必要はないでしょう。

病気の原因をすべて食物のせいにして食事や健康食品だけで病気を治そうとしたり、感謝して心が調和していれば病気にならないと考える人がいますが、病気を特定の原因のみに還元してしまうことはできないでしょう。

肉体が健康に見えても心が病気の人もいますし、肉体が病気でも心が健康な人も居ます。

ウパニシャッドによれば身体にはグロスボディ(粗大)、サトルボディ(微細)、コーザルボディ(元因)の三つの体のレヴェルがあります。

純粋に物理的な次元に原因があるときの対応は心理的なことよりも環境の改善や呼吸や体の歪みの修正や食べ物や薬、手術のほうが効果があります。

いくら食事に気をつけて健康的にしても、食べ過ぎたり運動不足だったり、健康になるためにと無理にいやいや食べたり、神経質で心がストレスに弱かったりすれば病が発生します。いくら悟った賢者や聖者でもであっても、毒物や発がん物質を取り続ければ病になってしまうでしょう。

仏教の開祖、お釈迦さまも食中毒でお腹を壊し、苦しんで亡くなっています。

サトルボディ(微細)に問題があるときは情動など無意識に潜むトラウマの解放と関係し、薬や手術、食事療法では解決しません。医師は薬や手術などの物質的なグロスボディ(粗大)のレヴェルしか扱わず、ヒーラー、呪術師は自己の手法に固執して異なる身体のレヴェルを混同してしまいがちです。

コーザルボディ(元因)の治癒とは夢から眠りから目覚めることです。

私たちは本当の自分を忘れて、深く眠りこけています。自己と世界は分離して存在しているという幻想をいだきサンサーラ(輪廻)という迷いのなかに入り込んでいます。そのため生老病死という四つの苦に満ちた状態に置かれています。

仏教はプラジュニャー(智慧)によって作り出されるシュニヤータ(空性)という薬で治癒します。

自己と他者という感覚は縁によって生ずる実体がない空だという洞察によって病と健康、生死という二元性は超越されます。

自己の本質は生まれもしない死にもしない、物質世界の生老病死、マインドが作り出す喜怒哀楽の影響を受けない存在なのです。