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2019/02/17

真実の愛に気がつくまで



光の根源のような魂から、堅い自我に覆われ肉体の五官に囚われている魂までこの地球はあらゆる魂が出会う場のようです。

この世界は階層構造になっています。階層の下方から上方を知ることはできません。

理解出来るのは相手よりも自覚の領域が広いときか同じ領域を持っているかに限られます。

つまり、お互いに共通の振動帯域がなければ話をしても理解することは出来ないのです。

微細なサトル領域は振動帯によって分けられています。同じ振動数をもった魂だけが出会う世界は違う経験を得られにくいのです。

この地球では愛にあふれた人に出会うこともあるでしょうし、攻撃的な人や、人格が冷たく皮肉っぽい人にであうこともあります。

肉体をもった物質世界では、ありとあらゆる人々との出会いのドラマがあります。

その時に喜怒哀楽の感情を味わう事ができます。

魂は記憶を失ってこの世界に誕生しています。

そして現象世界に適応したマインドを自分だと思っています。地上世界は実に、さまざまな経験ができるようになっています。

それはベーシックな肉体という共通の体を持っているからこそ、異なる振動数の魂でも出会うことができるのです。

童話では、まま母に意地悪を受けたり、性格の悪い人からさんざんひどい目にあったりしますが、それは微細(サトル)の世界では体験できない貴重な経験です。良い人ばかりではドラマがなりたちません。名脇役がいないと物語は刺激がなく単調なのです。

サンキャ哲学にでてくるプラクリティ(物質原理)とプルシャ(純粋意識・観照者)の関係は演劇を演じる役者と芝居をみている観客のようなものです。

よくできた脚本と演技力がある役者が演じると観客はその芝居と自分を同一化して、よろこびや悲しみを感じます。

人生で受け入れられない経験をすると不快な感情や重たい気分に巻き込まれてマインドは苦悩します。

マインドが作り出す仮想現実を真実と思い込んでいるのです。メロドラマを現実と思って深刻になっているのが、私たちのマインドです。

沈黙して自己の本質に気がつけばマインドが演じている芝居が現実ではないことに気がつきます。思考との同一化をやめ夢から覚めると本質である我に帰ります。

観照が起きると悲劇と喜劇を繰り返す人生を深刻にならずに過ごすことができるようになるでしょう。

肉体をもったこの世界では様々な経験をすることが可能になっています。そのほうが魂が自覚するには都合がよいからです。

二元性の世界では愛するものを失うことの苦悩と、悲しみに満ちています。

死と生、苦と楽、光と闇に分けて見ている限り、苦しみやつらく悲しいことから逃れる事はできないでしょう。

苦悩も喜びも包み込んで溶かす真実の愛に気がつくまで
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2019/02/17

真実の愛に出会う時




男女が出会い恋に落ちると、フェニルエチルアミン(PEA)という恋愛ホルモンが分泌することが知られています。
恋愛ホルモンにより二人の間にドーパミンが大量に分泌されてめくるめく歓喜がおとずれます。その威力は強力でフェニルエチルアミン(PEA)を注射すると、それまで全く興味を示していなかった異性と交尾をしだすということです。
しかし、恋愛ホルモンの分泌は長く続かずその期間は、18か月から3年といわれています。

恋人を手に入れても、やがて、恋愛ホルモンの分泌が落ちると、決まりきった単調なものとなってしまいます。
親密になり長時間一緒に過ごすしているとやさしくて良い人という仮面が外れて隠れていた影の人格が姿を表します。
二人の間には倦怠と失意がおとずれます。自我の境界を超えて無意識の領域から抑圧した感情が意識の表層に浮上して不愉快な気分がやってきます。

その不快な感情の原因を相手に投影して感情的になります。自分が味わっている不快な感情はどうしても相手が原因で起きているとしか思えません。
やがて相手にもそれが起きるとお互いが耐えられなくなり、お決まりの関係性をどうするかという選択にきます。
異性の間には独立したい欲求と一緒になりたい欲求の両極があります。男女の関係は波のように近づいたり離れたり繰り返すのは実は自然なことなのです。

しかし、心に傷を抱えている人は見捨てられる恐怖や不安から相手が離れていくことに耐えられません。
嫌われたくないと思って相手が喜ぶことを我慢してやり続けているうちに、ある日突然、なにもかも、めちゃくちゃにしたくなる衝動が起きて、関係性が終わってしまうこともあります。

その苦しみは我慢しても、相手を取り替えても、本当の自分に気がつくまで終わることはありません。
固く防護された偽りの自己は、自分を巧みにごまかし、心から湧いてくる感情を素直に表現することをしません。身体感覚が低下した状態では感情が意識にのぼってくる通路が封鎖されているので、感情が発散されず蓄積されています。

自然体の自分ではない人格を演じていると内圧が高まっていきます。何かをきっかけに無意識に溜め込まれたエネルギーが表出すると、突然に怒りが湧いて、攻撃的になったり、外へ飛び出したり、衝動的な行動をとってしまいます。
感情を表しても、内側で何が起きているか、「気づき」がない状態で起きている為に感情を爆発させても内面の緊張は解消されません。

優しく接したいと思っても、内面の解消されていないエネルギーにたちまち支配されてしまいます。否定的なエネルギーに同化して絶望的になり自虐的になったり衝動的な浪費や、過食を繰り返したりする人もいます。
自我は感覚からくる刺激に自動的に反応して大部分のエネルギーを浪費しているのです。
私たちは怒り、悲しみ、絶望、不安、笑い、歓喜とあらゆる感情に巻き込まれて自分を見失う経験をしています。
苦悩の根元は思考や感情や肉体の感覚を自分だと思っていることにあります。喜怒哀楽に揺れ続けている私は誰かと自分自身に問わなければなりません。

平和な日常だと自分を変えようと思いません。
苦しみがないと私たちは探求しようとしないでしょう。
内面の苦しみは自分が誰かを確認するための鏡のようなものです。
思考や感情が次から次へと現れては去ってゆく事を見て取ると、
すべては空だということを理解します。

今まで思い込んでいた世界は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。
本当の私は見守るものであり、見られているものではないという気づきが起きると感情に振り回されなくなります。

思考や感情や身体に同一化していない自分、
何ものにも囚われていない自分。
思考を超えているのが本当の自分だと気がつくと
頭で考えていた自分は存在しないということがわかります。
そこには他者を非難したり嫌悪している自分はいません。
絶え間なく浮かんでは消える流れがあるだけで
思考する私はどこにもいないのです。
自分がいないということは同時に自分はすべてだということです。
そのとき真実の愛に出会うでしょう。

神の愛のとりことなった探求者は神に対する切ない思いに胸を焼かれ、
なやみもだえて眠れない夜をすごします。
そして、堪え難い愛の苦悩に身を焦がす長い旅路の果てに、
私という自我は恍惚の中で聖なるものの愛の中に消え去ります。
ついに探求者は思い憧れていた最愛の人と結ばれます。

これが偽りの自我から目覚めて真の我に帰る神秘主義の旅なのです。
2016/08/09

別れるかの選択

もし今のパートナーとうまくいかず、
子供のことや経済が不安で離婚の決心がつかず、
かといって一緒にいるのは苦痛で、
どうしたらよいか悩んでいるとしたら

1、離婚する、離れる
2、今の関係性を改善する。
3、その状況をあるがままに受け入れる

この三つの選択があると思います。

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おそらくどの選択を選んでもその中にかならず良い悪いを含んでいます。すべての出来事は完全なので物事が最悪の時でも同時に非常に素晴らしいことが起きてます。どんな状況でも良い悪いの二元性は、いつでも均衡を保っています。

どの選択を選んでもその責任は取らなければなりません。
言い換えればどの選択も等しいのです。
人生は常に選択の連続です。

マインドは物事に優劣をつけて自己中心的な物語の中に入り込んでしまいます。
宇宙から見るとすべてはただ起きているです。
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