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2016/07/29

本当の自分に出会う



人は成長する過程で本当の自分を否定して親や社会から植え付けられた条件付けを受け入れて人格を形成していきます。そして世界はこうゆうものだと決めつけて自分を規制していきます。

本質の自分は幼児期に取り残され、自動人形の様に振る舞う偽りの人格にエネルギーが使われて、機械的な人生を生き続けます。
安全を脅かされて育った子供は感情を感じる通路を塞ぎ不安や恐れをもたない理想化された自己になろうとします。子供の内部では取引がおこなわれ、あるがままの自分が否定され偽りの自己にとってかわられます。

固く防護された偽りの自己は、自分を巧みにごまかし、心から湧いてくる感情を素直に表現することはしません。身体感覚が低下した状態では感情が意識にのぼってくる通路が封鎖されているので、感情が発散されず蓄積されてしまいます。

固定された硬直状態に陥いると、エネルギーの供給を失い生命エネルギーは枯渇していきます。

そして両親の期待に添う偽りの仮面を被っているうちに本当の顔を忘れてしまうのです。 親たちは自分の神経症的欲求や機械的な反応で子供に接します。子どもを支配したり、過保護にしたり、脅かしたり、怒ったり、厳しくしすぎたり、甘やかしたり、兄弟差別をしたり、偽善的に接したり、無関心だったり、一貫性なく接します。

そうして子供は環境に適応し、防衛のために偽りの自我を形成します。子どものまわりにいる親たちもあるがままの自分を否定されて育ち、あるがままの子供の姿を認めることができない偽りの自我を持つ大人たちだったのです。

外見は大人でも内面は感情を抑圧した子どもの時のままの人が多いのです。

自分にとって好ましくない感情が起きたとき、それに抵抗し戦う様に外から親や社会によって条件つけられている人は、観察的自己が育っていないので、それを受け入れるのが容易ではありません。

私たちは思考を自己と思い込んでいます。苦しみの根っこは頭の中に浮かぶ思考を自分と思い込んでいることにあります。不安な時、憂鬱な時、退屈している時は思考に同化しています。

人生の質を高める最も簡単な方法は身体感覚に意識を向けて、思考と一体化している偽りの自己から離れて、今ここに在る純粋な意識と繋がることです。今この瞬間に意識を向けると思考や感情に覆われない本当の自分に気がつくことが出来ます。

感情や思い込みの葛藤の中で全体を俯瞰する本当の自分に目覚めると、いままで心の表層を流れる波に呑み込まれていたことに気がつきます。

あれ狂う嵐の日でも、深い海の底は静かに沈黙しています。
思考は過去を思い出し現在にいません。そして過去の記憶から否定的な未来を想像して湧き上がる不安や恐怖に翻弄されています。そこから自由になるには、否定的な受け入れがたい感情が自分にあることをしっかり受け止め認めること、それに心を開いて手放す訓練が必要なのです。

いまの一瞬が永遠であり、すべての現象に実体がなく、頭の中で考えていた自分が本当の自分ではないことに気がついたとき、今ここで光輝いている自分に出会います。
2016/07/28

麻糸 伝統技術の復興

「てんぽろ山荘」1

映画「ホピの予言」上映会でお会いした三浦康太郎さんと静子さんの古民家「てんぽろ山荘」を訪問しました。JR大船渡線真滝駅から2キロほど山間部に入った泥畑集落にある「てんぽろ山荘」には麻糸績みに惹かれた女性たちが集まっていました。

「てんぽろ山荘」4

大麻の縄目で縄文土器が作られていたように日本の大麻草は日本人の生活とは切り離せないものでした。麻糸でへその緒を切り、弓弦、凧糸、かつおの釣り糸や漁網に使われ、麻の茎の入った家に住み、麻の鼻緒で作った下駄を履き、麻布でできた着物や褌(ふんどし)を身に付け、麻の蚊帳の中で麻糸で作った畳の上で眠っていました。



「てんぽろ山荘」3

神社の鈴紐、お祓いも神主のかみしも、御幣もお札も麻でした。黒石寺で行われる蘇民祭の蘇民袋は麻でした。大麻は神霊が憑く力があり、神霊が宿った大麻には穢れを祓う力があると信じられていました。


「てんぽろ山荘」2



不幸なことに進駐軍によって大麻取締法が出来て大麻草は禁止されてしまったために日本の大麻産業は壊滅状態になってしまいました。麻糸の技術をもっていたお年寄りが次々と他界して、縄文時代から継続してきた技術が途絶えてしまったとところが多いのです。日本の伝統文化を阻害している大麻取締法は問題が多い法律です。「てんぽろ山荘」では大麻の繊維を繋いで糸にする伝統技術を復興させる「岩手やまんばプロジェクト」の講座が開かれていました。

「てんぽろ山荘」5

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2016/07/28

唐松神社

秋田にある唐松神社に参拝してきた。伝承によると蘇我氏に破れた物部守屋の子那加世(ナカヨ)が鳥取男速(トトリオハヤ)という臣下に守られ蝦夷の地、秋田県に亡命。唐松神社の宮司は、この物部の子孫だと言う。現在は安産と子授けの神様として知られている。物部氏は古代日本に君臨した謎の氏族で藤原氏が権力をもっていた時代に物部氏の痕跡は消されてしまったようだ。




ニギハヤヒを祀る天日宮。膨大な玉石を敷き詰めてあり前方後円墳そっくり。このような作りの神社は聞いた事がなく異質。おそらく、他には見られない構造ではないだろうか。物部宮司の話によると代々物部家に伝わる史料に作り方が書いてあり、その通りに復元しているという。

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日本書紀や先代旧事本紀によるとニギハヤヒはアマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国河上哮峯(いかるがのみね)に天降り、更に大和の鳥見(登美)の白庭山に遷ったとされている。哮峯(いかるがのみね)は今の生駒山で別名ニギハヤヒの山とよばれている。 天日宮のニギハヤヒは物部の祖先神だろう。

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抱石男石(授る)玉鉾石(結縁子安)女石(安産)の三石、女性は左周り男性は右周りに3回廻って石を触ると願望が成就すると言われている。
2016/07/28

ターラ菩薩

観音菩薩の涙から生まれたターラ菩薩。アジャ・リンポチェは亡命時にクンブム(青海タール寺)から持ち出した、もっとも大切な仏像を大震災にあわれた人々を救う為にと震災の地仙台に安置した。



アジャリンポチェは「私はこのターラ菩薩に今まで何度も苦しい時や困難な時を助けて頂いた。今度はこの度の大震災によって苦しんでいる被災者の方々を救って頂く為、被災地であるここ宮城にお持ちして縁のある松音寺に安置することにした」と語った。

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慈悲のはたらきを具象化し、人格化したのが観音菩薩、その観音菩薩が流し涙から生まれたのが観音菩薩の女性形であるターラ菩薩 

2011年6月6日
2016/07/28

中尊寺ハス

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大和朝廷に恭順しなかった縄文の民は鬼、山賊、熊襲(くまそ)、隼人(はやと)、土蜘蛛(つちぐも)、国樔(くず)蝦夷(えみし)と呼ばれた。

最後まで大和朝廷に服従せずに何百年もの間抵抗を続けたのは東北の蝦夷(えみし)だった。その蝦夷が滅びたのが鎌倉幕府を開いた頼朝が東北に来た文治五年(1189)である。

平泉を攻め滅ぼした源頼朝は28万4千騎の兵を引き連れて今の岩手県紫波町陣が丘に陣を敷いた。そこで奥州藤原氏最後の当主藤原泰衡の首実検が行われた。

泰衡の首は父秀衡の眠る中尊寺金色堂の金棺に納められた。その時、紫波町の五郎沼に咲いていたハスの種を泰衡と親戚関係にある領主樋爪(ひづめ)氏が泰衡公の首桶に供え菩提を弔ったと言われている。今でも紫波地方では、葬儀の時に死者を弔う意味でハスの花を入れているという。

それから800年後の昭和25年(1950)に中尊寺で学術調査が行われ100個あまりのハスの種子が首桶から発見された。約2000年前のハスの発芽に成功した大賀博士に(1883 - 1965)に託されたが発芽しなかった。

種子の発見から50年後、大賀一郎博士の門下である恵泉女学園短大の長島時子教授によって、平成6年(1995年)にようやく発芽した。それから4年後の平成10年に開花させることができた。中尊寺で発見された古代ハスは中尊寺蓮と命名された。中尊寺蓮は株分けされて故郷の五郎沼で820年ぶりに再び美しく咲くようになった。蝦夷と呼ばれた東北の民は大和朝廷の文化に同化して姿を消してしまったが縄文の魂は今も日本人の心の中で眠っている。中尊寺蓮が800年の時を超えて再び咲いたように、眠っていた縄文の魂もまた再び目覚める時がくるかもしれない。         

蓮の花は仏教で極楽浄土に咲く花だがインドのヴィシュヌ派の創世神話ではヴィシュヌ神は宇宙の池で眠り、そのへそから蓮の花が伸びて行きそこに創造神ブラフマーが生まれる。ブラフマーが眼を開けると世界が生まれ眼を閉じると世界が消える。ブラフマーの寿命は43万2千年で終り、蓮は萎む。そして再び新しい蓮の花が咲きブラフマーは誕生する。この宇宙では星の数ほど新たに世界が生まれ、現れては消えて行く。
2016/07/28

人生の質を高める最も簡単な方法

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人は成長する過程で本当の自分を否定して親や社会から植え付けられた条件付けを受け入れて人格を形成していきます。そして世界はこうゆうものだと決めつけて自分を規制していきます。 本質の自分は幼児期に取り残され、自動人形の様に振る舞う偽りの人格にエネルギーが使われて、機械的な人生を生き続けます。

安全を脅かされて育った子供は感情を感じる通路を塞ぎ不安や恐れをもたない理想化された自己になろうとします。子供の内部では取引がおこなわれ、あるがままの自分が否定され偽りの自己にとってかわられます。 固く防護された偽りの自己は、自分を巧みにごまかし、心から湧いてくる感情を素直に表現することはしません。身体感覚が低下した状態では感情が意識にのぼってくる通路が封鎖されているので、感情が発散されず蓄積されてしまいます。

固定された硬直状態に陥いると、エネルギーの供給を失い生命エネルギーは枯渇していきます。 そして両親の期待に添う偽りの仮面を被っているうちに本当の顔を忘れてしまうのです。 親たちは自分の神経症的欲求や機械的な反応で子供に接します。子どもを支配したり、過保護にしたり、脅かしたり、怒ったり、厳しくしすぎたり、甘やかしたり、兄弟差別をしたり、偽善的に接したり、無関心だったり、一貫性なく接します。

そうして子供は環境に適応し、防衛のために偽りの自我を形成します。子どものまわりにいる親たちもあるがままの自分を否定されて育ち、あるがままの子供の姿を認めることができない偽りの自我を持つ大人たちだったのです。 外見は大人でも内面は感情を抑圧した子どもの時のままの人が多いのです。

自分にとって好ましくない感情が起きたとき、それに抵抗し戦う様に外から親や社会によって条件つけられている人は、観察的自己が育っていないので、それを受け入れるのが容易ではありません。

私たちは思考を自己と思い込んでいます。苦しみの根っこは頭の中に浮かぶ思考を自分と思い込んでいることにあります。不安な時、憂鬱な時、退屈している時は思考に同化しています。

人生の質を高める最も簡単な方法は身体感覚に意識を向けて、思考と一体化している偽りの自己から離れて、今ここに在る純粋な意識と繋がることです。

今この瞬間に意識を向けると思考や感情に覆われない本当の自分に気がつくことが出来ます。 感情や思い込みの葛藤の中で全体を俯瞰する本当の自分に目覚めると、いままで心の表層を流れる波に呑み込まれていたことに気がつきます。

あれ狂う嵐の日でも、深い海の底は静かに沈黙しています。 思考は過去を思い出し現在にいません。そして過去の記憶から否定的な未来を想像して湧き上がる不安や恐怖に翻弄されています。 そこから自由になるには、否定的な受け入れがたい感情が自分にあることをしっかり受け止め認めること、それに心を開いて手放す訓練が必要なのです。

いまの一瞬が永遠であり、すべての現象に実体がなく、頭の中で考えていた自分が本当の自分ではないことに気がついたとき、今ここで光輝いている自分に出会います。

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