2016/11/23

縄文土器

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縄文人はドングリを主食にしていました。遺跡からドングリをすりつぶす道具である大きな石皿やすり石が発掘されています。
縄文人はドングリを割って中身をすりつぶして粉にして、それを流水にさらしてアクを抜いて乾かして保存して、それを団子にして土器で加熱して食べていたようです。
米の生産量は一反あたり178キロと言われていますがどんぐりの生産量は一反150キロになるので収穫量は米とさほどかわりません。稲作は田植えから水管理、稲刈りまで汗水たらして働かなければなりませんがドングリはほっといても勝手に実がなります。一週間ほど山に出て拾えば1年分の主食を蓄えることができました。
縄文の住居跡からは炭化している木の実が混じったパンやクッキー状のものが発掘されています。蜂蜜をつけると現代ではおやつになります。

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縄文人は世界に先駆けて土器を発明して煮るという調理法を編み出しました。熱を加えることで殺菌され有毒物やアクが分解され堅い繊維の植物は柔らかくなるので、いままでに食べられなかった食物の種類が大量に増えることになりました。
縄文中期になると蒸し器も登場して煮るだけでなく蒸す調理法も発達しました。

今から約5500年〜4000年前の間、主に東北北部から北海道南部にかけて分布していたのが円筒土器です。盛岡から南を境にして分布しているのがずんぐりした形の大木式土器です。縄文時代前期~中期の盛岡はこの二つの文化圏に挟まれていました。

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海岸近くでは、魚貝や山菜や栗、クルミなどが入った鍋料理を楽しんでいたと思います。もちろん化学調味料などの食品添加物ははいっていません。天然の味を楽しんでいたでしょう。

最近の研究では縄文人の寿命は以外と長く65歳以上が3割もいたようです。体に障害を持って働けなかった人も大切にされて長生きをしていました。

諏訪地方の縄文人は周辺地域が稲作をしていても最後まで稲作を拒否していました。木を切り土地を耕さなくともドングリで楽に暮らせていけたからでしょう。

狩猟採集民にとっては森が神でありすべてでした。人間と動物は等しく、人間が動物になり、動物が人間に自由に姿を入れ変える事ができました。動物は兄弟であり植物は姉妹でした。 シャーマニズムの世界では、物質世界と霊の境界は流動的で切り離す事はできませんでした。




稲作習慣をもった人々が多くなると森を伐採して耕地面積を広げていきました。

しかし唯一木を切ってはならない場所がありました。それが縄文の人々が信仰の対象にしていた神聖な森でした。のちにそれが神社の鎮守の森になったのです。

しかし、近代合理主義の明治時代になると樹木は神聖さを失い単なる商品価値におとしめられました。森林は欲望の対象になり鎮守の森は売り渡されました。

南方熊楠の神社合祀反対運動
http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata104.jinja.html

ブナやクリなどの広葉樹などは大規模に伐採され、生き物の餌となる木の実が激減して獣は姿を消していきました。安田喜憲の花粉調査によると、ギリシャ文明と森の消滅はほぼ正比例しているといいます。

世界四大文明もまた木を切って森が消えたために文明が衰え、滅んでいきました。

命のネットワークからみれば森林破壊は自分の身体を破壊することに等しいのです。生態系全体が崩壊しつつあることの意味を私たちは理解していないようです。

森が消え、クマや小鳥が消えてゆくのは他の生物を巻き込んだ人間のゆるやかな自殺行為です。人工的な世界に囲まれて暮らす私たちの身体感覚は鈍くなっています。いのちの輪が見えなくなっているのです。
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2016/11/23

おおあさ(大麻)

日本の神道は大麻がないと成り立たちませんでした。古代の人々は大麻に神霊が寄りつくと考えていました。
大麻は情報であるエネルギーを転写するのです。お祓いの時には大麻に祓戸の大神が寄りつきます。その筆頭の女神が瀬織津姫です。神社で鈴を鳴らしますがその「鈴緒(すずのお)」の縄も大麻です。大麻は罪や穢れや祓う神聖なものとされていました。

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神主の装束も麻で織っています。神道の穢れを祓う道具が大麻でした。社殿のない場所で祭儀を行うときの神籬(ひもろぎ)は榊(さかき)に折った紙を垂らす紙垂(かみしで)に麻をつけたものでした。
昔から大麻は穢れを祓う力があると信じられていたので伊勢神宮の御祓大麻(おはらいたいま )は何百万枚も配布されています。相撲では麻で編んだ太いしめ繩のことを横綱といっています。

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日本人は昔から麻糸でへその緒を切り、麻を素材にした弓弦、凧糸、かつおの釣り糸や漁網を使い、麻の茎の入った家に住み、麻の鼻緒で作った下駄を履き、麻布でできた着物や褌(ふんどし)を身に付け、麻の蚊帳の中で麻糸で作った畳の上で眠っていました。
天照大神が天の岩戸に隠れた時に八咫鏡(やたのかがみ)と眞経津鏡(まふつのかがみ)と大麻をかけた榊(さかき)を持ち、天岩戸が細めに開いた時天照大神に鏡を差し出したのが太玉命(ふとたまのみこと)別名大麻比古(おおあさひこ)でした。
天皇が「大嘗祭」において儀式のときに着用する神衣(かむそ)は麻の織物でできています。天皇の代が変わる時、新しい天皇は大麻で出来た鹿服(あらたえ)を着て神殿に一晩寝て天皇霊を受け次ぐ儀式をしていました。この鹿服(あらたえ)を天皇家に献上する家が「大麻比古」を氏神とする古代忌部(いんべ)氏でした。
出雲風土記では麻を蒔いた神としてアオハタサクサヒコ(青幡佐久佐彦命)がでてきます。八重垣神社の場所は昔佐久佐神社といいました。神社がある松江市佐草は昔、大草の郷と呼ばれ大麻が沢山茂っていました。

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饒速日命(ニギハヤヒ)を先祖とする穂積氏は仙台に麻の栽培を教えて青麻神社を建立しています。穂積(ほずみ)氏は鈴木氏の祖でもあり熊野三山の神職でもありました。日本はいたるところに大麻が沢山茂っていました。
ユダヤ教でも大麻は神聖とされていました。旧約聖書エゼキエル書第 44 章で「神殿に入るときには頭には亜麻布の冠をつけ、腰には亜麻布の袴をつけ麻の衣服を着なければならない。」と神は祭司に麻の服で聖と俗との区別つけるように指示しています。

大麻で芸能人が検挙されてよくニュースにでますが数多くの裁判を手がけた丸井英弘弁護士は大麻取締法は問題があるといっています。

大麻取締法で大麻の栽培、輸出入は懲役7年以下、所持、譲渡は懲役5年以下の罪に問われます。つまり大麻をただ持っているだけで誘拐と同じ悪質な犯罪とされてしまうのです。

ただし、テトラヒドロカンナビノール (THC)が含まれるのは葉と花冠なので繊維の素材となる茎や食用の種はTHCが含まれないので所持しても犯罪とはなりません。

大麻は幻覚性や中毒性があり危険な麻薬と思っている人が多いですが大麻には致死量がなく大麻摂取による死亡例は報告されていません。

法律を作って市民を保護する利益・権利のことを保護法益といいますが大麻取締法は、窃盗罪や傷害罪のような被害者が存在しません。

関係者の証言を聞いても大麻の作用は心身をリラックスさせるだけで犯罪性も反社会的な要素はなく憲法第一三条で保障された幸福追求権を否定した違憲なものであると丸井英弘弁護士は考えています。

厚生省や警察等取締当局や裁判所は「国民の保健衛生上の危害の防止」と説明していますが酒やタバコも有害なので為政者が恣意的に用いればすべて取り締まりの対象になってしまいます。

大麻取締法はきわめて保護法益が不明確なのです。つまり法律が成立する合理的妥当的な根拠がないのです。

最近のMRIなどを使用した医学的研究ではアルコールやニコチン、コカインよりも大麻が有害だと立証できなかったとされています。大麻が暴力や攻撃性、非行などの主因となるという事も否定されています。

ただし、ヘロインのような物理的な中毒性はなくともチョコレートのような心理的依存性があり煙による害もあるので大麻が全くの無害ではないことはお断りしておきます。

私は呼吸法のファシリテーターなので恍惚や陶酔に導く変性意識状態は煙を吸わない呼吸の方が健康的だとおもってます。
大麻取締法は占領米軍GHQによって1948年に制定されました。その当時のアメリカは大麻を規制していたのです。

大麻を規制した理由は1937年にアメリカで「大麻課税法」が制定されたように綿花の栽培業者、衣料の原料である合成繊維の石油業界、製紙の原料のパルプ業界の保護にあり大麻の禁止には経済的な理由がありました。

大麻は荒れ地や干ばつでも成長し、肥料や農薬も必要としません。大麻からは紙と建材が作られ土で分解するバイオプラスチックも作ることができました。麻の繊維から丈夫なロープも作れます。

中国では昔から鎮静の漢方薬として使われ、最近は緑内障、ガン、アルコール依存、アルツハイマー、鬱病の治療に注目を浴びています。

大麻は食料、油、衣服、紙、建材、薬として日本でも自給できる有益な植物ですが現代社会は不当な扱いをしているのです。

戦後、GHQの指導で大麻取締法という法律が出来て以来大麻は麻薬として取り締まりの対象になってしまいました。
終戦後、全国に600社あった大麻神社も改名を迫られましたが当時の神社庁と関係者は断固拒否して改名はなんとかまぬがれました。

しかし戦後の大麻栽培は犯罪と結びつくイメージが出来てしまったことと木綿に押されて日本の大麻産業は著しく衰退してしまいました。

繊維取得用に開発された大麻草(品種名:トチギシロ)は薬理成分テトラヒドロカンナビノール (THC)が含まれませんが栽培は大麻取締法のために認可制となっています。

今年の出張先は大麻関係の人々とよく出会いました。まるで麻の精霊が地球偶然一致制御局で仕事しているかのようでした。

丸井英弘弁護士インタビュー
http://www.asahi-net.or.jp/~is2h-mri/pent.html
大阪おおあさ自由学校事務局
http://ooasajg.blogspot.jp/p/blog-page.html
2016/11/08

いのちのうた

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私のセッションでは必ず音楽を使います。音楽が脳の視床下部に作用して、治癒力を活性化させることが知られています。
脳の視床下部にはホルモンの調整、自律神経の中枢があり、食欲や性欲、睡眠とも関係しています。

音楽は脳内麻薬物質ホルモンのバランスに影響を与えるので自分が好きな音楽をきいた人のストレスホルモン(副腎皮質ホルモン)の分泌は25パーセントも低下します。音楽は免疫系を強化させる作用があるのです。

一番最初に胎内で出来る感覚器官は受精後五週間で発達する聴覚です。幼子は母親の胎内で音と暮らしながら、脳を発達させています。もっとも根源的な感覚が聴覚なのです。アルツハイマーのお年寄りに音楽を聞かせると、忘れていた記憶の断片を突然思い出します。 音楽療法では音楽が薬の処方箋のように使われています。

音楽には、メロディー、ハーモニー、リズムの三要素があります。メロディーは思考センター、ハーモニーは感情センター、リズムは動作センターに影響します。

音の高さは1秒間の振動数で決まり、ドの音は1秒間に約260回振動をしています。この倍の520回振動すると1オクターブ上のドの音になります。この倍の音の振動数を倍音といいます。

チベット密教ニンマ派に多人数で低音の母音を連続的に発声する修行があります。高純度の倍音を浴びることによって、肉体と精神を浄化させるのです。

原子は一秒間に一千兆回振動しています。全宇宙は振動しているのです。脳波のピッチを変えて情報を含んでいる宇宙の干渉パターンと自由に共鳴させることができればあらゆる宇宙についての知識を手に入れる事が出来るでしょう。

ユダヤ教の神秘主義思想であるカバラの秘密の奥義とされる「ゾハールの書」には次のような事が記されています。
「宇宙にはあらゆる局面でうたわれた歌が燃えさかっている。天界の歌はむろんのこと、・・・・・・・・至高の存在の前では恒星、惑星、樹木、動物などすべてがそれぞれの旋律をかなでている。」
「そのはてしない和音は創造のもっとも粗雑な残響でさえ、ふつうの人には聞き分けられないが、礼拝と瞑想と善行によって宇宙の歌を聞くことが出来る。」

ギリシャ神話ではヘルメスからアポロン、そしてオルペウスはアポロンから竪琴をさずかります。オルペウスの教えはピュタゴラス・プラトンに受け継がれました。ピュタゴラス派の人々は宇宙を巨大な竪琴のようなものと考えていました。

古代ギリシャで死と再生の秘儀に音楽が使われていたことをプラトンは伝えています。特定の振動音はチャクラに共鳴して意識に影響を与えるのです。

ブナの森を吹き抜ける自然界の風の音も宇宙空間を飛び交う宇宙の素粒子やプラズマの音も瞑想にはいると宇宙のリズムと同調して調和された振動帯域に入ります。宇宙はひとつの音から生まれたのです。

調和された音に全身を共鳴させていくと左脳の言語中枢の活動が減少して、頭のおしゃべりは減少します。
適切な音楽が使われることによって「私は愛されてはいない。」「わたしは生きる価値がない人間だ。」と思い込む以前の心のいちばん深い部分に共鳴が起きます。

個人セッションで呼吸が深くなり、抑圧していた心理的な痛みを伴ったエネルギーの解放が起きた時に、涙を流しながら突然歌いだす人がいます。

「いのちのうた」が歌われたのです。魂のうたといってもいいかもしれません。それまでに歌ったことがない心の奥底に秘めていたうたです。あまりの懐かしさに涙をながします。

深い心の奥で「いのちのうた」「たましいのうた」はいつも歌われているのです。

辛い記憶でできた自我の殻を通り抜け、そこにたどり着くことができれば誰でも「いのちのうた」を歌うことができます。
「いのちのうた」が歌われるとハートのチャクラが開いて愛と光に満たされる感覚に包まれます。

自由なエネルギーの流れを感じ、周りの人々と自分とのつながりが全宇宙にまで広がり圧倒的な感謝の気持ちに包まれます。
音楽は自己の本質の発見に導くのです。

写真は大阪岡町のワーク会場