2017/07/15

山鹿市の不動岩(ふどうがん)

熊本県山鹿市の不動岩(ふどうがん)に行ってきました。

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標高389メートルの蒲生山中腹に高さ約80メートルの不動岩が突き出しています。5億年以上も前の古生代(オルドビス紀)に海底で形成された岩盤がその後隆起して地上に姿を現したものです。

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日本古来の山岳信仰と仏教が結びついた平安時代の山伏たちが不動明王を本尊としてまつったので不動岩の付け根に不動神社の拝殿があります。

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出口王仁三郎は不動岩を重要視して神霊世界で見た美山彦(言霊彦)がロッキー山に造った石神像だと言って「みろく岩」と名付けています。

不動岩の真向かいの鎮祭地を瑞霊苑と命名してみろく観音を祀っています。

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男性器を表す岩石は古代から信仰の対象になっていました。

性器の話を低俗だと考える人がいるかもしれませんが、性器が出てくる日本神話の話はすべて誕生と死に関係していました。

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2017/07/15

厳島神社

宗像三姉妹を祀っている広島の厳島神社と奥社・弥山の御山神社を参拝してきました。

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世界遺産ということもありアジアと西洋人の観光客で賑わっていました。

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長崎県上対馬町の厳島神社の記載によると、「厳島弁才天という神は、本来は宗像の女神、市杵島姫で、沖ノ島の祭神であったのが、仏教と習合して弁才天となったもので、安芸の宮島(厳島)が有名になった」とあるように厳島神社と大願寺は一体となってイチキシマ姫を祀っていたようです。


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イチキシマ姫(市杵嶋姫)は記紀でアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)の時に生まれたとされる宗像三女の一人です。

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誓約で生まれた男性のアメノオシホミミ(天忍穂耳命)とアメノホヒ(天穂日命)はアマテラスの子供になり三姉妹はスサノオの娘となっています。天孫族のアマテラスは父系で出雲のスサノオは母系を表しているようです。

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海部氏の勘注系図によると、イチキシマ姫(市杵嶋姫)の別名はサデヨリ姫(佐手依姫命)、息津嶋姫命、ヒコイラツ姫(日子郎女神)となっており押穂耳(オシホミミ)の第三子のアメノホアカリ天火明と結ばれてアメノカグヤマ(天香語山命)の妻となるホヤ姫(穂屋姫)を生んでいます。

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また先代旧事本紀によるとアメノホアカリ(天火明)はオオナムチ(大己貴神)の娘アメノミチ姫(天道日女命・別名 高照姫命)を娶ってアメノカグヤマ(天香語山命)を生んでいます。

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ホツマではアマテルとハヤコの間に生まれた三つ子、タケコ(奥津島姫)・タキコ(江島姫)・タナコ(市杵島姫) の三姉妹の一人です。タケコ(奥津島姫)は、多賀近江の大己貴命(おおなむちのみこと)の妻となり、タキコ(江島姫)は、香具山祇命(かぐやまつみのみこと)の妻となり、タナコ(市杵島姫) は、息吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)の妻となっています。

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家系図を残す社会は男性の嫡子をたどる男系なので家系図は女性の名前がありません。ところが母系社会では母から娘なので逆に父親という概念がありませんでした。
系図を書いた人も読む人も頭が長男をたどる男系になっています。
そのために古代日本は母系社会だったので古代日本の系図は父系と母系が混在してわかりにくくなっています。
大国主は役職名なので卑弥呼のように女性だった時代もあるはずです。

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三姉妹を祀る神社の中で市杵嶋姫を祀る神社だけがダントツに多くなっています。

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松尾大社の祭神は大山咋神と共に市杵島姫命だけが祀られています。市杵嶋姫は弁財天と集合して安芸の宮島をはじめ江ノ島、金華山、天河、琵琶湖の竹生島に祀られていました。

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2017/07/15

宗像大社

福岡に午後到着したその日、車を走らせていたところ、 突然目の前に宗像大社が現れました。それも閉門15分前でした。

宗像大社はその日行く予定ではありませんでしたが、すぐに、車から降りて参拝しました。人払されていたかのように、ほとんど参拝客がいませんでした。

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イチキシマ姫はイツクシマ(斎く島)の転訛でオキツシマ姫ともされていて最初は沖ノ島に祀られたのが宗像大社の始まりのようです。田島の辺津宮に三女神が合祀されたのは奈良朝末、光仁天皇の時代とされています。

イチキシマ姫はアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)の時に生まれたとされる宗像三女神ですが三女の中でも特にイチキシマ姫は出雲族と関係が深く、八重垣神社の板壁にはスサノオとクシイナダ姫アマテラスと一緒に唯一イチキシマ姫だけが描かれています。

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宗像郡と福岡市にはスサノオゆかりの社が多く、対馬の神社も出雲系の神社が3割を占めています。

古事記に「津島(対馬)のまたの名を天狭手依比売という」記述があり、イチキシマ姫は沖ノ島の神であると同時に対馬の女神だったようです。

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アマテラスの五男三女を祀る神社の中にイチキシマ姫の名がなく代わりに「サヨリ姫(狭依毘売命)」が入っていることもあります。

海部氏(あまべうじ)の勘注系図でも、イチキシマ姫(市杵嶋姫)の別名は佐手依姫命とあるので、海部氏、尾張氏の祖神でもあります。

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イチキシマ姫は水の神さまとしても有名でよくミズハノメ、ヤツハノメと一緒に祀らています。静岡県磐田市の水神社はミズハノメとイチキシマ姫を祭神としています。

和歌山県のかつらぎ町の「丹生都比売神社」では第四殿にイチキシマ姫が祀られています。松尾大社ではオオヤマクイと並んでイチキシマ姫が祀られていました。オオヤマクイの神社にはよくサルタヒコの名が一緒に連ねています。スサノオとニギハヤヒ、オオヤマクイとサルタヒコそしてイチキシマ姫は関係があります。

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全国のイチキシマ姫ゆかりの神社を参拝しているうちに最初はおぼろげだったイチキシマ姫の姿がいつの間にか浮かび上がってきました。

宗像大社を参拝した後の7月9日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は世界遺産となりました。

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2017/07/15

宇佐神宮

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全国にある神社数11万社のうち三分の一以上の4万社が八幡社です。源義家は石清水八幡宮の神前で元服し、八幡太郎と名乗りました。八幡宮を氏神として頼朝が鎌倉の地に移したので八幡神は武士の守護神と思われるようになりました。その八幡社の総本社が宇佐神宮です。

宇佐八幡宮の由緒では、八幡大神(応神天皇)、比売大神(宗像三女神)、神功皇后(応神天皇の皇后で新羅征伐説話で知られる)を祭神としています。

比売大神の名前と宇佐神宮の創立は記録がないので謎となっています。

八幡大神を応神天皇の神霊とする記述は『古事記』『日本書紀』になく蘇我氏の時代の570年に宇佐神宮の創祀に関わった大神比義(おおがのひぎ)が神がかり「我は誉田天皇広幡八幡麻呂(応神天皇)なり。名を護国霊験威身神大自在王菩薩という」と託宣したという平安時代の記録が最初です。

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応神天皇14年(283年)の時代に大陸から弓月君1万人規模の秦氏一族が渡ってきたという日本書紀の記録があります。八幡ヤハタは秦氏のハタであり、八幡神は豊前国(福岡県の東部と大分県の北部 中津市・宇佐市)に移り住んだ秦氏が祀った氏神と言われています。



さて宇佐神宮に応神天皇と神功皇后が祀られていますが歴代の天皇の中で大社に祀られた天皇は明治になるまでいませんでした。そして宇佐神宮に八幡神として祀られている応神天皇の父で神功皇后の夫の仲哀天皇の名前がなく武内宿禰が祀られています。



古事記によると物部の娘と8代孝元天皇の間に生まれた息子と紀氏の先祖宇豆比古の妹の間に生まれたのが武内宿禰と言われています。そして武内宿禰は蘇我氏の先祖とされています。

宇佐神宮には14世紀の南北朝の戦乱によって荒廃するまで巫女が八幡神をチャネリングして宣託するシャーマニズムの伝統がありました。神功皇后もチャネラーでした。

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聖武天皇の病気を平癒したり大仏造立の成就を託宣した宇佐神宮の巫女達は748年朝廷から30階ある官位のうち外従五位を授かっています。



翌年宇佐神宮の禰宜尼(神に仕える禰宜と仏に仕える尼の称号)の大神朝臣杜女(おおみわのあそんもりめ)が神の代理として天皇と同じ紫色の輿に乗り、東大寺に赴いて大仏を拝しました。



これは八幡神が仏教に帰依したことを意味していました。八幡神は八幡大菩薩という称号をえて仏教と習合していきました。

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八幡大神を祀る社殿が造営されたのは娘の光明子を聖武天皇の皇后にした藤原不比等の時代でした。このあと物部氏の痕跡は消されていきました。



769年には宇佐神宮を舞台にした有名な弓削道鏡の神詔事件が起きています弓削道鏡の出身地は八尾市弓削でした。八尾は物部の本拠地だった場所です。


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宇佐神宮の社記によると八幡神が顕れる以前に祀られたのは比売大神で三女神が天降ったのがこの宇佐島だとされています。


宇佐神宮の歴史の最初は太古の昔から祀られていた比売大神で、八幡大神が出現したのが6世紀後半で、八幡大神と比売大神の社殿が建立されたのが八世紀前半、神功皇后が祀られたのはそれから約100年後の823年ということになります。

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772年に罷免されまで古代の宇佐神宮の神官をしていた辛嶋氏はスサノオとイソタケルを先祖としていました。宇佐氏の祖先は「天照大神の二人の姫神」と記録されています。

そして宇佐市の神社の四割近くがスサノオとオオトシで占められています。ここは昔出雲族の勢力下にあったのです。

宇佐神宮に最初、祀られていた神とはスサノオ親子、比売大神はアマテラスとイチキシマ姫の母娘だったように思われます。比売大神とは卑弥呼と台与のような女王だったのでしょう。

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2017/07/10

惑星意識の誕生

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循環が途切れた経済システムは破綻します。冨の偏った配分や硬直化した文化、市民の公平な権利を守らない役人、警察官、裁判官、マスコミ。環境よりも自分たちの既得権益を擁護する人々が権力を握っている社会、腐敗した政治の社会は持続不可能です。

中世で一番大きな建物はキリスト教会、宗教の建物でした。17世紀の建物は政治の建造物が一番大きく、20世紀は経済活動の建物が大きくお金が神でした。

21世紀になると経済の象徴だった世界貿易センタービルが崩壊しました。そしてチェルノブイリ原発の事故が起きました。

国土が放射能に汚染されたウクライナは急激な人口減少に直面しました。1951年以来一度も人口減少を見せたことのないウクライナの人口は事故後約20年の間に12.1%も失われたのです。http://bit.ly/AgqdCb  日本では福島の原発事故が起きました。福島原発事故のセシウムの量はチェルノブイリの4倍です。

いまだに原発事故の実感がわかない人がまだ大勢います。理性中心の科学合理的な思考をするようになって左脳優位になり、全体との繋がりが見えなくなってしまったのです。

資源を食いつぶす旧体制はシステムのゆらぎが臨界値を超えたのでもはや消え去る運命にあります。経済やお金の時代はすでに終わりをつげたのです。歴史はすでに次の時代へ向かっています。

古い自我を超えようとする時には分離していた影との境界で激しい葛藤が起きてきます。ほとんどの人は自分の触れたくない感情がでてくることには抵抗があります。その新たな展開に恐れをいだき自分自身との直面をさけ古い自我にしがみつき現状維持をはかろうとします。

精神的混乱が続くと自我は病的退行の段階に至ります。現実と非現実の境界がゆらぎ、不安定になります。自身の暗黒面を直面できないため一体何が起きているのか把握できず強い不安と恐怖にさらされます。無意識から沸き上がる否定的なエネルギーに巻き込まれて混乱したまま自己を喪失して退行してしまいます。

これが社会の集合無意識で起こるでしょう。私たちの社会が新しい社会に移行するには退行か成長の二つの道があります。

一つは環境が悪化し崩壊に向かっているにもかかわらず、権力を握っている体制側が新たな展開に恐れをいだき既得権益を守りがたいためにあらゆる手はずを使って現状維持をはかろうとします。

人々は偽りの価値にしがみつき、体制を変えようとはせず情報操作された社会の中で夢想と忘却の日々をいたずらに過ごします。

システムのゆらぎが臨界値を超えると、予期せぬ変化が急激に起きるのが崩壊のプロセスです。硬直した保守体制はやってきた環境悪化に対応できず社会秩序は崩壊に向かいます。憎しみや復讐の感情が制御不能な暴力となって対立が世界中に吹き荒れます。人々は堪え難いストレスに苛まれます。

もう一つは、ゆらぎが個人の内面に起きて意識のマトリックスの転換が進み、自分の思考を自覚することができる観照の眼を持った人々が増え続けて、加速がつきます。ついに社会を変えることができる人数の臨界値を超えてしまいます。環境保護や他者との相互信頼を大切にする企業や政治家が支持され対策が講じられるようになります。

大勢の人々が真の宗教性をもつようになって組織宗教はみな力を失い宗教の対立は消滅していきます。

人々は自分の内部にある心理的葛藤を外部に向かって行動表現しなくなり、相互に信頼を築き、尊敬しあう関係が生まれます。無意識の領域の自覚が進み命のネットワークが実感され人種民族の違いに寛容になります。物質的価値よりも人や自然との関係性や心の充実が価値を持つようになります。

やがて国家は必要がなくなり、軍隊は武器をスコップに替え災害救助隊に変容します。富の再配分がおこなわれて、余った軍事予算のすべては貧困、農業、循環する自然再生エネルギーの開発費にまわされます。社会が成熟すれば法律、政府、裁判所、警察、軍隊は必要がなくなり、国境線は消えます。

地球は持続可能な状態に落ち着きます。

動物なのか植物なのかわからない粘菌という生物はエサがなくなると四方から一つの中心に向かって集合体を作ります。

危機状況のアメーバの行動
https://www.youtube.com/watch?v=Ze3NjbE7kQI&feature=share・・・

不思議なことに一つ一つが独立した粘菌の集合体は情報を伝達する神経を持たなくとも一つの個体生物のような統率された行動を示します。

移動を止めると粘菌は尾の部分が茎状になって垂直に伸びて死に、頭の部分は胞子となって空中に飛び散ります。そして胞子はあらたな繁殖地でふたたびアメーバ状となり生きて行くのです。

この粘菌のように破綻に直面すると生命は環境に適応しながら自己増殖をして生命を維持しようとしていきます。

今までの市民運動の中には個人の意識の内面にある強い緊張や抑圧に無自覚で気がつかずに正義を振りかざしたために、抑圧されたエネルギーに飲み込まれて言動や行動が攻撃的、暴力的な運動になって吹き出すことがありました。
それが深刻な対立をうみ、分裂し、さらなる摩擦を起こし欲求不満、ストレスにさらされて怒りの感情を他者に投影して行動してしまいました。そのために過去の市民運動に違和感を持った人々も多かったのです。

社会運動に熱心な人は内面の問題に無自覚だったり、心の問題に熱心な人は社会運動にあまり関心を示しませんでした。

これからオーガニックな食を好み自然素材の服を好み、髪型も自由で音楽を歌い踊り、瞑想しハートを開いた人々が行動して議会に現れるでしょう。既存の価値観から決別した、これまでの政治家とは根本的に異なる人々が登場してくるのです。

優れたリーダーが現れても社会を構成している人々の意識が変わらない限り社会の根本的な変革はありえません。既得権益を握って権力を持っている保守勢力につぶされてしまうからです。

中国にはかつて民主的といわれた胡耀邦が総書記に就任したことがあります。彼は中国のチベット政策の失敗を正式に表明して謝罪しました。しかし長老・保守グループはそれに強く反撥して胡耀邦は総書記の座から引き摺り下ろされてしまいました。民主的な考えの人物が中国の主導部で多数派であったならばとっくの昔に中国は民主化されていたでしょう。もし、大多数の民衆が覚醒したならば逆に愚かな指導者は力を失い姿を消してしまうのです。

個人の意識の成熟が鍵なのです。そして社会にゆらぎが起きている時はそれが全体に波及していくでしょう。

一人の人物の中で目覚めの炎が燃え上がったとき、突然その火の粉が飛んで他の人にも点火します。そしてそれが次々と点火して、たちまちあたり一面に炎がもえさかります。そして、全体がおびただしい光であふれかえります。

それが地球規模でおきて、経済の幻想、宗教の対立、民族の争い、国境は消えます。この地球に新たな惑星意識が誕生します。その青写真はすでに誰もが持っています。
2017/07/09

奇跡のリンゴ 木村秋則講演会

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奇跡のリンゴ 木村秋則講演会

先日岩手県紫波町オガールでオーガニックフェスタが開催された。映画「奇跡のリンゴ」のモデルになった木村秋則さんの講演会があったので出かけて来た。

リンゴから教わったのは
「自然は百科事典だよ。すべての答えが自然にあるんだよ」そう話す木村さん

「土の上ばかりを見て来た。大事なことは眼に見えない所にあるんだな」
リンゴは教えてくれた。「馬鹿になれ」

そして季節を忘れたリンゴの木の写真を見せた。後ろの自然の山の木は紅葉しているのにリンゴの木の葉は紅葉していない。これが現代人が食べている今のリンゴの実体だ。異常なことを当たり前と思っている。

アブの幼虫がアブラムシを食べている。アブの幼虫はものすごい量のアブラムシを食べる。葉についたアブラムシを全部食べてしまう。てんとう虫は4〜5匹しか食べない。てんとう虫がいてもアブラムシは逃げない。アブの幼虫がいるとアブラムシが逃げてしまう。

木村さんはてんとう虫にご飯粒をつけて飛ばない様にして一匹一匹に番号をつけて調べた。近所の人から木村さんは馬鹿だと思われた。

減反した田んぼに蒔いた大豆の写真が映し出された。
右は生育が良く、左の大豆は生育が悪い。
JAの指導員は生育が悪い大豆を見て
「肥料が足りない。肥料を施しなさい」と指導をした。

木村さんは「肥料を施すのは間違っている」と言った。「生育が悪いのは水はけが悪いからで30センチくらいの溝を掘って水はけを良くしてみてください」そう指導すると肥料を施さなくとも立派な大豆が出来た。

「肥料をやらなくてはだめだ。」
「肥料を施さないで、除草剤、農薬を使わずに作物が出来るか!!」
「夢物語を語るな!!」
全国何処にいってもそういわれる木村さん

ところが作物が肥料をどれだけ使っているか生産者は知らない。
実際は肥料の1割程度しか使われていない。作物は肥料をやらなくとも出来る。自然を観察してそう考えた木村さんは実際に無肥料で作物を栽培して証明した。

農薬、除草剤をやらなければ雑草だけが生える。ところがそこの畑の先住民は誰か?その土地の雑草が先住民ではないか。作物のほうがよそ者である。そして雑草もあまり肥料を食わない。土の中のバクテリアが2〜3割使うのである。

その肥料がどのような結果をもたらしているのか消費者は知らない。東京のスーパーの店頭に並べられる野菜から軒並み9千ppm から1万ppm を超す「硝酸塩」が検出されている。

1950年代から1965年ごろにかけて、欧米ではホウレンソウが原因で乳幼児の中毒事件が相次いだ。裏ごししたホウレンソウを離乳食として与えたところ、赤ん坊は真っ青になり30分もしないうちに死亡に至ったのである。278人の赤ん坊がこの中毒にかかり、そのうち39名が死亡した。

欧米では「硝酸塩」を3000ppm以下に厳しく制限されている。

ところが東京の大田卸売市場の抜き取り検査ではチンゲンサイから16000ppmの「硝酸塩」が検出されている。その量は2〜3歳の子供なら小松菜2枚食べると死ぬといわれている。

消費者は「無農薬野菜」や「有機栽培野菜」を安全と思っているけれど中途半端な有機肥料を施した野菜は危険なのである。完熟しない有機肥料を畑に施すと劇薬となる。「硝酸塩」は、「残留農薬」の何倍も危険な劇薬なのである。

コップに水を入れた自然栽培の米と農薬、科学肥料の米と有機栽培の米の比較の写真

冬に20日間たった米は腐って、ものすごい匂いを発しているが無肥料、無除草剤、無農薬の自然栽培の米だけが腐っていない。日本人が毎日食べ続ける米がこのような状態にある。便秘の人は要注意である。

農薬、除草剤、化学肥料を使った近代農業を押し進めた戦後の日本はその結果どうなったか。とんでもないことが起きている。どうしてニュースにならないのか不思議だ。消費者はその事実を知らない。

宮古島ではサトウキビの栽培が盛んで農薬、除草剤、化学肥料を使った結果、サトウキビの生産量が増えた。

しかし、しかし何十年もたった現在、畑に窒素肥料をたくさん与えた為に硝酸態窒素が水に混入し宮古島では水が飲めなくなってしまった。宮古島は山や川のない小さな島なので生活用水や産業用水のすべてを地下水に頼っていたのである。

宮古島の高校では木村さんの自然栽培を始めている。全国で自然栽培を始めた農家が増えて来ている。収入も増えて来ている。自然栽培を始めた高校では七千万円の売り上げがあった。

自然栽培の田畑にはトキが飛んで来た。農薬、除草剤を使わなければ無数の生物とバクテリアが住む様になってくる。日本全国、いや世界中がそうなってほしいと、そう願う木村さんだった。

以上は木村さんの講演の内容

あとは私の感想
実行委員会の日野さんの話によると木村さんは予定を変更してまでオーガニックフェスタに駆けつけてくれたということである。

たしかに化学肥料と殺虫剤の大量使用は収穫量を何倍も増やした。しかし環境は汚染されミツバチは姿を消しつつある。

害虫というのは人間中心の考えで、人間が手を加えた畑や山林で害虫は大発生するが、自然界の山林では害虫が大発生しない。山には虫を食べる天敵がいるからだ。農薬を散布した結果、農薬に弱い天敵が死滅して農薬に強い害虫だけが大発生してしまう。本末転倒な話である。

そして作物は、命のない物質としてあつかわれるようになった。アメリカでは機械化できなかった何百万という小規模の農場は閉鎖されて農業は工業化された巨大な産業に変身した。農業はビジネスとしてマネーゲームの対象になった。

医療の現場と農業はよく似ている。薬の使用は耐性菌を増やし、免疫力の低下を招き、医療費の高騰を招いている。

作物は病気に弱く、化学肥料と農薬に依存している為に農薬を駆け続けなくてはならずコストが増大した。近代農業は完全な石油エネルギー依存体質になっている。

皮肉なことに農薬は天敵の数を減らし、農薬の耐性をもった害虫を増やしている。長年、同じ作物を植え、合成肥料を施したために、土壌の生態バランスはすでに崩れてしまっている。いきなり自然農法してもうまくいかない。木村さんは10年間収穫なしだった。

薬に依存する病人と同様に農業も薬をつかい続けなくては行けない体質になっている。そして、農家は農薬をあび消費者は生命力が低下した作物を食べるのである。その結果は環境破壊と身体の病気となってあらわれている。

硬直化した近代農業にかわる自然栽培がこれから、世界中で行なわれてくるだろう。循環しない近代農業は地球環境を破壊する持続不可能の農法だからだ。

合成肥料なしで作物を育て、新しい生態学的な方法で害虫をコントロールし始めている。作物は化学肥料よりも美味しく、生産者と消費者の健康にもよく、何よりも地球に住む生き物に良いのである。

(撮影地 岩手県紫波町 2014年9月6日)
2017/07/04

母系から父系へ

日本は狩猟採集の縄文から農耕社会の弥生へ、そして中央集権国家へと移行して行く過程において、母系から父系へと変わっていきました。

古墳時代前期末(4世紀後半頃)築造の大阪の和泉黄金塚古墳は中央の人物とその身内と思われる二人が葬られています19577179_1587812917947962_2983657986732527988_o.jpg

中央の人物は首長階級の女性の棺で外側の粘土床から、景初三年銘の平縁画文帯神獣鏡が出土しています。景初三年は邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送った西暦239年にあたります。画文帯神獣鏡は三世紀初めにほとんど生産が終わっているとみられているので鏡は大切に使われて受け継がれていたのでしょう。

三角縁神獣鏡は中国からは全く出土せず日本からは世に存在しない景初四年の年号を含む500枚を超える枚数が発掘されているので多くは日本で模倣された国内製の鏡と見られています。呉は280年に滅亡しているので亡命した呉の職人が製作したという説もあります。

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霊力が宿る鏡は人間と神との間を繋げる神具であり神の世界に入る入り口でした。カガミ(鏡)から「ガ(我)」をとるとカミ(神)になります。

神社のご神体に鏡が多いのは明治二十八年に政府が法令で

「白銅円鏡で、天神地祇と天皇は径一尺(約30cm)、その他の神は七寸(約21cm)、背面に神名を刻み、つまみに紅紐をつけ、金襴の袋に納めて柳箱に入れる。それを白平絹の入帷(いれかたびら)に包んで、さらに檜白木造の辛櫃に納める。」と定めたことによります。

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自然信仰の時代は山や川、巨木や岩あらゆるものが神でした。

縄文は母系社会でした。古代の部族のリーダーは女性だったのです。弥生になって古墳時代の前半までそれが続いていました。

古墳の埋葬者の研究によると5世紀までの古墳に埋葬されていたのは夫婦と子供ではなく姉弟、兄妹のキョウダイでした。

『古事記』、『日本書紀』、『風土記』には女性が呪術(祭祀)を行う首長で男性が軍事と政治をおこなうヒメヒコ制があったことが書かれています。

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邪馬台国では女性の卑弥呼が王で長官にヒコ(卑狗)がいました。卑弥呼のヒミはヒメミコで「ヒメ」のことではないかと思います。
推古天皇がヒメで甥の聖徳太子(ヒコ)が政治をこなったのもヒメヒコ制でしょう。女性が首長だったので古代に女性天皇が多いのはそのためです。

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5世紀後半からはキョウダイと父が埋葬されるようになり6世紀前半からキョウダイと両親が埋葬されるようになりました。

つまり母系から双系へ、そして父系に変わっていったことをしめしているのでしょう。古墳の副葬品も呪術的なものから武器や馬具に変わっていったのです。


古墳時代の中国は戦乱が続く三国時代で人口が七分の一にまで減少しています。母系から父系の移行はこのことが影響しているのかもしれません。

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