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2018/03/12

日本人とは誰か

DNAの研究によると、500万年前に人類はオランウータンと分化し、そこからゴリラ、チンパンジーと次々と枝分かれして、20万年前(最近では30万年前)にアフリカに誕生しました。

そして、10万年前にアフリカ人と枝分かれしたモンゴロイドは、アジア大陸から渡って約4万年前に日本列島に現れました。
Y染色体の父系DNAを調べてみると 、バイカル湖畔から南下し華北に暮らして日本列島に移動してきたのが縄文系古モンゴロイドの〈Dタイプ〉で3割を占めています。

中国や韓国で多数を占める弥生系・新モンゴロイドの〈Oタイプ〉は5割を占めています。

他にDタイプが残っているのは、後から来た集団に追いやられて残ったと見られている中国南部の山岳地域のブヌ族(布努族)、インド・アンダマン諸島のジャラワ族とチベット族です。

C-M8タイプは5%ほどですが日本以外には見られない日本固有のタイプです。C-M217はアルタイが起源でユーラシア中部~北米に多いタイプで日本は4%ほどです。(「日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造」NHKブックス)

白血球のHLAの型を調べてみると日本人に最も多いB52-DR2が、韓国人や中国北部の漢族、ツングース族、モンゴル族などの北方の人々に多いことがわかっています。

次にB44-DR13は太平洋側や南九州、四国、沖縄で少なく、漢民族やモンゴル人でも殆ど見られず朝鮮半島の人々に多く見られるタイプです。

B46-DR8は韓国人と中国東北部の満族のみに多いタイプです。
B46-DR9は沖縄、南九州や太平洋沿岸地域で少なく、揚子江流域を起源とする中国南部、四川省やタイ、ベトナムの集団で最も多いタイプです。

B54-DR4は日本の南部から太平洋側にかけて多く東北は少なく沖縄が最も多いこのタイプは漢民族に少なく中国東北部、韓国に多いことが明らかになっています。
(「HLA 遺伝子群からみた日本人のなりたち」徳永勝士 東京大学出版会)

母系のミトコンドリアDNAを調べてみると本州の日本人・沖縄人でいちばん多いのが東アジアで最大のグループD(40%)と北方に由来するG(6.86%)です。

B(13%)はオーストロネシア語族(台湾、東南アジア、太平洋の島々)と関連し、M(5%)はオーストロアジア語族(東シナ海・フィリピン・インドネシア)と関連しています。沖縄が最も多く北に行くに従って少なくなります。

F(5%)は東南アジア最大のグループです。

A(6.85%)はバイカル湖周辺を起源とし北アジアと北アメリカ先住民に多いです。

北海道の縄文人とアイヌはオホーツク海周辺のY(N9)が多くB、F、がありません。

『日本文化の深層を探る』(沖浦和光、岩波新書)によると日本人のルーツは、次の通りです。

1、古モンゴロイド系の縄文人の末裔のアイヌ系と沖縄
2、稲作農耕と漁をして暮らす倭族
3、マレーなど黒潮に乗って北上したフィリピン人、インドネシア人の源流に連なる南方系海洋民
4、朝鮮からの渡来人
5、中国の江北地方から北九州に渡ってきた新モンゴロイド系・漢人系
6、北方系騎馬民族(新モンゴロイド系・ツングース族)

古史古伝によると日本列島には、それぞれ風俗習慣言語が異なる熊襲(くまそ) 隼人(はやと) 国楢(くず) 高志(こし) 八束脛(やつかはぎ) 土蜘蛛(つちぐも) 粛慎(しゅくしん) 蝦夷(えみし)の名前で呼ばれる人々が住んでいました。

日本は多民族の國だったのです。そしてそのリーダーのほとんどがヒミコのように女性でした。

日本列島に最初にやって来たのは古モンゴロイド系の縄文人でした。母系社会を築いていた縄文の人々は海を越えて渡来して来た新モンゴロイド系の人々を受け入れて行きました。その混血で日本人ができたのです。

母系のミトコンドリアDNAを遡るとたった1人の女性、人類共通の大祖母ミトコンドリアイブが現れます。

「はらから(同胞)」という日本語は、みな同じ先祖から出ている仲間だということをあらわしています。
先住民族は自然界のあらゆるものすべてに精霊が宿っていると信じていました。

シャーマンはシャーマン意識状態に入り、サトル(非物質的な微細な世界)の領域に入り精霊と交流していました。
人間以外の動物や植物は皆、兄弟姉妹でした。人間は偉大な精霊たちによって生かされていました。

全ての存在は生きている地球と言う網の結び目の一部に過ぎず、それから離れる事は出来ないのです。

男性原理は違いを強調し分離して争いますが女性原理は包み込み融合します。

先祖を何万年もさかのぼれば、日本人、中国人、朝鮮人、という違いは消えてしまいます。

日本列島に日本人という民族・人種は存在せず、その土地に日本語を話す脳の回路を持つ地球人がいるだけなのです。
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2018/03/12

蛇信仰

日本は昔から蛇を神として信仰していました。

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蛇は脱皮によって命を再生します。不完全な脱皮をした蛇は命が2カ月もたないと言われています。

蛇は脱皮しなければ生存できないので、集中して全力で脱皮します。蛇には眼にも皮があり、文字通りスッポリと脱ぎます。再生された蛇の新鮮な皮膚に古代人は驚いたことでしょう。

蛇が成長するにつれて、古い皮を脱いで新しい皮に変わることから、脱皮はこれまでの古い硬直した考え方から抜け出て、一段と進歩することを意味します。古い自我を脱皮して新しい自我に変わるのが自己超越です。蛇の形態はまた、男根も連想させました。長時間におよぶ「蛇の交尾」がしめ縄となり、最も神聖な場所を現す場所に飾られています。

諏訪地方の縄文中期の遺跡から頭上にまむしを乗せた土偶が発見されています。縄文土器の文様はお互いが絡み合う蛇の交尾でもあります。諏訪大社の重要な神事に、ミシャグチ神の「御室神事」があります。御室とは、ワラ製の蛇であるミシャグジ神が据えられた縄文時代そのままの竪穴式住居のことで、その中で神官がミシャグチ神を勧請して託宣をしたのです。

ミシャグチ神の象徴である石棒は、蛇であり男根でもありました。

インドのヒンドゥ教で、石棒はサンスクリット語で男性器を意味するリンガムと言います。女性器をかたどった台座(ヨーニ)に真っ直ぐ立った石であらわされています。縄文時代のストーンサークルも石を丸く並べた真ん中に石棒を立てています。



古代は女性が神事を司っていたのですが男性原理が強くなると女性の地位は低下して、神官は男性が行うようになりました。

最古の神社の一つ大神神社の祭神の大物主神(オオモノヌシノカミ)は蛇で巫女が蛇神と交わる神婚説話が古事記に出てきます。

三輪山は蛇がとぐろを巻いた姿でもありました。古墳もまた蛇がとぐろを巻いた姿でもあります。蛇の古語はカカで鏡は「蛇(カカ)の目(メ)」で蛇の目でした。鏡もちは蛇がトグロを巻いている姿です。

仏教が入ってくると日本各地に白い蛇を弁天様とする信仰が起きました。縄文時代から森の主、水の神として続いて来た蛇信仰は弥生になると中国の龍信仰と結びつきました。龍は中国東北部を起源とする物質世界には存在しない動物です。蛇はアニミズムの自然崇拝ですが、龍の出現は王権の誕生と深く関わっていました。日本に龍が出現するのは弥生から古墳時代移行です。

仏教が導入されると蛇信仰は弁財天と習合しました。縄文の蛇神は水神で農業の神でもあった宇賀神(白蛇の体に老翁の頭を持つ神様)と習合して、五穀豊穣の神様、宇賀弁才天に変容しています。

弁財(才)天の真言はオン・ソラソバテイ・エイ・ソワカでソラソバテイはサラスバティーのことです。弁財(才)天はインドのサラスバティーが起源でサラスは水の意味があり川の女神でした。

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宮城県岩沼市に鎮座する金蛇水神社(かなへびすいじんじゃ)の主祭神は、水の神である水速女命(みずはやめのみこと)ですが、境内社に水神である金蛇弁財天が祀られています。
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神社には蛇の形が浮き彫りになっている蛇紋岩が並んでいます。
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参拝者は財布やお金を擦り付けていました。

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弁財(才)天の才の元は才能の才でしたが、今は物質主義の時代なので金運や商売繁盛など財力向上の財の方が優位になってしまったのです。
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