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2007/04/03

明恵上人2 親愛と法愛 

明恵上人は十三才の時に「もうこんなに年老いてしまった。今まで生きて来れたことが不思議だ。」とこんな事を考えた。明恵上人の両親は自我が芽生える8歳の頃に無くなっている。親の死が明恵少年の自立を早めたのかもしれない。

光陰矢のごとしという。常に変化してゆく物質の娑婆世界に住んでいる我々の人生はあっという間に終わってしまう。死を目の前にして始めて人はして来なかった人生をやろうとするという。その時ではすでに遅いかもしれない。永遠の今を十全に生きたいものだ。

早熟な明恵少年は体があるから煩い・苦しみがあるのだと考え、狼か山犬に食われて死のうと思い、ただ一人死骸捨て場へ行って死骸の間に横たわった。
夜になって沢山の山犬たちが来た。山犬たちは音をたてて死骸を食べるが、明恵上人の体は臭いを嗅ぎまわるばかりで食いついてくれない。そのうちにいつの間にか山犬達は立ち去ってしまった。助かった明恵上人はのちに「恐ろしさは限りなし」とその体験を述べている。

突然の親の死は子供に罪悪感を引き起こすといわれている。唐突にきずなを絶たれた明恵上人は両親の失った溝を埋めようと最善をつくしたのだ。

また、紀州に向かう途中、癩病人を見て通り過ぎるが、後で癩病には人肉が病に利くと聞き、ひそかに刃物を研いで自分の人肉を与えようと立ち寄ってみると癩病人はすでに死んでいたという。これらの出来事によって「死ぬべき業(カルマ)がない者はどんなことをしても死ねない。」ことが明恵上人にはわかったという。

十六歳で明恵上人は東大寺で具足戒(正式な僧侶の戒)を受けた。736年に華厳経が日本に伝来して以来東大寺には華厳経の根本道場があった。この頃の明恵青年は片っ端からお経を暗記して自室に戻り書き写したというから相当な頭脳の持ち主である。

華厳宗中興の祖と呼ばれる明恵上人だが華厳経は2世紀頃からインドで編纂され中央アジア、タクラマカン砂漠のオアシスの地ホータンを経由して297年から774年までの間に漢訳されといわれる。

隋の頃(581年 - 619年)華厳経を昼夜唱えたら宦官(去勢された役人)の男性ホルモンの分泌が盛んになり髭が濃くなったと評判になり国を挙げて信仰したとされる。当時は神通力や不思議な奇蹟を求めたのである。いや昔だけではなく、奇蹟を求める人は現代でも少なくない。

華厳宗を大成させたのはサマルカンド出身の第3祖法蔵(643~712)といわれている。その法蔵の兄弟子に朝鮮の新羅から長安に留学していた義湘(ぎしょう)という僧がいた。

栂尾(とがのお)の高山寺(こうざんじ)には明恵上人が絵師に命じて作らせた華厳宗祖師絵伝というのが残っている。華厳宗の祖師といえば1~3祖までを描くべきなのに法蔵の絵は全く無く、明恵上人は古代朝鮮半島、新羅の高僧義湘と元暁(げんぎょう)の行状だけを描かせている。宋高僧伝には日本の僧は誰一人載っていないが新羅の義湘と元暁は載っている。義湘と元暁は著作も多く韓国ではあまりにも有名なのだ。明恵上人は新羅の義湘と元暁を大変尊敬していたのである。

義湘と元暁は二人一緒に唐に行き、仏教を学ぼうとする。たまたま旅の途中で雨に会い、そこにあった洞穴で野宿をした。真っ暗な中で元暁は喉が渇いたので入れ物で水を飲んだ。翌朝目をさましてみるとその入れ物は頭蓋骨だった。元暁はどくろだと思ったとたんに吐き気を催したという。どくろだと思わなければ吐き気はせず、思ったとたん吐き気がする。つまり、すべてのものは自分のこころが作ってゆく、心のほかに師を訪ねてみても意味がないと悟り、新羅に留まり義湘一人が唐に渡った。

義湘は長安で善妙という美しい娘にほれられてしまう。義湘が仏に使える身なので交際を断ると善妙は尼さんになり一緒に仏教を学ぼうとした。師匠も亡くなり帰国の命が出たので義湘は善妙に告げずに舟で新羅に帰国した。義湘の帰国を知って岩壁にいそいで駆けつけた善妙は海に身をなげ龍神と化して義湘を守護するのだった。

明恵2-1



平安時代末期は戦乱が相次ぎ戦で死に別れた未亡人の為に明恵上人は尼寺を建立して善妙寺と名づけた。善妙寺には明恵上人が亡くなった時、慕った尼が血書で華厳経をしたため清滝川に身を投げた話が伝わっている。

明恵2-2


仏教では恋愛感情は渇愛といって煩悩であり苦しみの原因をまねくものだが明恵上人は恋心を抱いた善妙を高く評価している。明恵上人によると愛には親愛と法愛があるという。

凡夫の愛は親愛が多く法愛は少ない。華厳経の悟りの境地、三賢十地の段階は親愛は少なく法愛が多くなる。十地の段階はただ法愛のみだという。善妙の愛は始め義湘の見た目の肉体を愛したがそこから菩提心の愛に昇華したというのだ。

親愛は見返りを求め憎しみを伴う。結果を求める心(マインド)の愛、に相当し 法愛は見返りや結果は求めず、ただその人の存在から溢れ出すだけで、ただ慈悲と愛、静けさや沈黙が伝わって行く精神(スピリット)の愛に相当すると思う。

「愛の心のないものに仏法はわからない。」このように語る明恵上人は親愛を単に否定するのではなくて親愛を昇華して法愛に変容する深い慈悲心の大切さを説いたのだと思う。

韓国の栄州には韓国で一番古い木造建築物がある浮石寺(プソクサ)があって、そこに善妙を奉った善妙堂がある。善妙堂には日本の栂尾高山寺が寄贈した善妙の像が飾ってあるという。

参考文献
古代の日本と韓国 韓国文化院
明恵上人 白洲 正子 講談社
明恵 夢を生きる 河合 隼雄 京都松柏社
明恵上人集 久保田 淳 山口 岩波書店
名僧列伝〈1〉明恵・道元・夢窓・一休・沢庵 紀野 一義 講談社
明恵 田中 久夫 吉川弘文館
法然対明恵?鎌倉仏教の宗教対決 町田 宗鳳 講談社
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