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2007/04/05

明恵上人3 白上の峰

明恵上人は二十三歳の時に高雄の神護寺を出て、紀州の西白上の峰に草庵を建て移り住んだ。草庵跡に訪れてみるとそこはすさまじいほど風光明媚な所だった。西の海は輝いて本当に息を飲む様な美しさだ。しばらくあっけにとられて景色にみとれた。明恵上人は西白上の峰を「波の音や漁の声が聞こえてきて騒がしい。」といっているがたしかに人の声や麓の様々な音が良く聞こえてくる。しかし私には特別に騒がしいとは思わなかった。もちろん私が天才の明恵上人より瞑想が進んでいるということではなくて、ある特定の瞑想技法によっては深く内面に進み、感覚が研ぎすまされて来た時には静かな場所の方が良いことがある。明恵上人はそれで東白上に庵を移したのだと思う。

この西白上には行状記の記述通りに一本の松があって800年前の明恵上人当時の景色と変わりないことを思わせた。この海の風景を明恵上人はとても気に入っていた。後に栂尾の高山寺に移り住んでからこの海に浮かぶ島に手紙を書いている。

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「しばらくご無沙汰したが、お変わりないか。昔、磯に遊びに島に戯れたことを思い出すにつけても、涙がこぼれるほど懐かしく思っているが、お目にかかれる機会もなく打過ぎたのは、残念である。またそこにあった大きな桜の木のことも、恋しくてたまらない。手紙を書いて、様子を聞きたいのは山々だが、物いわぬ 桜のもとへ文など書いて送っては、わからず屋の世間の振舞いに似て、「物ぐるひ」と見られるやも知れず、そういうわけで今までは我慢していた。「然れども所詮は物ぐるわしく思わんひとは友達になせそかし」自分にとっては、行い澄ました人々より、そういうものこそ得がたい友と、深く信頼している。大事な友達を尊重しないのは、衆生を護る身として申しわけないことである。よって、このような文を奉る、恐々謹言。島殿へ」

明恵上人は「人間の誰よりもあなたこそが私の最高の友だ」 「あなたはすべてを具足する完全な存在だ、仏そのものだ」 などと褒めちぎり、「島殿お変わりございませんか。」で始まり「恋い慕っております。」と人に出すのと全く変わりない調子の手紙を書いて弟子に配達させている。弟子がこの手紙を誰に渡したらよろしいかと明恵上人に訪ねると、島の真ん中で「栂尾の明恵房のもとよりの文にて候」と大声を張り上げて打ち捨てて帰りたまえといったのである。 ところで手紙を内容を現代の我々も知る事ができたのは、この弟子が明恵上人の言いつけを守らず棄てずにもちかえったということになる。

華厳経の教えでは海に浮かぶ島も宇宙を表す毘廬遮那仏(びる しゃなぶつ 別名大日如来)そのものに他ならないという。華厳経の教えを実践した明恵上人にとって山川草木国土、生きとし生きるものすべてに、命が宇宙心(ユニバーサル・マインド)が宿っている事はあたりまえのことだった。そしてそれと交流できた希有な人だったのである。

華厳経は非常に難しいといわれているが「事事無礙の法界縁起」(じじむげのほっかいえんき)という言葉は華厳経をわかりやすく説明した華厳宗の言葉といわれる。どこがわかりやすいのか理解に苦しむが仏教は中国語に変換されたためにわかりやすいはずの説明自体が難解だ。文字を読めない庶民にとって華厳経はあまりにもかけ離れた世界だった事だろう。現代語訳では「すべての物事はお互いに無関係ではなくて相互に依存している。物事は因縁によって起き、お互いが溶け合ってとどこおりがない。」となる。
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