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2018/05/08

女性の財産権 「結婚について その5」




地域集団が父系の原理に基づいている社会では嫁に来た女性は「よそ者」でした。自分の生家の親兄弟や親戚との結びつきの方が強く、他の親族集団への帰属意識が弱いので、嫁は子供ができるまでは、夫の氏族の一員とみなされませんでした。
平安末から鎌倉初頭は荘園を支配する女性の領主や風早禅尼深妙という女地頭もいました。財産の相続権や所領の知行権が妻にも与えられていたので、夫の死亡後に家督財産をうけついだ女御家人もいました。
母系と父系が混在するようになると女性の財産の帰属について問題が生じるようになりました。女子に所領を与えてのち、婿家の夫が敵になることもありました。
女子は武人としての奉公ができないので、元寇の頃から西国の御家人に対して女子への財産譲与を禁止する法令が出されています。
妻の不貞は厳罰に処せられ、夫の死後においても貞操を要求し、再婚するのは貞操心を忘れた不届きのことだから、その時は亡夫から譲得の所領を亡夫の子息に返すべきだと定められています。そして、妻にのみ貞操を要求しながら夫は妾を盛んに囲っていました。
公家たちは婿取婚を保っていましたが、鎌倉から室町時代は婿取婚から嫁取婚に変わる過度期にあたり、武家たちは部下や弱隣の武家に対して略奪、召上、進上等の嫁取り婚を要求していました。

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応仁の乱以降、相次ぐ戦乱により社会の秩序は乱れて殺伐となり、女性を路上で奪う乱暴なことが天下御免のこととして頻繁に行われるようになりました。女捕り、辻取り、拐かし(かどわかし)などと呼ばれていました。
鎌倉末期ごろから正式な婚姻関係から生まれた嫡出(ちゃくしゅつ)にのみ全財産を相続させる方法が現れ室町時代以降には一子相続が一般的慣行となり、女子の財産権消失と同時に女人禁制が現れ女性の社会的地位は急速に衰退していったのです。
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