「ヒルコとえびす」舞と踊り 4

平安時代後期の公卿、大江匡房(おおえまさふさ)によると男女の芸能集団が傀儡で女性だけの芸能集団を遊女と呼んだようです。白拍子、歩き巫女、傀儡が信仰する神は百太夫でした。
宇佐神宮の末社の百太夫は隼人族が捕虜となって斬首された霊を祀る首塚に建てられていました。
傀儡たちが信仰する百太夫神は八幡信仰の広がりとともに西日本に広がって行きました。
石清水八幡宮にも住吉大社と広田神社にも末社として百太夫社があったことが書かれています。広田神社の末社だった西宮神社は現在ではえびす神社の総本社として本社を凌ぐ賑わいを見せています。
西宮神社の傀儡子たちが「えびす廻し」「えびすかき」と呼ばれる「えびす舞」を全国各地で公演する事で、えびす神は各地に普及しました。
西宮神社では「蛭子祭」と綴ってエビス祭りと読ませているように「えびす神社」の主な主祭神にヒルコとオオクニとコトシロヌシが祀られています。
イザナギとイザナミが最初に産んだ子がヒルコです。しかしヒルコは不完全だったので海へ流されてしまいました。
祝詞の後半で浅瀬にいる禍津日神(まがつひのかみ)=瀬織津姫がこの世のあらゆる罪穢れを引き受けて大海原に持ち去っていくと語られています。
これは海に流されたヒルコの話と同じです。

海に没した隼人を供養するように八幡神が宣託して傀儡たちの放生会が始まった事とヒルコが重なります。また海中の石となった和多都美(ワタツミ)神社の御神体「いそらえびす」は八幡縁起で語られる海中の石舞台となった海人族の祖、阿曇磯良(あずみの いそら)=百太夫神と同じです。
出雲族のコトシロヌシもまた国譲りの後、海の彼方に去っています。
ヒルコが不完全だった理由が女性のイザナミが声をかけたからだとされているのは男性原理が優位になる前の母系の先住民、海人族のことにも思えます。
ここでヒルコ=えびす=いそらが繋がります。海に流されたヒルコは母系の先住民わたつみ族のことを表していました。
ヒルメを先祖とする天孫族に国を譲ってヒルコを先祖とするわたつみ族は海中に没して精霊となったのでした。
罪、穢れを背負ったヒルコは海に流して祀ることで、罪が祓われ人々に福がもたらされました。
傀儡たちは祭礼の時に「えびす舞(傀儡舞)」を舞うことで人々の穢れを引き受け、それを神に捧げる舞で神様にお渡して、罪穢れを祓ったのです。
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