2018/05/08

舞と踊り 7 セマー(旋回舞踊)

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古い巫女舞は旋回運動を繰り返します。巫女の神懸りに導くまでの旋回動作が「舞」です。
「くるう」という言葉は、くるくる廻るときの「くる」と同じで、中世では「まう」「くるう」が同じ意味をなしていました。日常的な意識を超えた力に自我を明け渡したときに、「舞」が起こります。
つまり狂うのです。トランス状態の中で神懸かって神の託宣を述べるのが巫女でした。神楽は巫女が神託を下していた時代の神事が芸能となったものなのです。
イスラム神秘主義( スーフィズム)のメヴレヴィー教団は旋舞教団と呼ばれていて、くるくると回転をして踊るセマー(旋舞)が有名です。昨年トルコに行った時にカミさんにせがまれてセマー(旋回舞踊)を見てきました。
1925年12月トルコでは革命が起きてメヴレヴィー教団は解体、セマーは禁止となりました。現在は当時の様式を復活させて観光目的の芸能として演じられています。
最初にセマーゼン(神との合一を求める舞い手)たちが登場して円を描くように会場を歩きます。
シェイフ(マスター・長老)が赤い敷物に立ち、舞い手と1人ずつお辞儀します。
会場は宇宙であり、シェイフは太陽、舞い手のセマーゼンたちは惑星です。
この宇宙で回転していないものなどありません。
円環の中で生と死が繰り返されています。
円は始まりも終わりもなくひとつに繋がっています。
宇宙という舞台で万物万象の天地開闢が演じられるのです。
イスラム神秘主義の目的は「神と自己との神秘的合一」です。
その神との一体化を妨げる根源が、自我の存在であるとスーフィーは断言します。
欲望、悲しみ、苦痛など人間の苦悩の根本原因が自我なので、イスラム神秘主義の探求の道の頂点は自我が消滅したファナーと呼ばれます。
その最高の手段が詩と音楽と舞でした。
最初にルーミーの詩を朗唱し、ネイ、クデュム、カーヌーン、ルバーブ、ケメンチェ、タンブール、ウードなどの楽器で演奏される音楽にあわせて旋回をします。
左手のてのひらを下に向けて、右手はてのひらを上に向けて左脚を基点に反時計回りにぐるぐる回ります。
左手は地のエネルギーをもらい、右手からは天のエネルギーを受けて自分のセンターであるハートにもってきます。
セマー(旋回舞踊)をしていると内側の中心は静止していて外側の見ている世界は物凄いスピードで動きます。
外側のすべてがとどまる事なく 次から次へと変化して行きます。
しかし内側の中心だけは変わらないで静止しています。
セマー(旋回舞踊)は外側と内側の境界が消えて
その全体を見ている本当の私に気がつかせてくれるのです。

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セマー(旋回舞踊)の中で自分と世界との間の境界線が消えます。神以外のものは何もなく、全てが神でした。
「蛇がその皮を脱ぎ捨てるように、私は自分の自分という皮を脱ぎ捨てた。そして私は、私自身の中を覗き込んで見た。どうだろう、私は彼だったのだ」イスラムの神秘家バスターミー
私は彼だったの彼は神ですが、しかし「私は神だ」と言ってしまうと神を冒涜していると世俗的な宗教者から異端の扱いを受けて殺されてしまう危険性がありました。
そのためにスーフィーたちは表面的にはわからないように神秘的な意味を込めた比喩と象徴を用いました。
イスラム神秘主義探求の道の頂点は自我が消滅したファナーと呼ばれます。
仏教で言えば涅槃です。
しかし最も大切なのはバカーとされます。バカーは存続と訳されていますが自我が消滅したファナーから帰還して人間的自我を持った普通の人として世間を生きる事なのです。
それは世界の中にいて世界から離れるのでもなく世界に同化してしまうのでもありません。
世界に属さないで世界にいる事でした。
「私は二元論を捨て二つの世界が一つであるのを見た。一を求め、一を知り、一を呼ぶ。私は恋しい人の杯に酔い、二つの世界は視界から消えた。私は酒宴や馬鹿騒ぎ以外にすることはない」イスラムの神秘家ルーミー
「この世の歓楽は麝香(じゃこう)の匂いの様なもの。匂いは儚く消える。祝福された人は匂いに満足せず、麝香(じゃこう)を求め麝香そのものになり世に香りを伝える。」イスラムの神秘家ルーミー
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