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2018/05/20

日高見国



昔の東北は日高見国と呼ばれていました。
神社で奏上する大祓祝詞にも「大倭日高見の国を安国と定めて」と出て来ます。
また『日本書紀』の景行天皇の条には「東の夷の中に、日高見国有り」とあって、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征からの帰りに「日高見国から帰りて」とあり『常陸国風土記』に「此の地は本の、日高見国なり」とあります。
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鎌倉時代までの東北は蝦夷と呼ばれ天皇に従わず大和朝廷と異なる言語、風俗、習慣、価値基準を持っていた異民族とみられていました。
蝦夷の「日の本」は言葉がまったく通じず、獣や魚を主食とし農耕をまったく知らないという鎌倉時代の記述があります。
津軽の安東氏は奥州十三湊日之本将軍と呼ばれていました。青森県東北町には「日本中央」の碑があり、豊臣秀吉の文書でも東北を日の本と呼んでいました。日本は東北の地名だったのです。
そして、中国の『旧唐書』(10世紀)と『新唐書』(11世紀)に「小国が大国を併合し日本と名のる」と日本からの使者がそう伝えたとあるので、倭の国が日高見国を併合して日本と名乗ったことになります。
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景行天皇の息子小碓尊(おうすのみこと)が熊曾建(くまそたける)を殺して、その名前をとってヤマトタケルとなった故事と一緒です。言葉は言霊といって名前は霊力があるのでその力を取り入れたのでしょう。
何れにしても、古代の日本は統一国家ではなく、大雑把にいえば大倭と日高見の二つに分かれていたのです。
日高見が北上の漢字表記となって日高見國の中心を流れる北上川となりました。
いまでこそ東北が辺境の地であるかのように思われていますが、縄文時代の東北は世界に先駆けて土器を発明した世界でも類のない文明の最先端地域でした。
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