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2018/05/20

宮沢賢治と仏教 1



宮沢賢治が島地大等(1875 - 1927)の『漢和對照妙法蓮華經』を読んで感動して、驚喜して身体が震えて止まらなかった話は有名です。
賢治の家は浄土真宗でした。賢治は15歳の時、父親の政次郎が主催した大沢温泉の夏期講習会で浄土真宗本願寺派の島地大等の法話を聞いています。

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島地大等は僧侶でしたが学者でもあり東京帝国大学講師として死去まで仏教史、インド哲学を教えています。島地大等は浄土真宗だけでなく仏教全体を見通すことができました。
島地大等は、島地黙雷(1837-1911)の婿養子でした。

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島地黙雷は明治時代に活躍した盛岡市北山の浄土真宗本願寺派願教寺の住職でした。
島地黙雷は廃仏毀釈が吹き荒れる中、神道に従属させられていた仏教の新生のために努力して政教分離を明治政府に認めさせた明治を代表する僧侶です。
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島地黙雷は 明治五(1872)年一月 に岩倉使節団の一員として木戸孝允らと共に欧州歴訪の旅に出ています。
欧州の途中で孟買(今のムンバイ)のエレファンタ島の石窟寺院とアラハバード駅近くのヒンズー教やイスラム教の寺院に立ち寄っています。仏教徒の黙雷ですが仏跡を参拝することはできませんでした。
明治六年七月に日本へ帰国した黙雷の七年後の明治十三年に考古学者カニンガムがブッタガヤの大塔を発掘しています。600年間土の中に埋もれたままになっていたので仏跡がどこにあるのかわからなくなっていたのです。
1582年に九州のキリシタン大名たちがローマに送った天正使節団の少年達がゴアに立ち寄っていますがゴア以外には行っていないので、インド国内を最初に旅行した日本人は島地黙雷ということになっています。

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宮澤賢治の3歳年下の親戚の関徳也は
「法華経の方便品のところで、ここは全仏教の地獄破りといわれる箇所で法華経の方便品から出発して寿量品で完成するのだと、実に熱意を込めて説明された時の、青の輝かしい色白のまなざしはなかなか忘れることはできません。」
と賢治から法華経の講義を聞いたことを書き留めています。
今までの仏教の教えは病人に薬を与える手段のようなもので、衆生を導くために説いた仮の教えであり、一つの絶対の真実の教えを説くための方便だったと法華経は説きます。
相対的な真理を超えた絶対の統一真理の教えが法華の一乗だとしています。
浄土真宗の教えは部分的真理の教えに過ぎず法華経こそ宇宙の統一真理で、それが賢治が言う全仏教の地獄破りなのでしょう。
賢治は父への手紙で次のように書いています。
「戦争とか病気とか学校も家も山も雪もみな均しき一心の現象に御座候その戦争に行きて人を殺すと云ふ事も殺す者も殺さるゝ者も皆等しく法性に御座候」 
「一心の現象」とは天台教学で「一念三千」と呼ばれています。
「一念三千」を島地大等の言葉を借りれば「一念三千とは一念中に三千の法界を具し、三千の森羅はこの一念中に内存す」と言うことです。
一瞬一瞬に思いが湧いてくる心に全宇宙の一切の事象が備わっているということは、人間の本質は全宇宙を包括している存在と言うことなのです。
そして、あらゆる存在は全て因果によって繋がっていて、全ては究極において等しいのです。人々はすでに仏陀であり、すでに救われているのです。
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