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2018/05/20

宮沢賢治と仏教2

賢治は一学年下の親友、保阪嘉内が退学処分を受けたときに法華経の教えを手紙で説いています。
『退学も戦死も何だ、みんな自分の中の現象ではないか、保阪嘉内もシベリアもみんな自分ではないか、ああ至心に帰命し奉ずる妙法蓮華経。世間皆是虚仮仏只真」
「保坂嘉内は退学になりました けれども誰が退学になりましたか。又退学になりましたかなりませんか。あなたはそれを御自分の事と御思ひになりますか。誰がそれをあなたの事ときめましたか 又いつきまりましたか。私は斯う思ひます。」
「誰も退学になりません 退学なんと云ふ事はどこにもありません あなたなんて全体始めから無いものです けれども又あるのでせう」 
「世間皆是虚仮仏只真」は世間は空虚で仏だけが真実という意味です。
賢治は繰り返し、退学は起きていない。あなたはいない。世界で起きている出来事は全て自分の中の現象だと語ります。
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今から1400年前の中国の天台智顗は法華経を中心とした天台教学を大成させました。
その中に「諸法実相」「一念三千」などの言葉が出てきます。
あらゆるそんざいは全て因果によって繋がっていて、全ては究極において等しいのです。


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中国の経典にはインドの経典になかった新しい言葉もたくさんあります。仏教が難しく思えるのはこの中国語の用語があると思います。
マインドを使わないで世界を見ると、そこにはあるがままの姿があります。
思考は今ここにいられません。
思考がエネルギーの流れを滞らせています。
今ここに意識を向けると誰でも思考のプロセスを止めることができます。
思考や感情は気づきという心の広がりの中で浮かんでは消える泡にすぎません。
思考に同一化することをやめて次から次へと現れては去ってゆく思考や感情、それ自体が実体のない空である事を見て取ると、今まで思い込んでいた自分は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。
私たちの知覚は思考によって制限されています。
本来の姿から遠く離れた状態で過ごしています。
あるがままの世界を分離して見ているのです。
思考を使わないで全体をあるがままに見たとき行為者としての自分はいないということに気がつきます。
絶え間なく浮かんでは消える流れがあるだけで思考する私はどこにもいないのです。
ただ自然に風が吹き雲が湧いて雨が降るように心の中の思考もまた自然に起きています。
喜怒哀楽の感情も雨や嵐が来るようにただ自然に起きているだけなのです。
それを諸法実相といったのでしょう。

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「石丸さんが死にました。あの人は先生のうちでは一番すきな人でした。
ある日の午后私は椅子によりました。ふと心が高い方へ行きました。
錫色の虚空のなかに巨きな巨きな人が横はってゐます。
その人のからだは親切と静な愛とでできてゐました。
私は非常にきもちがよく眼をひらいて考へて見ましたが寝てゐた人は誰かどうもわかりませんでした。
次の日の新聞に石丸さんが死んだと書いてありました。
私は母にその日「今日は不思議な人に遭った。」と話してゐましたので母は気味悪がり父はそんな怪しい話をするな、と云ってゐました。
石丸博士も保阪さんもみな私のなかに明滅する。みんなみんな私の中に事件が起る」
(宮沢賢治 大正八年保阪嘉内あての書簡)
「みな私のなかに明滅する。みんなみんな私のみんな私の中に事件が起る」
この言葉は春と修羅の
「わたくしといふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体) 風景やみんなといっしょにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です」に対応します。
私といったときに賢治は全てを包んでいる大きな私とその大きな私の中で明滅する実体のない二つの私があることを言っています。
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また賢治は親友の保阪の手紙に
「アオイ山ノナミ、(ユケドモユケドモ)雲ハシハヲツクリ山ヲツクリ、人ハマナコヲトヂテアラハレル木立水ヲ『マコトノ世界トヒトシカラズヤ』トカナシンデ行キマス。世界ノAモ、世界ノ’Aモ均シク寂カナ秋ニナリマシタ。」
と「A」と「’A」と分けて現実の目に見える世界とマコトノ世界の二つの世界があることを説明しています。
マコトノ世界とは天台教学のあるがままの真実の姿を意味する「諸法実相」のことです。

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賢治は大正7年に種山ヶ原に同行した佐々木又治宛の手紙で
「コノ辺ノ山ヤ川ノエ合ナンカハモウアナタニハ夢ノ様ニ思ハレルデセウ。本統ニコノ山ヤ川
ハ夢カラウマレ、寧ロ夢トイフモノガ山ヤ川ナノデセウ」
現実の目に見える世界とは夢から生まれた世界と言っています。
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精神世界ではこの世は夢だと言います。
「神は言い給うた、実際には眠っているのに、彼らは目覚めている、と汝は考えるであろう」コーラン18-18
「おまえにせよ、みな夢を見ているのだ。いや夢だといっているこのわたしでさえ、例外なしに夢を見ているのだ。」荘子
「人間の意識は深く眠っており、機械のように生きている」グルジェフ
仏教では生死の夢から覚める事を涅槃といいます。そして夢から覚めて涅槃に入る人を仏、覚者と呼びます。私たちは目が覚めるまで、思考が作り上げた自我と言う監獄で光と闇、苦悩と歓喜が織りなす夢を見続けるのです。
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別な保阪嘉内宛の書簡で賢治は聖徳太子の有名な言葉「世間皆是虚仮仏只真」を引用し
世間とは実体のない世界であり仏だけが唯一真実だと言っています。
真実の仏とは賢治は別なところで法性とも言っていますのでマコトノ世界=「’A」=法性=法身=諸法実相=真実の仏となります。
賢治は目に見えない世界を感じる心を持っていた人でした。
目に見える現実世界と目に見えない世界の中で葛藤する中で賢治は自分の感性と一致する仏教の言葉に出会ったのです。
それが、島地大等の赤本『漢和對照妙法蓮華經』だったのです。
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