2018/05/20

宮沢賢治と仏教 3

賢治の家は浄土真宗でしたが法華経に帰依するきっかけとなったのは18歳の時に父政次郎に贈られた島地大等による赤表紙の『漢和對照妙法蓮華經』でした。
宮沢賢治は赤い表紙の法華経の本を座右の書として深く読み込んでいました。賢治はこの通称赤本を1000部刷って東北の山々に埋經するように父の政次郎に遺言しています。
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浄土真宗は罪深い自分の業を自覚して、苦しみを辛抱してこの世を生きていけば来世に救われて極楽往生できると教えます。
賢治の父政次郎は二百年続いている真宗の敬虔な信者で自分のことを「妄念の結晶なる罪悪の凡夫」と表現しています。賢治の家は古着屋と質屋をしていました。
賢治は家に質を入れに来る貧しい人々を見ては「かわいそうだ。世の中が不公平だ。父の家業が嫌だ。」とおいおい泣いたと言います。
貧しい人々から搾取している自分の罪悪を認めながら南無阿弥陀仏と唱えるだけで現世の悪に消極的な父親に賢治は反発していました。

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法華経を説いた日蓮は来世志向の浄土宗派を厳しく批判しています。
法華経の序品に仏の額から光明が出て東方万八千の仏土を照らし出したと書いてあるように、あらゆるもの全てが仏の光明そのものでした。
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生まれもしない、死にもしない、永遠に変わることのない仏の光の世界、賢治の言葉で言えばマコトの世界を常寂光土(じょうじゃっこうど)と言いました。
この世を常寂光土(じょうじゃっこうど)に導くことを日蓮は立正安国と言っています。
現世に消極的で死後に救済を求める来世志向の浄土真宗から強烈な現世志向の日蓮宗に賢治は宗旨替えをしました。
賢治の法華経への傾倒は敬虔な浄土真宗信徒の父親への反発もあったのでしょう。
阿弥陀の語源は「無限と無量の光」なので、今ここにある光明そのものを意味していました。極楽浄土は死んだ後の遠い世界ではなく今ここのいきている娑婆世界に光明がありました。
マインドの眼を通して見ることをやめて、ハートを通して見るとこの世界は愛と光で満ちています。
日蓮宗も浄土宗も究極はどちらも光明に溶け込んでしまうのです。

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賢治の作品は法華経の影響が強く反映されて誕生したと思われていますが、賢治はどうやら目に見えない世界を見ていたようでした。
「いかりは赤く見えます。あまり強いときはいかりの光が滋くなって却て水の様に感ぜられます。遂には真青に見えます」宮沢賢治 (1920年6~7月 保阪嘉内への書簡)
この賢治の「いかりは赤く見えます」はオーラと呼ばれる目に見えない身体のことのようです。青はエーテル体の色でもあります。
インド哲学で身体を大きくグロスボディ(粗大な身体)・サトルボディ(微細な身体)・コーザルボディ(原因の身体)の三つに分類しています。
神智学ではそれを1フィジカル体肉体 2エーテル体(星気体)3アストラル体(感情体)4 メンタル体(精神体)5コーザル体(原因体)又はスピリッチュアル体(霊体)6コスモス体(宇宙体)7ニルヴァーナ体(涅槃体)の七つに分類しています。
肉体(ボディ)・精神(マインド)・魂(スピリット)と分けることもあります。
あらゆる精神的な道は人間の存在が物質的な次元を超えていることを示しています。

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現代社会に生れた私たちの自我は近代合理主義に洗脳されてしまっています。
共同幻想の社会の中で真実の世界に気づくのは難しいようです。頭の中に刷り込まれた世界が真実と思い込んでいる家族や職場の同僚がそれを補強するからです。
真実の世界と思っていたものは過去の記憶にしたがってマインドが作り上げた観念の集合体にすぎないのです。
「わがあたまときどきわれにきちがひのつめたき天を見することあり」(歌稿A134)
 
「そらに居て緑のほのほかなしむと地球の人のしるやしらずや」(歌稿B160)
賢治は肉体を離れた経験をしていたようです。
臨死体験者が語るように意識は時間と空間を超えています。
賢治は早池峰山の登山道で野宿した時に坊さんの幽霊を見ていました。
「早池峰山へ登った時でしたがねぇ、あすこの麓に大きな大理石がごろごろ転がっているところがありましてねぇ。その谷間は一寸した平地になっているのですがそこの近所に眠ってしまったんですよ。お月さまもあって静でよい晩でしたね、うつらうつらしていましたらねぇ、山の方から、谷あいをまるで疾風のように、黒いころもの坊さんが駈け降りて来るんですよ、念仏をとなえながら、またたく内に私の前を通り過ぎ、二人とも若いその坊さん達は、はだしでどしどし駈けて行ったんです。不思議なこともあるもんだとぼんやり私は見送っていましたがね。念仏はだんだんに細く微かに、やがて聞こえなくなったんですよ。後で調べたら、あすこは昔大きなお寺があったところらしいんですね。河原の坊といわれるところでしたよ。土台の石なんかもあるという話でしたよ。何百年か前の話でしょうねぇ、天台か真言か古い時代の仏跡でしたでしょうねぇ。」(鈴木健司著「宮沢賢治 幻想空間の構造」)
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私たちの本質は生死を超えています。
『ぼんやりと脳もからだもうす白く消え行くことの近くあるらし』 (歌稿A165)
私たちが死と呼んでいるものは物理的な肉体が要素に分解して、非物質的な目に見えない身体である精神(マインド)・魂(スピリット)だけになることを表しています。
「私の世界に黒い河が速にながれ、沢山の死人と青い生きた人がながれを下って行きまする。青人は長い手を出して烈しくもがきますがながれて行きます。青人は長い長い手をのばし前に流れる人の足をつかみました。また髪の毛をつかみその人を溺らして自分は前に進みました。あるものは怒りに身をむしり早やそのなかばを食ひました。溺れるものの怒りは黒い鉄の瓦斯となりその横を泳ぎ行くののをつつみます。流れる人が私かどうかはまだわかりませんがとにかくそのとほりに感じます。」(1918年10月1日 保阪嘉内への書簡)
賢治は目に目えない世界を感じていました。振動レベルによって意識の世界は階層に分かれています。
若い頃の賢治は苦しんでいたので否定的なマイナスの振動帯の体験をしていたようです。
心が落ち込んでいるときは落ち込みの振動レベルに同化してしまうので、落ち込みのプログラムが作動して否定的な経験を味わうように宇宙はできているようです。
そうならないようにするには、落ち込んだとき、その振動レベルに同化しないように意志力を使って今この瞬間に集中することです。そうすると、世界は肯定的な意味にあふれ自己の感覚は広がります。

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父親との確執、家業を継ぐこと、体の病気、18歳の賢治は精神的に不安定になっていました。その時に島地大等の赤本法華経に出会ったのです。
仏教の言葉は苦しんでいた時の賢治の感性にぴったりだったのです。
「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい」農民芸術概論綱要序論
賢治の作品は自分の感性にあっている仏教の言葉を使って表現したのであって、単に法華経の思想をそのまま展開した訳ではないように思えます。
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