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2018/04/10

傀儡舞と放生会

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宇佐神宮の発祥と関係が深いのが和間神社です。
和間神社は全国各地で行われる放生会(ほうじょう え)の発祥の地です。
放生会(ほうじょう え)は隼人の反乱が鎮圧された後に宇佐に疫病や凶作などが続いたので隼人の祟りを鎮めるために744年、和間の浮殿で傀儡子舞を奉納しニナ貝(蜷貝)を海に放したことが始まりとされています。


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宇佐神宮の最古の祭祀儀礼、放生会(ほうじょう え)は初日の10日に宇佐神宮から八幡大神が神輿に乗って海上から和間神社の浮殿に向かって傀儡子の舞を奉納して最終日の12日に宇佐神宮へ戻ります。
江戸時代に中止となり現在、傀儡子の舞と神相撲は古要神社が3年に1度、古表神社は4年に一度奉納されています。
隼人は薩摩隼人、日向隼人、大隅隼人と土地の名がつけられています。隼人は中央主権を作らない部族連合だったので大和政権に鎮圧されてしまいました。

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隼人は農耕を営んでいた弥生の風俗とは異なり、顔に顔料を塗り、竹細工が得意で相撲や舞踏を好んでいたようです。
九州には、おおわたつみ族(海人族・あづみ族)というまつろわぬ部族がいました。おおわたつみ族海幸彦の末裔が隼人でした。
隼人は服従し宮中で隼人舞と隼人相撲を演じたと言います。そうして、隼人の服属儀礼が芸能として八幡信仰と結びつき傀儡子などの芸能集団になったのではないかと思います。

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2018/03/12

蛇信仰

日本は昔から蛇を神として信仰していました。

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蛇は脱皮によって命を再生します。不完全な脱皮をした蛇は命が2カ月もたないと言われています。

蛇は脱皮しなければ生存できないので、集中して全力で脱皮します。蛇には眼にも皮があり、文字通りスッポリと脱ぎます。再生された蛇の新鮮な皮膚に古代人は驚いたことでしょう。

蛇が成長するにつれて、古い皮を脱いで新しい皮に変わることから、脱皮はこれまでの古い硬直した考え方から抜け出て、一段と進歩することを意味します。古い自我を脱皮して新しい自我に変わるのが自己超越です。蛇の形態はまた、男根も連想させました。長時間におよぶ「蛇の交尾」がしめ縄となり、最も神聖な場所を現す場所に飾られています。

諏訪地方の縄文中期の遺跡から頭上にまむしを乗せた土偶が発見されています。縄文土器の文様はお互いが絡み合う蛇の交尾でもあります。諏訪大社の重要な神事に、ミシャグチ神の「御室神事」があります。御室とは、ワラ製の蛇であるミシャグジ神が据えられた縄文時代そのままの竪穴式住居のことで、その中で神官がミシャグチ神を勧請して託宣をしたのです。

ミシャグチ神の象徴である石棒は、蛇であり男根でもありました。

インドのヒンドゥ教で、石棒はサンスクリット語で男性器を意味するリンガムと言います。女性器をかたどった台座(ヨーニ)に真っ直ぐ立った石であらわされています。縄文時代のストーンサークルも石を丸く並べた真ん中に石棒を立てています。



古代は女性が神事を司っていたのですが男性原理が強くなると女性の地位は低下して、神官は男性が行うようになりました。

最古の神社の一つ大神神社の祭神の大物主神(オオモノヌシノカミ)は蛇で巫女が蛇神と交わる神婚説話が古事記に出てきます。

三輪山は蛇がとぐろを巻いた姿でもありました。古墳もまた蛇がとぐろを巻いた姿でもあります。蛇の古語はカカで鏡は「蛇(カカ)の目(メ)」で蛇の目でした。鏡もちは蛇がトグロを巻いている姿です。

仏教が入ってくると日本各地に白い蛇を弁天様とする信仰が起きました。縄文時代から森の主、水の神として続いて来た蛇信仰は弥生になると中国の龍信仰と結びつきました。龍は中国東北部を起源とする物質世界には存在しない動物です。蛇はアニミズムの自然崇拝ですが、龍の出現は王権の誕生と深く関わっていました。日本に龍が出現するのは弥生から古墳時代移行です。

仏教が導入されると蛇信仰は弁財天と習合しました。縄文の蛇神は水神で農業の神でもあった宇賀神(白蛇の体に老翁の頭を持つ神様)と習合して、五穀豊穣の神様、宇賀弁才天に変容しています。

弁財(才)天の真言はオン・ソラソバテイ・エイ・ソワカでソラソバテイはサラスバティーのことです。弁財(才)天はインドのサラスバティーが起源でサラスは水の意味があり川の女神でした。

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宮城県岩沼市に鎮座する金蛇水神社(かなへびすいじんじゃ)の主祭神は、水の神である水速女命(みずはやめのみこと)ですが、境内社に水神である金蛇弁財天が祀られています。
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神社には蛇の形が浮き彫りになっている蛇紋岩が並んでいます。
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参拝者は財布やお金を擦り付けていました。

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弁財(才)天の才の元は才能の才でしたが、今は物質主義の時代なので金運や商売繁盛など財力向上の財の方が優位になってしまったのです。
2017/07/15

厳島神社

宗像三姉妹を祀っている広島の厳島神社と奥社・弥山の御山神社を参拝してきました。

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世界遺産ということもありアジアと西洋人の観光客で賑わっていました。

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長崎県上対馬町の厳島神社の記載によると、「厳島弁才天という神は、本来は宗像の女神、市杵島姫で、沖ノ島の祭神であったのが、仏教と習合して弁才天となったもので、安芸の宮島(厳島)が有名になった」とあるように厳島神社と大願寺は一体となってイチキシマ姫を祀っていたようです。


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イチキシマ姫(市杵嶋姫)は記紀でアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)の時に生まれたとされる宗像三女の一人です。

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誓約で生まれた男性のアメノオシホミミ(天忍穂耳命)とアメノホヒ(天穂日命)はアマテラスの子供になり三姉妹はスサノオの娘となっています。天孫族のアマテラスは父系で出雲のスサノオは母系を表しているようです。

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海部氏の勘注系図によると、イチキシマ姫(市杵嶋姫)の別名はサデヨリ姫(佐手依姫命)、息津嶋姫命、ヒコイラツ姫(日子郎女神)となっており押穂耳(オシホミミ)の第三子のアメノホアカリ天火明と結ばれてアメノカグヤマ(天香語山命)の妻となるホヤ姫(穂屋姫)を生んでいます。

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また先代旧事本紀によるとアメノホアカリ(天火明)はオオナムチ(大己貴神)の娘アメノミチ姫(天道日女命・別名 高照姫命)を娶ってアメノカグヤマ(天香語山命)を生んでいます。

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ホツマではアマテルとハヤコの間に生まれた三つ子、タケコ(奥津島姫)・タキコ(江島姫)・タナコ(市杵島姫) の三姉妹の一人です。タケコ(奥津島姫)は、多賀近江の大己貴命(おおなむちのみこと)の妻となり、タキコ(江島姫)は、香具山祇命(かぐやまつみのみこと)の妻となり、タナコ(市杵島姫) は、息吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)の妻となっています。

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家系図を残す社会は男性の嫡子をたどる男系なので家系図は女性の名前がありません。ところが母系社会では母から娘なので逆に父親という概念がありませんでした。
系図を書いた人も読む人も頭が長男をたどる男系になっています。
そのために古代日本は母系社会だったので古代日本の系図は父系と母系が混在してわかりにくくなっています。
大国主は役職名なので卑弥呼のように女性だった時代もあるはずです。

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三姉妹を祀る神社の中で市杵嶋姫を祀る神社だけがダントツに多くなっています。

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松尾大社の祭神は大山咋神と共に市杵島姫命だけが祀られています。市杵嶋姫は弁財天と集合して安芸の宮島をはじめ江ノ島、金華山、天河、琵琶湖の竹生島に祀られていました。

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2017/07/15

宗像大社

福岡に午後到着したその日、車を走らせていたところ、 突然目の前に宗像大社が現れました。それも閉門15分前でした。

宗像大社はその日行く予定ではありませんでしたが、すぐに、車から降りて参拝しました。人払されていたかのように、ほとんど参拝客がいませんでした。

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イチキシマ姫はイツクシマ(斎く島)の転訛でオキツシマ姫ともされていて最初は沖ノ島に祀られたのが宗像大社の始まりのようです。田島の辺津宮に三女神が合祀されたのは奈良朝末、光仁天皇の時代とされています。

イチキシマ姫はアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)の時に生まれたとされる宗像三女神ですが三女の中でも特にイチキシマ姫は出雲族と関係が深く、八重垣神社の板壁にはスサノオとクシイナダ姫アマテラスと一緒に唯一イチキシマ姫だけが描かれています。

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宗像郡と福岡市にはスサノオゆかりの社が多く、対馬の神社も出雲系の神社が3割を占めています。

古事記に「津島(対馬)のまたの名を天狭手依比売という」記述があり、イチキシマ姫は沖ノ島の神であると同時に対馬の女神だったようです。

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アマテラスの五男三女を祀る神社の中にイチキシマ姫の名がなく代わりに「サヨリ姫(狭依毘売命)」が入っていることもあります。

海部氏(あまべうじ)の勘注系図でも、イチキシマ姫(市杵嶋姫)の別名は佐手依姫命とあるので、海部氏、尾張氏の祖神でもあります。

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イチキシマ姫は水の神さまとしても有名でよくミズハノメ、ヤツハノメと一緒に祀らています。静岡県磐田市の水神社はミズハノメとイチキシマ姫を祭神としています。

和歌山県のかつらぎ町の「丹生都比売神社」では第四殿にイチキシマ姫が祀られています。松尾大社ではオオヤマクイと並んでイチキシマ姫が祀られていました。オオヤマクイの神社にはよくサルタヒコの名が一緒に連ねています。スサノオとニギハヤヒ、オオヤマクイとサルタヒコそしてイチキシマ姫は関係があります。

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全国のイチキシマ姫ゆかりの神社を参拝しているうちに最初はおぼろげだったイチキシマ姫の姿がいつの間にか浮かび上がってきました。

宗像大社を参拝した後の7月9日に「宗像・沖ノ島と関連遺産群」は世界遺産となりました。

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2017/07/15

宇佐神宮

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全国にある神社数11万社のうち三分の一以上の4万社が八幡社です。源義家は石清水八幡宮の神前で元服し、八幡太郎と名乗りました。八幡宮を氏神として頼朝が鎌倉の地に移したので八幡神は武士の守護神と思われるようになりました。その八幡社の総本社が宇佐神宮です。

宇佐八幡宮の由緒では、八幡大神(応神天皇)、比売大神(宗像三女神)、神功皇后(応神天皇の皇后で新羅征伐説話で知られる)を祭神としています。

比売大神の名前と宇佐神宮の創立は記録がないので謎となっています。

八幡大神を応神天皇の神霊とする記述は『古事記』『日本書紀』になく蘇我氏の時代の570年に宇佐神宮の創祀に関わった大神比義(おおがのひぎ)が神がかり「我は誉田天皇広幡八幡麻呂(応神天皇)なり。名を護国霊験威身神大自在王菩薩という」と託宣したという平安時代の記録が最初です。

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応神天皇14年(283年)の時代に大陸から弓月君1万人規模の秦氏一族が渡ってきたという日本書紀の記録があります。八幡ヤハタは秦氏のハタであり、八幡神は豊前国(福岡県の東部と大分県の北部 中津市・宇佐市)に移り住んだ秦氏が祀った氏神と言われています。



さて宇佐神宮に応神天皇と神功皇后が祀られていますが歴代の天皇の中で大社に祀られた天皇は明治になるまでいませんでした。そして宇佐神宮に八幡神として祀られている応神天皇の父で神功皇后の夫の仲哀天皇の名前がなく武内宿禰が祀られています。



古事記によると物部の娘と8代孝元天皇の間に生まれた息子と紀氏の先祖宇豆比古の妹の間に生まれたのが武内宿禰と言われています。そして武内宿禰は蘇我氏の先祖とされています。

宇佐神宮には14世紀の南北朝の戦乱によって荒廃するまで巫女が八幡神をチャネリングして宣託するシャーマニズムの伝統がありました。神功皇后もチャネラーでした。

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聖武天皇の病気を平癒したり大仏造立の成就を託宣した宇佐神宮の巫女達は748年朝廷から30階ある官位のうち外従五位を授かっています。



翌年宇佐神宮の禰宜尼(神に仕える禰宜と仏に仕える尼の称号)の大神朝臣杜女(おおみわのあそんもりめ)が神の代理として天皇と同じ紫色の輿に乗り、東大寺に赴いて大仏を拝しました。



これは八幡神が仏教に帰依したことを意味していました。八幡神は八幡大菩薩という称号をえて仏教と習合していきました。

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八幡大神を祀る社殿が造営されたのは娘の光明子を聖武天皇の皇后にした藤原不比等の時代でした。このあと物部氏の痕跡は消されていきました。



769年には宇佐神宮を舞台にした有名な弓削道鏡の神詔事件が起きています弓削道鏡の出身地は八尾市弓削でした。八尾は物部の本拠地だった場所です。


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宇佐神宮の社記によると八幡神が顕れる以前に祀られたのは比売大神で三女神が天降ったのがこの宇佐島だとされています。


宇佐神宮の歴史の最初は太古の昔から祀られていた比売大神で、八幡大神が出現したのが6世紀後半で、八幡大神と比売大神の社殿が建立されたのが八世紀前半、神功皇后が祀られたのはそれから約100年後の823年ということになります。

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772年に罷免されまで古代の宇佐神宮の神官をしていた辛嶋氏はスサノオとイソタケルを先祖としていました。宇佐氏の祖先は「天照大神の二人の姫神」と記録されています。

そして宇佐市の神社の四割近くがスサノオとオオトシで占められています。ここは昔出雲族の勢力下にあったのです。

宇佐神宮に最初、祀られていた神とはスサノオ親子、比売大神はアマテラスとイチキシマ姫の母娘だったように思われます。比売大神とは卑弥呼と台与のような女王だったのでしょう。

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