2018/06/01

女神

古代で女性は神聖にしておかすべからざる存在でした。性交が自由に誰とでも行なわれていた時代は父親が誰かは解らなくとも母親は誰であるかは確実にわかります。母親が主な親であり、大地と母は命を生み出す事から同一視されていました。

34032593_1959221870807063_1788329879888986112_o.jpgアルテミス   紀元前1世紀   トルコ  エフェソス博物館


リキュア人は母系なので男性よりも女性に敬意を払っていました。母方の性を名乗り遺産を相続できるのは息子ではなく娘でした。族長の長男・次男は一族全体の中に消える運命にありました。エジプトも娘だけが相続権を握り両親を扶養する義務を負っていました。古代は母系を築いていました。

部族の男たちが牧草地などをめぐってあらそいが起こると、最初は拳でなぐりあうだけですが、エスカレートしてくると次には石を投げあうようになります。誰かが負傷すると今度は弓矢や剣を持ち出して戦い殺し合いを始めてしまいます。そんなときは女性たちが戦っている男たちの間に入って戦いをやめさせました。

戦いをおさめるのは年長の女性でした。彼女たちは尊敬されており、彼女たちを傷つけてはいけない掟があったのです。

アフリカのアカンの人々は男性に命を与えるのは女性と考えています。アカンで老女はアベレアという智慧をもっているので尊敬されていました。

34031917_1959221954140388_4913975119619031040_o.jpgエルチェの貴婦人 紀元前4世紀 バレンシア マドリッド考古博物館


哲学のフィロソフィアはギリシア語の智慧をあらわす女性名詞ソフィアからきています。アリストテレスは『形而上学』を「ソフィアをあつかう学」としました。グノーシスでは智慧の女神「ピスティス・ソフィア」として出てきます。無知の闇に閉じ込められているアダムとイブに知識の木の実を食べるようにヘビを遣わしたのが智慧の女神ソフィアです。仏教の智慧を表すプラジュニャー(般若)は女性名詞です。東洋も西洋も智慧を表すのは女性名詞でした。

アシャンティ王国の王母は最も信頼されていたので戦いをやめない王を罷免したり助言をして戦いをやめさせることができました。

34203634_1959221890807061_793368175688286208_o.jpgバサの貴婦人 アンダルシア 紀元前4世紀 マドリッド考古博物館


このように古代の老婦人たちは智慧を持っていたのでケルトやゲルマン人の間でも部族間の争いをおさめ、血の復讐の代わりに和平と同盟を結ばさせました。この智慧はベーリング海峡をわたってアメリカ大陸へ移り住んだネイテヴ・アメリカンのイロコイ連邦に受け継がれています。

イロコイ族の族母(クランマザー)は大きな権限を持っていました。族長は族母によって選ばれ、族長にふさわしくない言動があれば、族母は辞めさせることもできました。

食料がなくて困っている家族がいれば他の家族が惜しみなく食料を分け与えました。何か問題が発生すると多数決では無く、老若男女子供まで含めた皆が理解するまで話し合って決めました。

ヨーロッパから白人達がやって来るとアメリカ・インディンはこう言いました。

「欲しいと言ってくれれば自分達が持っているものはいくらでも分けてあげるのに、白人達はなぜ、銃で殺して奪うのか」

男性原理は分離敵対し競争します。現代社会は男性原理が優位になっています。これからバランスを回復するために愛と調和に導く女性原理が表に出てくるでしょう。

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アリアノイの水の妖精 紀元2世紀   トルコ ベルガマ博物館

2018/06/01

母系から父系社会へ

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母系の縄文時代は嫁入りがありませんでした。結婚を強制される事も別れさせられる事もなかったのです。戸籍もなければ結婚制度も存在していませんでした。母から娘へ家と土地、財産が受け継がれ子供は母親の家族と一緒に暮らしていました。

財産分与の問題も嫁舅の人間関係のわずらしさもありませんでした。男性は自分の生まれた家で生活していたので、自分の子供を養育する事はありませんでした。父親という概念さえもなかったのです。

男女の関係は好きになれば一緒になり、嫌になれば別れることができた本人同士の純粋な自由恋愛でした。

奈良・平安中期の時代までの子どもは母方の家で育てられる妻問婚が行われていました。

男は遠い夜道を通って女性の家に通い一番鶏がなく前に生まれた家に帰ってゆく通い婚でした。

気持ちが離れれば男は通わなくなり、女も気持ちがさめると男を家に入れませんでした。

男女間に経済の結びつきはなく、生活は別々でした。子供に父親という概念が希薄で時々母のところに姿を見せる男でしかなかったのです。

毎日顔をあわせる母方の祖父や母親の兄弟である叔父さんとの関係性の方が父親よりはるかに深かったのです。これが天皇の外戚一族が政治権力を握った背景でした。

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平安時代の中頃から男性が女性の元へ通う妻問婚から婿が住み込みで妻の家に同居する婿取婚へ変化していきます。妻の父が婚姻決定権をもつようになりました。

武家社会の到来によって惣領制という家族制度が起こってきました。

母系と父系が混在するようになると女性の財産の帰属について問題が生じるようになりました。鎌倉末期ごろから正式な婚姻関係の正妻から生まれた嫡出(ちゃくしゅつ)の長男にのみ全財産を相続させるようになり女性は相続から除かれました。

鎌倉から室町時代は婿取婚から嫁取婚に変わる過度期にあたります。

嫁という漢字の正式の読みは「ケ」「カ」で、元々の漢字の嫁の意味は「ゆく」、「売る」「なすりつける」です。

嫁を取る婚姻の形態の始まりは略奪、召し上げ、進上でした。

応仁の乱以降、相次ぐ戦乱により社会の秩序は乱れて殺伐となり、女性を路上で奪う乱暴なことが天下御免のこととして頻繁に行われるようになりました。女捕り、辻取り、拐かし(かどわかし)などと呼ばれていました。

武家たちは立場が下の下級武士や力の弱い武家に対して略奪、召上、進上等の嫁取り婚を要求したのです。

地域集団が父系の原理に基づいている社会では嫁に来た女性は「よそ者」でした。自分の生家の親兄弟や親戚との結びつきの方が強く、他の親族集団への帰属意識が弱いので、嫁は子供ができるまでは、夫の氏族の一員とみなされませんでした。

儒教的な観念が支配的になると女性は男子を産むことが最優先であり子孫を残さないことは不幸の最も最たるものでした。その為に女性は子供を産む道具にしか過ぎず、子供を産めない妻は離縁されました。

妻に対する貞操観念が強くなり、夫方の家に縛られるようになりました。結婚の決定権は家に握られ、自由恋愛は礼節にふさわしくありませんでした。

室町時代以降は長男相続が一般的慣行となり、女子の財産権は消失しました。女性の社会的地位は急速に衰退していきました。そして女性は穢れているとして聖なる場所への女性の立ち入りを禁止する女人禁制が現れたのです。
2018/05/30

偽りのスピリチュアル

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覚醒は教えることも説明することも覚醒にいたる方法も道もありません。なぜならすでにあなたは目覚めている完全な存在だからです。いにしえのマスター達はそう語っています。

すでに覚醒しているのならば、新たに覚醒をえようと努力をする必要がありません。新たに得るものは失う運命にあります。失うものは永遠のものではないからです。表れては消え去る刹那的な愛ではなく本当に価値があるのは消えることのない永遠の愛です。永遠のものは最初からもっているので新しく手に入れる必要がないのです。覚醒は何十年も瞑想修行の努力を重ねたのちに身につけたり、ようやくたどり着く境地ではないのです。覚醒が何か特別な神秘体験と思っている人もいますが、今ここにいつも自然にあるものなのです。

しかし、そのことを聞いただけで、直ちに全ての人が苦悩から解放されるわけではありません。「あなたは愛そのものです。あなたは大丈夫です。あるがままでいいんですよ。」は真実ですが、それだけではただの言葉や観念にすぎません。苦悩の素である未完了の否定的なエネルギーは無意識に残されたままになっています。

昔から沢山の瞑想法や修行システムがありました。

しかし、瞑想やワークは薬のようなものです。健康な人に薬は必要がありません。薬を必要とする人が適切に使用すれば薬は効果がありますが、薬と症状が合わず時期や間違った服用をすればかえって苦しんでしまいます。

現代は伝統的宗教の修行システムのかわりに商業主義的セミナーが沢山あります。アメリカの「人間可能性開発運動(ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント)」から生まれた商業主義的セミナーでは次のように語っています。

「本質的には、あなた自身は変わりません。しかし、あるがままの自分を認識し、それを受け入れ始めることによって、自分自身に対する感じ方や、物の見方に違いが生じ始め、その結果自分の行動にも変化が現われるかもしれません。そんなあなたを見てまわりの人は「あなたが変わった」と言うかもしれませんが、当セミナーではより本来の自分を表現するようになったと考えています。」

つまり、あなたはセミナーを受ける前も後も変わらないが「あるがままの自分」を理解し、受容するので、もの見方が変わり、人生を良くしようという意志が芽生えて、自己表現するのでまわりの人から変わったと言われるようになるというのです。

実はセミナーの講師だけではなくセラピストやヒーラーの言葉を聞いても、ものすごく真っ当な説明をしている所は多いです。

悟りや目覚めを簡単に得られると約束する教師のもとへと人々は行きますが、ところがどっこいそうは問屋がおろしません。

自己探求の道は自分で自分に光をあてる作業なので、「魂の暗夜」という、それまで気がつかずに隠れていたネガティヴな側面が浮かび上がるプロセスがあります。その最中は自分の中にある否定的側面と葛藤しなければなりません。それには持続的なエネルギーが要求され時間がかかることもあるのです。

会社に勤めている人にとって休みを取るのも大変な人もいますから、仏教の修行のように何十年も師について朝から晩まで修行するということは不可能なことでしょう。

結局、人々は時間をかけずに手っ取り早く、苦しみを解消してお手軽に自分を変えてくれそうな教師に飛びついてしまうのです。

生徒は心の中の理想化された全能の教師像を相手に投影しますが、霊的な教えを説く教師が全員かならずしも優れているとはかぎりません。善い教師の仮面をかぶって演じている人もいるからです。

自然体の自分ではない人格を演じていると抑圧された影の人格の内圧が高まります。かならず、何かをきっかけにそれが表に出てきます。しかし短い時間ならば自分が理想とする立派な人格を演じることができます。生徒の面前といないときの態度が違うので、長期にわたって、24時間、常に一緒にいないと見破るのは難しいのです。いつも演じられている人格しか見ていないのでわからないのです。ですから、立派な指導者のスキャンダルは一緒に暮らしていた奥さんやお手伝いさんによって週刊誌に暴露されます。

いつも変わらない教師の優しい笑顔の裏に抑圧した影の人格が潜んでいることが多いのです。恋人の関係だった時は優しかったのに同居してみると別な嫌いな人格が顔を出て別れたくなることと一緒です。嫌になるなら最初から付き合わなければいいのですが演じられた人格に騙されてしまうのです。

幼少時に愛を得られずに自我が分離したまま自尊心や自信の形成に失敗すると自己顕示性が肥大した自我が形成されやすくなり、能動的かつ受動的な行動表現するようになります。

能動的になると万能感や全能感を得ようとして人に対して支配的になりボス、教祖やグルとして支配、強制、暴力、攻撃、無理強いをします。

自分が「霊的に発達している」と主張して「自分は霊視ができる。過去世が分かる。あなたの守護霊はこう言っている。あなたには霊が憑いているのでこれをしなくてはだめ。オーラを見ると汚れているのでこれをしなさい。先祖供養をしていないから良縁に恵まれない不幸になっている」そうして、上から目線で一方的に決めつけ支配しようとします。

受動的になると「本当に思っていることを口に出すのは、きらわれるので危険だと思う。誰かが怒ったり、不機嫌になると居心地が悪い。もめ事を起こしたくないので、ノーといわなくてはいけない時にイエスと言ってしまう。問題が起きないようにするには、何があってもにこやかな笑みを絶やさないことだと思っている。思いやりがあって人には親切に、自分のしたいことを言わず。人を傷つけまいと自分に嘘をつく。いつもにこやかで、怒っていても冷静な振りをする。いい人を演じる。」自我を防衛し,現実と向き合うことを逃避して「あるがまま」の自分から離れています。

受動的な生徒は教師やグルなどの権威への盲目的服従、献身、忠誠、自分の外部の団体、組織への過度の依存となって現れます。

このような受動的な相談者の不安や恐怖をあおり、マインドコントロールして支配しようとする自称スピリチュアル・ティーチャー、スピリチュアル・カウンセラーは多いと思います。

ほとんどの人は絶え間のない思考に自動的に同化しているので、実態よりも自己イメージを大きく見せる教師やヒーラーの言葉にコロっと騙されてしまう人が多いのです。

自分の影に無自覚な精神世界の教師は霊性を口にはしても実際の行動パターンは非常に物質的な次元に還元されています。

ネットワークビジネスと自己啓発セミナーが重ってみえるのはネットワークビジネスは販売目標、自己啓発セミナーはセミナー勧誘の目標人数を定めて、お金の量や組織の人数を増やす事に価値を置いてそれに邁進してしまうところにあります。

現代社会は物質世界の呪縛が非常に強いのでスピリチュアルなことをしているつもりでも、いつのまにか会員の数を誇ったり経済的成功や自尊心を満足することにすり替わってしまうことがあるのです。

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■東京 中野サンプラザ
寺山心一翁オフィス主催イベント
清水友邦トークショー
「偽りの世界を見破る 内なる女神の智慧」
2018年7月15日(日) 18:30~20:15
参加費:3,000円(事前振込)

詳しくは
http://www.shin-terayama.jp/lecture_180715-top.php

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2018/05/20

宮沢賢治と仏教5

「すべてのものに生命が宿る」という考え方をアニミズムといいます。縄文はこのアニミズム、精霊信仰をもっていました。
貝塚は縄文人のゴミ捨て場と思われていました。貝塚からは貝殻や獣や魚の骨などの食料のほか、破損した土器や石器、骨角器などの道具類などが大量に出土しています。
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縄文人はあらゆるものに霊が宿ると考えていました。宇宙は円環になっていて、その輪の中で生死は循環しています。
モノノケとはモノとケが合体した言葉です。 古代の人々はモノを単なる物質的存在ではなく、霊的な存在として捉えていました。 ケとキは異語同義語で、中国でキ(気)は潜象エネルギーを表しています。
人間も動物だけでなく道具も全て死ぬと霊となってあの世に帰って行きます。そして魂を無事にあの世に送るために祈りの儀式をしました。そうして、再生してこの世に戻ってくるのです。
貝塚は神聖な祈りの場だったのです。
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昔の日本人は木の根元にお神酒を注いで山の神の許しを得てから、木を切っていました。日本人の心には縄文の「すべてのものに生命が宿る」という考えが受け継がれていました。
仏教が入ってくると平安時代に人間や動物はだけでなく山や川や草や木も石も、すべて成仏できるという天台本覚思想が現れました。
仏教は日本に入ると縄文のアニミズムと同じ考え方になりました。
賢治の中では全ての生きとし生けるものに仏性がある仏典の言葉「悉有仏性(しつうぶっしょう)」と縄文のアニミズムが一つになっていました。

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「どんなこどもでも、また、はたけではたらいてゐるひとでも、汽車の中で苹果をたべてゐるひとでも、また歌ふ鳥や歌はない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがひのきやうだいなのだから」〔手紙 四〕

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大正9年、賢治は国柱会の会員になり熱心に法華経の普及に努めました。
国柱会を興した田中智學が日本書紀の神武天皇から取り出した言葉に「八紘一宇(はっこういちう)」があります。
「一宇(いちう)」は「同じ一つの屋根」という意味で田中智學の「八紘一宇」は天皇も国民も法華一乗による世界の統一を意味していました。
それが二・二六事件の青年将校の決起文で「八紘一宇」が使われてから流行語になり、天皇を中心とするアジアの統治に使われた軍国主義の言葉ということで、戦後GHQによって八紘一宇の語の使用が禁止されしまった経過がありました。
満州事変に関わった関東軍参謀の石原莞爾は国柱会の熱心な信者でした。
国柱会=軍国主義に加担した右翼というイメージがあり、国柱会の熱心な信者となった賢治をどのように評価したらよいのか困惑する人もいると思います。
賢治が国粋主義者を尊敬していては困るわけです。賢治と国柱会が関係ないことにしたいところですが、生涯に渡って賢治は会員でした。

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賢治は父親に日蓮宗への改宗を迫り失敗、口では南無阿弥陀仏と唱えながら質屋と古着屋を続けて貧しい人から搾取する父親に反発して家出した時期に賢治は国柱会に入信しているので、大正9年の頃の賢治は相当な興奮状態にありました。
「今や日蓮聖人に従ひ奉る様に田中先生に絶対に服従致します。御命令さへあれば私はシベリアの凍原にも支那の内地にも参ります。乃至東京で国柱会館の下足番をも致します。それで一生をも終ります。」(保阪嘉内あて書簡)
「間違えた教えによる人はぐんぐん獣類にもなり魔の眷属にもなり地獄にも落ちます」(宮本友一あて書簡)
この辺りの賢治のマインドは折伏(しゃくぶく)を信仰の実践とする国柱会の影響を強く受けていました。
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そして親友の保阪にも国柱会に熱心に何回も勧誘を迫りました。「早く形だけでも日蓮上人の門下になって、憐れな衆生を救おうではありませんか。そうしないと地獄の火に焼かれますよ」と書いていますから、保阪にとって迷惑な話だったと思います。
保阪は入信を断り二人の中はついに決裂しました。
親友に去られて相当なショックを賢治は受けたと思います。
そして、生活費を切り詰めた賢治の東京の生活はジャガイモと水だけという極端な粗食のため栄養失調による体調不良にも陥っていました。
賢治は精神的にも経済的にも肉体的にも追い込まれていたと思います。
リルケは失恋の痛手を詩に変えました。
賢治もまた親友を失った欠落感、父親との葛藤、妹トシの死、これらの悲しみ、苦しみを童話や詩に昇華しました。
大正十年から十二年にかけて賢治は爆発するように生涯の作品の6割をこの三年間で書いています。
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無意識から湧き上がる衝動に気がついたのなら、他人に暴力的になったり自分を傷付けるのではなく歌や踊り、絵画や詩などの芸術を通して、否定的だったエネルギーを変容させて創造的に昇華することができます。
最悪と思える事態でも振り子の針が反対に振れると最良の効果をもたらします。
「かなしみはちからに、欲(ほ)りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし」賢治(書簡165)
2018/05/20

宮沢賢治と仏教4

草木までが仏になるという山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく しっかいじょうぶつ)という仏教の言葉があります。
しかし、山川草木悉皆成仏という言葉はどの仏典にも日本の古典にも全く載っていないのです。
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大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)にすべての生き物は仏性をもっているという意味の一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)という言葉が出てきます。
ところがインドの経典で草木や石ころは意識のない無情なので仏性はないとされています。仏性があるのは意識のある有情すなわち動物と人間だけ。
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草木だけでなく塵や石ころまでに仏性があると説いたのは中国天台宗の第6祖湛然(たんねん)(711年 - 782年)です。最澄は「木石仏性」といい日本の天台宗に受け継がれました。
空海もまた「草木也成。何況有情」と草木も成仏すると言っています。そして「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という言葉が天台密教を確立した安然あんねん(841~ 不明)によって出てきます。
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」は室町時代の能の謡曲に盛んに使われました。
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親鸞は『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』のなかで、「仏性すなはち如来なり。この如来微塵世界にみちみちてまします。すなはち、一切群生海のこころにみちたまえるなり。草木国土ことごとくみな成仏すととけり」と書いています。
そして、哲学者の梅原猛さんによって国という文字が入ると環境思想にふさわしくないので山川草木悉皆成仏(さんせんそうもく こくどしっかいじょうぶつ)として60年代から使われたようです。
賢治は大正七(1918)年五月十九日の保阪嘉内あて書簡63「一人成仏すれば三千大千世界山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ」と書簡76「わが成仏の日は山川草木みな成仏する」で書いています。
「すべてのものに生命が宿る」という考え方をアニミズムといいます。縄文はこのアニミズム、精霊信仰をもっていました。
縄文以来、すべてのものに精霊が宿ると考えてきた日本人にとって、山川草木すべてに仏性が宿る考えは受け入れやすかったのです。

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比叡山天台宗には誰もが本来悟っているという本覚思想がありました。本覚(ほんがく)というのは本(もと)から覚っているという意味です。
人々は生まれながら永遠の存在である仏と同じ本覚を持っています。
しかし本当は悟っていても煩悩に覆われてしまい、それがわからなくなってしまっていることを不覚といいます。そこで次第に煩悩を取り除いて悟りに到達する事を始覚と言いました。
本覚はありのままの現実がそのまま悟りの現れであり、それとは別にもとめる悟りはないという考えです。
ですから悟りを求めて修行する必要はなく、修行によって悟りを開くことは非常に低次元のことで始覚門とよばれました。
すでに悟っているので修行は不要と思ってしまうと、向上心は薄れ、安易な現状肯定になってしまいます。いつのまにか、そのままで現実に悟りを開いているということになってしまいました。
中世の時代は僧兵が幅を利かせ武力による権力闘争を繰り返していました。僧兵のいいぶんはこうでした。
「もともと罪などというものはない、罪があると思うのは妄想である。自分の心はもともと清いので仏である。」と僧侶はうそぶいて欲望のままに乱暴狼藉の数々を働いたのです。

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比叡山に天台宗を開いた最澄と論争(817年から821年頃)した徳一という僧侶がいました。
徳一は仏性をもたない人がたくさんいるので全ての人が仏になれるのはおかしいといいました。仏性をもっているのは一部の人で、その仏性をもっている人でさえも難行、苦行した末にやっと仏になれると言ったのです。
徳一は南都六宗(奈良仏教)の立場の人でした。華厳経には52もの修行の段階が示されていて、十信・十住・十行・十回向という四十もの段階を経て始めて最後の菩薩道に入る事ができるとされています。
その50段目の十段階を「十地」と呼んでいます。その「十地」の最初の一番下の段階、歓喜地に達したのは中観のナーガジュルナ(龍樹)と唯識のアサンガ(無著) のたったの二人しかいないとされています。
菩薩の最高位になる51段目の「等覚」に達するまで「十地」があと九つの段階があるのです。
そして最後の52段目の「仏覚(ぶっかく)」に達したのは地球上ではお釈迦様しかいないとされています。つまり一般大衆が最高の悟りを得ることはほとんど不可能な事なのです。

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本覚は昔から論争の種でした。
本覚思想が発展する前には悟りを得るのは難しく限られた特別の人だけだとする考えがありました。
悟りを開いていない衆生つまり、私たち、一般社会人は世俗の仕事に忙しく、修行を続けても、いったい、いつになったら悟りが開けるの判りません。その点、もともと誰でも仏性が内在しているのであればそれを表に出せばよいので希望があり、修行の励みになります。
それが中国から日本に伝わる間にいつのまにか仏性が全面に出て来て、すでに悟っているのだから修行は不要の本覚になってしまったのです。
当然、極端に展開した本覚思想は批判されることになりました。言葉だけによる教えの危険性がここにあります。
月を示す指は方便であって月ではありません。悟っている人にとっては真実でも、探求者にとっては「あなたは悟っている」は方便でしかないからです。
それは薬と同じで適切に使用すれば病が癒されますが使用を誤ると毒になってしまうのです。

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探求の道では真実を求める欲望だけが唯一正しい欲望として奨励されます。修行して、さまざまな瞑想体験を積み重ねて、もうそれ以上何処にも行かない地点まで達した時、何をやっても行きづまってしまった時、努力そのものが障害になっていることに気がつきます。
そのときにはじめて努力を落とすことができます。
最初から努力を放棄したならば、それはただの現状維持になってしまい病は癒えないでしょう。
「私は悟っている」「私は完璧だよ」「私は大丈夫」と唱えて、自分に言い聞かせても、無意識の中に未完了の否定的なトラウマがあれば、その人は巻き込まれて簡単に暗黒の世界に落ち込んで苦しみます。
ダークサイドに落ちたスターウォーズのシスのように。

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あらゆる精神的な道は薬のように、あるときは正しく使うと病を癒し、間違うと悪化してしまうので相対的です。そして、究極において全ての人はどんな治療を施しても必ず死亡します。
最澄も徳一のどちらも正しくて間違っているのでした。
本覚思想を学んだ鎌倉仏教の祖師たちは比叡山から出て独自の道を歩みました。

「東アジア的環境思想としての悉有仏性論」岡田 真美子
http://www.indranet.jp/produ…/2002.11.16shituubussyouron.pdf