2017/01/06

瀬織津姫の名が残された氷上神社

初詣は瀬織津姫を祭神とする氷上神社を参拝してきました。
岩手県は瀬織津姫を祭神とする神社が日本で一番多く36社あります。

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参拝した奥州市の氷上神社は陸前高田市の氷上神社から分霊された神社です。ところが本社の祭神は天照大神で分社の瀬織津姫の名はどこにもみあたりません。瀬織津姫の名前は消されてしまったのです。氷上神社の本社は祭神を変えましたが分社はそのままだったのでこの神社に瀬織津姫の名が残っていたのです。

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瀬織津姫は人間の罪と穢れの一切を祓い潔める祓戸の神として大祓の祝詞に登場する女神です。
神道の儀式は祓い清めにあるので瀬織津姫は大変重要な女神です。ところが古事記・日本書紀には全く名前が記されていないのです。瀬織津姫はときの権力者によって意図的に隠された女神なのです。
氷上神社は初めての参拝です。昔は「日の神」と言っていたようです。無資格の神社なので地図に出てきません。住所近くのお年寄りは知りません。お巡りさんも知りませんでした。

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村社の宮司さんに聞いてようやくわかりました。氷上神社の鳥居が朽ちて参道は荒れていました。山道を20分以上歩いた山の頂上付近に氷上神社は鎮座していました。正月は初詣で賑わう神社ですがここは野鳥が鳴いているだけで訪れる人が誰もいません。瀬織津舞を奉納しました。

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明治の頃、地域の人々の信仰対象だった神社は中央集権的に村社・無資格の序列がつけられて強制的に神社が統廃合されました。このときに国津神から天津神に神名を変えた神社も沢山ありました。鎮守の森は欲望の対象となり木は売り払われ何万という無資格の神社が消滅しました。それでも産土神として村人に親近感をもって信仰されていた無格社の神社は存続していました。

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高度成長の60年代、TVが普及するようになって若者は物質的豊かさを求めるようになり農業をやめてお金を求めて都会へ働きに出るようになりました。村では人間関係が希薄になって祭りが行われなくなり田畑は荒廃していきました。熊との接近遭遇が増えたのも熊と都市との境界線だった里山の荒廃と関係しています。

里山の5割以上が無居住地化しつつあります。延々と縄文時代から継続してきた神々と自然と村人をやさしく包んでいた里山の共同体は消えていったのです。

本来神社は魂が再生されて生きていることの感謝と喜びが湧いて元気になる場所なのです。

ところが神社の注連縄(しめなわ)がビニールになったり、鎮守の森が消滅してコンクリートで覆われたりで、気の場が乱れて、聖地の機能が消滅している神社が多くなっています。

そして氏子が少なくなった神社は荒廃の一途をたどっています。すでに消滅した神社も多く、かろうじて残っている神社も訪れる人がいない神社は消滅の危機に瀕しています。神社が活力を失ってしまえば日本も衰退してしまうでしょう。
2016/12/27

古代日本のピラミッド クロマンタ

秋田県鹿角市大湯のストーンサークル北東2キロのクロマンタ山はピラミッドと言われています。
古代日本のピラミッドについて書かれた古文書があります。

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超古代の日本は世界の政治、文化の中心地で天皇は天之浮舟(あまのうきふね)にのって世界中を巡航し世界の人々から崇敬されていたという竹内文書です。
天皇を中心として日本が世界の盟主となる世界観は日本人に過剰な自尊心をもたらす効果がありました。昭和の二二六事件を起こした皇道派の青年将校や大本教と袂を分かち日月神示に関与していた矢野佑太郎は竹内文書に強い関心を持っていました。

天皇中心の国家体制を唱えて昭和維新を目指した皇道派にとって竹内文書は自分たちの行動を正当化するのに都合が良かったのです。その後、二二六事件で皇道派は一斉され竹内文献を保持していた竹内巨磨は不敬罪で逮捕されました。
竹内文書の近辺には変わった人々が多く、その中に酒井勝軍(さかいかつとき)がいました。

酒井勝軍は元キリスト教の牧師でユダヤ民族の研究で中東・パレスチナから帰国すると竹内巨磨と会いピラミッドが日本で発祥した説を唱えて「太古日本のピラミッド」を出版しました。

1932年(昭和7年)に発見された大湯のストーンサークルの発掘の指揮をしたのは当時の村長だった諏訪富多です。彼は昭和十年に青森を訪問した竹内巨磨や酒井勝軍のほか戸来村のキリストの墓伝説を広めた山根キクや青森出身の日本画家の鳥谷幡山と親しく行動を共にしていました。

竹内文書は内容が荒唐無稽すぎることと、研究家も怪しげな人物が多いので、まともに相手にされていませんがクロマンタ山が古代の祭祀遺跡なのは確かなようです。
同志社大学に本部がある環太平洋学会という学術会議が平成3年から4年間かけてクロマンタ山を調査したことがあります。
その結果わかったことはクロマンタ山が七段から十段に及ぶテラス状石積遺構によって造られた、人口ピラミッドであり、山頂部に七段のリング状に配石された祭祀遺跡があることがわかったのです。
昭和17年に「ピラミッドクロマンタ山」を訪れた鳥谷幡山が山頂に突如現れた光を見て描いたスケッチを諏訪富多は所持していました。

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クロマンタ付近の住民もクロマンタ山頂で光を見たことがあると証言しています。貴重な鉱脈がある場所からは光が現れるという言い伝えが昔からあります。最近ではUFO目撃情報もあります。

聖地で奇怪な音を聞いたり奇妙な光を見たりする目撃情報は世界中にあります。その場所を調べてみると古い地層や断層があったり、重力の変化や局地的な電磁場異常の場所が多いのです。脳の側頭葉部分は電磁場に敏感で異常があると幻聴 幻覚が起きることが知られています。

多数の岩石が圧迫されて圧力が生じている場所には圧電気が生じています。クロマンタ山も石組によりおそらくなんらかのエネルギー現象が発生していたのかもしれません。
それからピラミッドの形はエネルギーを増幅させる力があることが知られています。1959年にチェコスロバキアでピラミッドの型をしたカミソリ刃再生装置で特許を取った人物がいます。

ピラミッド形の頂上ではエネルギーが螺旋状に上昇することが報告されています。
クロマンタの山頂部から縄文土器と立石が出土していますがそれは石英結晶が多量に含まれている「石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)」でした。

聖地にある岩石はその結晶構造の組み合わせと太陽と月惑星の位置によって場のエネルギーの増減が起きるようになっています。
そこでは強い高揚感とリラックスが同時に起きて無意識の中から深い感情が湧き上がります。自我の境界が溶けて自然と一体となる変性意識状態がおきやすくなるのです。

クロマンタ山でイニシエーションが行われていたのでしょう。
数年前にクロマンタ山の頂上で野宿した時にカミさんはヴィジョンを見ています。松明を掲げてクロマンタ山に登った古代人が頂上に現れた不思議な光を仰ぎ見る祭儀をしていたのです。

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古代遺跡は夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日没の場所にありました。
クロマンタ山もまた冬至と夏至の太陽運行の直線上に神社が配置されていました。
ただ、すべて5度ほど角度がずれていました。

5度のズレは紀元前3000年頃の北極星だったりゅう座α星の位置と一致します。
現在はこぐま座α星のポラリスが北極星です。
つまりクロマンタ山は約5000年以上前の古代遺跡だったのです。
2016/12/27

冬至のストーンサークル

12月21日は冬至です。夏至や冬至そして春分や秋分の太陽の方位に合わせて作られた古代遺跡が世界中にあります。

太陽の力が最も弱くなる日が冬至です。冬至の翌日が新しい年の始まりなのです。古代の人々は太陽の恵みに感謝して、世界の安定と繁栄を祈り冬至に祭祀を行なっていたのでしょう。BC2500年頃に祭儀が行われていたイギリスのストーンヘンジでは現在も夏至や冬至に日の出を見ようと毎年大勢の人々が押し寄せています。

秋田県鹿角市大湯に日本最大の環状列石ストーンサークルがあります。直径52メートルの万座遺跡と130メートル離れた野中堂遺跡は直径44メートルあります。この二つの遺跡の中心部を結んだ線上に冬至の日の出と夏至の日の入りが起きるようになっています。

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そして大湯のストーンサークルの北東2キロにピラミッドと言われるクロマンタ山があります。環太平洋学会という学術会議が平成3年から4年間かけてクロマンタ山を調査したことがあります。

その結果わかったことはクロマンタ山が七段から十段に及ぶテラス状石積遺構によって造られた、人口ピラミッドであり、山頂部に七段のリング状に配石された祭祀遺跡があることがわかったのです。

そしてクロマンタの山頂部から出土した立石は大湯ストーンサークルと同じ場所から持ち込まれた組石でした。クロマンタ山の冬至と夏至の太陽運行の直線上に神社が配置されていました。大湯ストーンサークルとクロマンタ山ピラミッドはストーンヘンジを凌ぐ巨大な祭祀場だったのです。

山の頂上と古代遺跡が直線で並んでいる古代遺跡が世界中にあります。その場所には仏教寺院やキリスト教の教会の場合もあります。寺院は古代遺跡の後に建てられたのです。

その場所は夏至・冬至・春分・秋分の太陽の位置を正確に示していました。キリスト教の聖人は聖地で祈り断食して変性意識状態(サトルの領域)に入り天使と語りました。

ストーンサークルに使われている組石は石英結晶が多量に含まれている「石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)」です。石英の結晶は約453キログラムの圧力が掛けられると2万5千ボルトの電圧を生じる性質を持っています。

地震が発生する時の岩石の電磁波パルスを動物や植物は敏感にキャッチ します。サンフランシスコ地震が発生する前にマリン郡のタマルペーズ山で冬の間中、重い地鳴りのような音を聞いていた人がいます。そこは蛇紋石が露出している磁力異常のある地域でアメリカインディアンの聖地でした。

脳の側頭葉部分は、電磁場に敏感なことが知られています。地震の時に発生する電磁波を感知してそれが耳鳴りとして聞こえる人がいるのです。

石英の岩石を輪に配置してストーンサークルを組石するとそこに磁場の変化が起きます。エジプトの大ピラミッド、イギリスの古代遺跡、フランス、ブルターニュ地方のカルナックの巨石建造物は磁気を帯びた石を組み合わせて建造されていました。

人間は磁場の変化を感じ取る能力があるので、そこでイニシエーションを行うことで日常意識を超えた世界に入ることができたのでしょう。

人間も含めて、すべての生物はシューマン共鳴とよばれる母なる地球が発生する電磁場とつながっています。

このシューマン共振はずっと7.8ヘルツでしたが1980年頃を境に、徐々に上昇を始め2000年に13ヘルツを超えたということです。もし、地球の電磁場の周波数がそのまま上昇すれば人々に意識の変化をもたらす可能性があります。

冬至の今日、大湯のストーンサークルとクロマンタ山ピラミッドに行ってきました。人払いがされていて誰もいませんでした。
2016/11/23

縄文土器

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縄文人はドングリを主食にしていました。遺跡からドングリをすりつぶす道具である大きな石皿やすり石が発掘されています。
縄文人はドングリを割って中身をすりつぶして粉にして、それを流水にさらしてアクを抜いて乾かして保存して、それを団子にして土器で加熱して食べていたようです。
米の生産量は一反あたり178キロと言われていますがどんぐりの生産量は一反150キロになるので収穫量は米とさほどかわりません。稲作は田植えから水管理、稲刈りまで汗水たらして働かなければなりませんがドングリはほっといても勝手に実がなります。一週間ほど山に出て拾えば1年分の主食を蓄えることができました。
縄文の住居跡からは炭化している木の実が混じったパンやクッキー状のものが発掘されています。蜂蜜をつけると現代ではおやつになります。

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縄文人は世界に先駆けて土器を発明して煮るという調理法を編み出しました。熱を加えることで殺菌され有毒物やアクが分解され堅い繊維の植物は柔らかくなるので、いままでに食べられなかった食物の種類が大量に増えることになりました。
縄文中期になると蒸し器も登場して煮るだけでなく蒸す調理法も発達しました。

今から約5500年〜4000年前の間、主に東北北部から北海道南部にかけて分布していたのが円筒土器です。盛岡から南を境にして分布しているのがずんぐりした形の大木式土器です。縄文時代前期~中期の盛岡はこの二つの文化圏に挟まれていました。

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海岸近くでは、魚貝や山菜や栗、クルミなどが入った鍋料理を楽しんでいたと思います。もちろん化学調味料などの食品添加物ははいっていません。天然の味を楽しんでいたでしょう。

最近の研究では縄文人の寿命は以外と長く65歳以上が3割もいたようです。体に障害を持って働けなかった人も大切にされて長生きをしていました。

諏訪地方の縄文人は周辺地域が稲作をしていても最後まで稲作を拒否していました。木を切り土地を耕さなくともドングリで楽に暮らせていけたからでしょう。

狩猟採集民にとっては森が神でありすべてでした。人間と動物は等しく、人間が動物になり、動物が人間に自由に姿を入れ変える事ができました。動物は兄弟であり植物は姉妹でした。 シャーマニズムの世界では、物質世界と霊の境界は流動的で切り離す事はできませんでした。




稲作習慣をもった人々が多くなると森を伐採して耕地面積を広げていきました。

しかし唯一木を切ってはならない場所がありました。それが縄文の人々が信仰の対象にしていた神聖な森でした。のちにそれが神社の鎮守の森になったのです。

しかし、近代合理主義の明治時代になると樹木は神聖さを失い単なる商品価値におとしめられました。森林は欲望の対象になり鎮守の森は売り渡されました。

南方熊楠の神社合祀反対運動
http://japanese.hix05.com/Minakata/minakata104.jinja.html

ブナやクリなどの広葉樹などは大規模に伐採され、生き物の餌となる木の実が激減して獣は姿を消していきました。安田喜憲の花粉調査によると、ギリシャ文明と森の消滅はほぼ正比例しているといいます。

世界四大文明もまた木を切って森が消えたために文明が衰え、滅んでいきました。

命のネットワークからみれば森林破壊は自分の身体を破壊することに等しいのです。生態系全体が崩壊しつつあることの意味を私たちは理解していないようです。

森が消え、クマや小鳥が消えてゆくのは他の生物を巻き込んだ人間のゆるやかな自殺行為です。人工的な世界に囲まれて暮らす私たちの身体感覚は鈍くなっています。いのちの輪が見えなくなっているのです。
2016/11/23

おおあさ(大麻)

日本の神道は大麻がないと成り立たちませんでした。古代の人々は大麻に神霊が寄りつくと考えていました。
大麻は情報であるエネルギーを転写するのです。お祓いの時には大麻に祓戸の大神が寄りつきます。その筆頭の女神が瀬織津姫です。神社で鈴を鳴らしますがその「鈴緒(すずのお)」の縄も大麻です。大麻は罪や穢れや祓う神聖なものとされていました。

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神主の装束も麻で織っています。神道の穢れを祓う道具が大麻でした。社殿のない場所で祭儀を行うときの神籬(ひもろぎ)は榊(さかき)に折った紙を垂らす紙垂(かみしで)に麻をつけたものでした。
昔から大麻は穢れを祓う力があると信じられていたので伊勢神宮の御祓大麻(おはらいたいま )は何百万枚も配布されています。相撲では麻で編んだ太いしめ繩のことを横綱といっています。

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日本人は昔から麻糸でへその緒を切り、麻を素材にした弓弦、凧糸、かつおの釣り糸や漁網を使い、麻の茎の入った家に住み、麻の鼻緒で作った下駄を履き、麻布でできた着物や褌(ふんどし)を身に付け、麻の蚊帳の中で麻糸で作った畳の上で眠っていました。
天照大神が天の岩戸に隠れた時に八咫鏡(やたのかがみ)と眞経津鏡(まふつのかがみ)と大麻をかけた榊(さかき)を持ち、天岩戸が細めに開いた時天照大神に鏡を差し出したのが太玉命(ふとたまのみこと)別名大麻比古(おおあさひこ)でした。
天皇が「大嘗祭」において儀式のときに着用する神衣(かむそ)は麻の織物でできています。天皇の代が変わる時、新しい天皇は大麻で出来た鹿服(あらたえ)を着て神殿に一晩寝て天皇霊を受け次ぐ儀式をしていました。この鹿服(あらたえ)を天皇家に献上する家が「大麻比古」を氏神とする古代忌部(いんべ)氏でした。
出雲風土記では麻を蒔いた神としてアオハタサクサヒコ(青幡佐久佐彦命)がでてきます。八重垣神社の場所は昔佐久佐神社といいました。神社がある松江市佐草は昔、大草の郷と呼ばれ大麻が沢山茂っていました。

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饒速日命(ニギハヤヒ)を先祖とする穂積氏は仙台に麻の栽培を教えて青麻神社を建立しています。穂積(ほずみ)氏は鈴木氏の祖でもあり熊野三山の神職でもありました。日本はいたるところに大麻が沢山茂っていました。
ユダヤ教でも大麻は神聖とされていました。旧約聖書エゼキエル書第 44 章で「神殿に入るときには頭には亜麻布の冠をつけ、腰には亜麻布の袴をつけ麻の衣服を着なければならない。」と神は祭司に麻の服で聖と俗との区別つけるように指示しています。

大麻で芸能人が検挙されてよくニュースにでますが数多くの裁判を手がけた丸井英弘弁護士は大麻取締法は問題があるといっています。

大麻取締法で大麻の栽培、輸出入は懲役7年以下、所持、譲渡は懲役5年以下の罪に問われます。つまり大麻をただ持っているだけで誘拐と同じ悪質な犯罪とされてしまうのです。

ただし、テトラヒドロカンナビノール (THC)が含まれるのは葉と花冠なので繊維の素材となる茎や食用の種はTHCが含まれないので所持しても犯罪とはなりません。

大麻は幻覚性や中毒性があり危険な麻薬と思っている人が多いですが大麻には致死量がなく大麻摂取による死亡例は報告されていません。

法律を作って市民を保護する利益・権利のことを保護法益といいますが大麻取締法は、窃盗罪や傷害罪のような被害者が存在しません。

関係者の証言を聞いても大麻の作用は心身をリラックスさせるだけで犯罪性も反社会的な要素はなく憲法第一三条で保障された幸福追求権を否定した違憲なものであると丸井英弘弁護士は考えています。

厚生省や警察等取締当局や裁判所は「国民の保健衛生上の危害の防止」と説明していますが酒やタバコも有害なので為政者が恣意的に用いればすべて取り締まりの対象になってしまいます。

大麻取締法はきわめて保護法益が不明確なのです。つまり法律が成立する合理的妥当的な根拠がないのです。

最近のMRIなどを使用した医学的研究ではアルコールやニコチン、コカインよりも大麻が有害だと立証できなかったとされています。大麻が暴力や攻撃性、非行などの主因となるという事も否定されています。

ただし、ヘロインのような物理的な中毒性はなくともチョコレートのような心理的依存性があり煙による害もあるので大麻が全くの無害ではないことはお断りしておきます。

私は呼吸法のファシリテーターなので恍惚や陶酔に導く変性意識状態は煙を吸わない呼吸の方が健康的だとおもってます。
大麻取締法は占領米軍GHQによって1948年に制定されました。その当時のアメリカは大麻を規制していたのです。

大麻を規制した理由は1937年にアメリカで「大麻課税法」が制定されたように綿花の栽培業者、衣料の原料である合成繊維の石油業界、製紙の原料のパルプ業界の保護にあり大麻の禁止には経済的な理由がありました。

大麻は荒れ地や干ばつでも成長し、肥料や農薬も必要としません。大麻からは紙と建材が作られ土で分解するバイオプラスチックも作ることができました。麻の繊維から丈夫なロープも作れます。

中国では昔から鎮静の漢方薬として使われ、最近は緑内障、ガン、アルコール依存、アルツハイマー、鬱病の治療に注目を浴びています。

大麻は食料、油、衣服、紙、建材、薬として日本でも自給できる有益な植物ですが現代社会は不当な扱いをしているのです。

戦後、GHQの指導で大麻取締法という法律が出来て以来大麻は麻薬として取り締まりの対象になってしまいました。
終戦後、全国に600社あった大麻神社も改名を迫られましたが当時の神社庁と関係者は断固拒否して改名はなんとかまぬがれました。

しかし戦後の大麻栽培は犯罪と結びつくイメージが出来てしまったことと木綿に押されて日本の大麻産業は著しく衰退してしまいました。

繊維取得用に開発された大麻草(品種名:トチギシロ)は薬理成分テトラヒドロカンナビノール (THC)が含まれませんが栽培は大麻取締法のために認可制となっています。

今年の出張先は大麻関係の人々とよく出会いました。まるで麻の精霊が地球偶然一致制御局で仕事しているかのようでした。

丸井英弘弁護士インタビュー
http://www.asahi-net.or.jp/~is2h-mri/pent.html
大阪おおあさ自由学校事務局
http://ooasajg.blogspot.jp/p/blog-page.html