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2019/02/17

真実の愛に出会う時




男女が出会い恋に落ちると、フェニルエチルアミン(PEA)という恋愛ホルモンが分泌することが知られています。
恋愛ホルモンにより二人の間にドーパミンが大量に分泌されてめくるめく歓喜がおとずれます。その威力は強力でフェニルエチルアミン(PEA)を注射すると、それまで全く興味を示していなかった異性と交尾をしだすということです。
しかし、恋愛ホルモンの分泌は長く続かずその期間は、18か月から3年といわれています。

恋人を手に入れても、やがて、恋愛ホルモンの分泌が落ちると、決まりきった単調なものとなってしまいます。
親密になり長時間一緒に過ごすしているとやさしくて良い人という仮面が外れて隠れていた影の人格が姿を表します。
二人の間には倦怠と失意がおとずれます。自我の境界を超えて無意識の領域から抑圧した感情が意識の表層に浮上して不愉快な気分がやってきます。

その不快な感情の原因を相手に投影して感情的になります。自分が味わっている不快な感情はどうしても相手が原因で起きているとしか思えません。
やがて相手にもそれが起きるとお互いが耐えられなくなり、お決まりの関係性をどうするかという選択にきます。
異性の間には独立したい欲求と一緒になりたい欲求の両極があります。男女の関係は波のように近づいたり離れたり繰り返すのは実は自然なことなのです。

しかし、心に傷を抱えている人は見捨てられる恐怖や不安から相手が離れていくことに耐えられません。
嫌われたくないと思って相手が喜ぶことを我慢してやり続けているうちに、ある日突然、なにもかも、めちゃくちゃにしたくなる衝動が起きて、関係性が終わってしまうこともあります。

その苦しみは我慢しても、相手を取り替えても、本当の自分に気がつくまで終わることはありません。
固く防護された偽りの自己は、自分を巧みにごまかし、心から湧いてくる感情を素直に表現することをしません。身体感覚が低下した状態では感情が意識にのぼってくる通路が封鎖されているので、感情が発散されず蓄積されています。

自然体の自分ではない人格を演じていると内圧が高まっていきます。何かをきっかけに無意識に溜め込まれたエネルギーが表出すると、突然に怒りが湧いて、攻撃的になったり、外へ飛び出したり、衝動的な行動をとってしまいます。
感情を表しても、内側で何が起きているか、「気づき」がない状態で起きている為に感情を爆発させても内面の緊張は解消されません。

優しく接したいと思っても、内面の解消されていないエネルギーにたちまち支配されてしまいます。否定的なエネルギーに同化して絶望的になり自虐的になったり衝動的な浪費や、過食を繰り返したりする人もいます。
自我は感覚からくる刺激に自動的に反応して大部分のエネルギーを浪費しているのです。
私たちは怒り、悲しみ、絶望、不安、笑い、歓喜とあらゆる感情に巻き込まれて自分を見失う経験をしています。
苦悩の根元は思考や感情や肉体の感覚を自分だと思っていることにあります。喜怒哀楽に揺れ続けている私は誰かと自分自身に問わなければなりません。

平和な日常だと自分を変えようと思いません。
苦しみがないと私たちは探求しようとしないでしょう。
内面の苦しみは自分が誰かを確認するための鏡のようなものです。
思考や感情が次から次へと現れては去ってゆく事を見て取ると、
すべては空だということを理解します。

今まで思い込んでいた世界は思考が作り上げた夢だった事に気がつきます。
本当の私は見守るものであり、見られているものではないという気づきが起きると感情に振り回されなくなります。

思考や感情や身体に同一化していない自分、
何ものにも囚われていない自分。
思考を超えているのが本当の自分だと気がつくと
頭で考えていた自分は存在しないということがわかります。
そこには他者を非難したり嫌悪している自分はいません。
絶え間なく浮かんでは消える流れがあるだけで
思考する私はどこにもいないのです。
自分がいないということは同時に自分はすべてだということです。
そのとき真実の愛に出会うでしょう。

神の愛のとりことなった探求者は神に対する切ない思いに胸を焼かれ、
なやみもだえて眠れない夜をすごします。
そして、堪え難い愛の苦悩に身を焦がす長い旅路の果てに、
私という自我は恍惚の中で聖なるものの愛の中に消え去ります。
ついに探求者は思い憧れていた最愛の人と結ばれます。

これが偽りの自我から目覚めて真の我に帰る神秘主義の旅なのです。
2019/02/17

天皇家の祭祀





新しい天皇が誕生するときに大嘗祭(だいじょうさい・おほにへまつり)が行われます。
天皇は神官なので本来の仕事は神事です。

毎年、11月22日は鎮魂祭、23日は新嘗祭(にいなめさい)が宮中で行われています。
7世紀頃までは大嘗祭と新嘗祭の区別がありませんでした。その起源は神武天皇の時代まで遡ります。

古代の日本はスサノオと稲田姫・ニギハヤヒと瀬織津姫の国津神の系統がまつりごと(祭儀と政治)を司っていました。そして、国津神から天津神へと国譲りがおこなわれたのです。

日本の弥生は国津神と天津神の二重構造になっています。

日本は縄文の母系から弥生・古墳時代の双系・父系と社会構造が変わり女性の地位は低下して男性が支配者となりました。
呪術的な縄文から技術的な弥生に変わっても日本は母系の影響があったので婿入婚が基本でした。

父系の天津神である神武天皇は母系の国津神へ婿養子に入って国津神と天津神は和合したのです。
神武天皇から9代目の開化天皇までの間の皇后はニギハヤヒを祖とする磯城氏、穂積氏、物部氏から出ています。
物部氏の祖ウマシマジ(宇麻志麻遅命)は十種神宝( とくさのかんだから)を奉献して、神武天皇即位の祭儀を執り行いました。
ニギハヤヒが天神から授けられた十種神宝は、『先代旧事本紀』で天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)といい、皇位継承の証しでした。天皇家の祭儀は物部氏の儀式を取り入れたのです。

「天皇」の称号が使われ、三種の神器が公式に皇位継承の象徴とされたのは、7世紀の天武天皇と持統天皇の時代からです。
それまでの天皇は「大王(おおきみ)」とよばれていました。鎮魂法はその後、文武天皇の時代に宮中祭祀の鎮魂祭として儀礼化され、701年の『大宝律令』において制度のなかに取り入れられました。

鎮魂祭の執行日は冬三か月の中の月である仲冬の寅の日に規定され、翌日の卯の日に大嘗祭と新嘗祭が執行されました。
鎮魂法は古代の冬至祭と関係していることがわかります。

古代の人々は、身体から魂が遊離することが死だと考えていました。命を復活させるのは魂を呼び戻すことなので、太陽の光が一番弱くなる冬至に太陽の復活と豊作を祈って魂の再生の儀式をおこないました。

生命力が弱くなる冬至に、天皇の蘇生を祈る祭儀が宮中の鎮魂祭なのです。

スメラミコトは神の依代となって先祖からの言霊を授かる鎮魂祭と大嘗祭という儀礼で霊統を受けついできました。大嘗祭の霊力は1年ごとに衰えるので新嘗祭を執り行うことで復活させていました。

ところが、後土御門天皇の時代(1466年)から東山天皇の時代(1687年)までの220年の間の大嘗祭は途絶えていたのです。
新嘗祭も後花園天皇(1462年)以降、東山天皇(1688年)の時代になるまで途絶えていました。武家社会になると江戸時代の後期までの間、天皇家は古代から受けて継いできた祭祀の霊力を失っていたのです。

天皇家の領地である禁裏御料の石高は小大名くらいの3万石くらいしかありませんでした。長く武家社会が続き庶民の崇敬の対象は将軍や領主にあり氏神やその土地の神々になっていました。

277年振りに新嘗祭が再興されたのは徳川綱吉の元禄時代、吉田家においてでした。天皇家にはもはや財力がなく再現は困難で略儀だったようです。

明治政府は、神武復古をかかげ、天皇中心の国家体制を敷きました。政治を司る神祇官を含む太政官制度が廃止され、天皇の宗教的権威と公家の関係で成り立っていた朝廷は消滅しました。

新しい政府の要職に就いたのは維新の原動力となった薩摩・長州・土佐・肥前の出身者でした。
しかし、途絶えていた鎮魂の祭祀を、水面下で継続してきた神祇官を外して、天皇家の鎮魂の祭儀はできませんでした。罷免された白川家と吉田家は、改めて神祇官に任ぜられました。

新嘗祭が本格的に再興されたのは、1873年(明治6年)11月22日でした。
はるか太古の昔、人々は誰もが目にみえない神々と霊的交流をしていました。

女性は別な魂を呼び寄せて体内に宿すことができたので、生命を生み出す力がある女性が巫女となって神の代理人となっていました。
沖縄の久高島で12年に一度おこなわれていた神事イザイホーでは30歳を超えたすべての既婚女性は先祖の霊と交信する神女となっていました。

左脳優位になると自己の本質である「直霊(なおひ)」が自我意識に覆われるようになり、神の声は聞こえなくなりました。
鎮魂とは人間が生きながらにして神となることを意味しています。

禍罪(まがつみ)が直霊(なおひ)を覆っていたので鎮魂の儀式をして禊祓いをしなければ神に帰ることができなくなくなりました。
『古事記』に、仲哀天皇が琴を弾き、武内宿禰が審神者(さにわ)になって神功皇后が帰神を行ったという記述が出てきます。
古代は巫女が神を降ろす役割をし、男性の審神者(さにわ)が巫女に降りている神が本物かどうか確かめる役割をしていました。
父権社会になると男性がスメラミコト(天皇)となって祭儀だけでなくや政治も兼ねるようになり大王として軍事の指導者にもなっていったのです。

古代は女性が祭祀権を持っていました。古墳時代頃までは男性と女性が入れかわり祭祀権をもち、室町時代に祭祀権は女性から男性に変わってしまい現在まで続いています。

天皇家の跡取りに女性が生まれているということは、時代は再び女性が祭祀を行うように促しているように思えます。
そして国民の安寧と繁栄を祈ると説明されている祭祀の本来の目的は直霊(なおひ)になること、つまり本当の自分に帰ることなのです。それが祈りの奥義です。

参考文献
清水友邦著『よみがえる女神』ナチュラルスピリット
https://www.amazon.co.jp/よみがえる女神-清水-友邦/dp/4864512523
2019/02/17

アルテミス神殿


トルコ エフェソス アルテミス神殿跡


地母神信仰の中心地だった地中海に面したトルコのエフェソスを訪れたことがあります。エフェソスは使徒ヨハネと聖母マリアの終焉の地とも言い伝えられています。

エフェソスは熱狂的なアルテミス信仰の中心地で紀元前7世紀から紀元3世紀にかけてエフェソスにあったアルテミス神殿は古代世界七不思議の一つでアテネのパルテノン神殿の倍近くの規模を誇っていました。女神アルテミスは地母神の神格を受け継ぐ豊穣の女神でした。

このアルテミス神殿を建設したのは武器をとって戦ったアマゾン女族という伝承があります。

アマゾン女族はディオドロスの『世界史』に「法律を定め、女たちには従軍させ、男たちには卑しい奴隷の仕事を課した。男児が生まれると、脚と腕を不自由にして、戦えなくし、これに対して女児は右の胸を焼かれて、大きくなったときに戦場で(右の乳房が弓を引く上で)邪魔にならないようにした。それゆえ、この民族はアマゾン(乳房がないもの)と呼ばれるようになった」とかかれています。
アマゾン女族は一般に種族保持のために、毎年、時を定めて他国を征服し男と交わり子種を得えて、生まれた子どものうち男児は殺すか障害を負わせて奴隷とするか、あるいは父親のもとに引き渡し、女児のみを後継者として育て女だけの社会を作ったと伝えられています。

アマゾン女族の原型は前7世紀からコーカサス、アナトリア、トラキア地方へ侵入し、前六世紀にはコーカサスから中央アジアを支配した遊牧スキタイ人で関連諸部族の発掘調査から騎乗の女性戦士が実在していたことが判明しています。

ギリシア人は前8世紀から前6世紀にかけて黒海沿岸に植民都市を建設して女性が騎乗して弓矢を使うスキタイ人と接触して、アマゾン女族の伝承が生まれたようです。女性がリーダーで決定権を持ち、男の軍隊と女の軍隊の両方があったようです。
アマゾン女族が生まれた男児を引き取らないのは、遊牧集団間での養子縁組のことで、民族間の友好の手段でした。障害を負わせて奴隷にする話は落馬による骨折が男子に多いことの誤解でギリシア人の誇張した脚色だったようです。

聖書の使徒行伝19章に「エフェソスの皆さん。エフェソスの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。」とあるようにエフェソスのアルテミス神殿のご神体はアマゾン女族が沼地で発見した黒い隕石でした。

ギリシャ神話のアルテミスは動物の多産と狩猟を司どる純潔の処女神と同時に気性の激しい男嫌いの女神で熊に変身して男たちを食い殺す残酷で恐ろしい狩人でもありました。

しかし、もともとのアルテミスはギリシャ以前のアナトリア古代地中海沿岸の先住民が信仰していた豊穣の大地母神でエフェソスはその中心地でした。男性原理が優位なギリシャの時代になると女神アルテミスはオリュンポス十二神の一柱に格下げされました。
ヨモギのラテン名はアルテミシアでアルテミスからきています。アルテミスは豊穣と多産、そして病気を治してくれる女神でした。

フレイザーの金枝篇によると古代地中海沿岸の豊穣と多産の大地母神の重要な儀礼に神婚儀礼がありました。結婚前の女性はある期間、豊穣の女神の神殿で見知らぬ異人と交わらねばなりませんでした。信者は女神を礼拝している限りは純潔とされ、勤めを終えるまで結婚することは許されませんでした。

 神殿の前は女性と客で人が溢れました。そこで支払われたお金は神殿に寄進されました。器量の良い女性はすぐに勤めを終えましたが、器量の悪い女性は3年も4年も待たされたといいます。神婚儀礼は大地の豊穣、穀物の再生と復活、女性の多産多殖の象徴だったのです。

キリスト教の時代になると、生と死を支配し万物を生み出す女神の力はすべてヤハウェのものとなり、母なる女神は悪魔の烙印を押されて暗黒世界の邪悪な存在とされました。

けれども、古代から受け継いできた熱心な「女神信仰」を一般民衆は簡単に捨てられませんでした。
エフェソスで431年にキリスト教の公会議が開催されました。そこで聖母マリアを「神の母」として信仰することが決められました。「女神信仰」を捨てられない一般民衆の女神への欲求はマリア信仰として表出しました。熱狂的な人々の前に教会は「マリア信仰」を無視することができなかったのです。

パウロに反対していたエフェソスの人々は200年の間に、キリスト教に改宗しました。聖書に名指しで批判されたアルテミス信仰は邪教とされ、古代世界最大のアルテミス神殿はキリスト教徒によって徹底的に破壊されました。
エフェソスの周りの森はアルテミス女神の聖なる土地だったので人間がむやみに森を切ってはならず動物たちが保護されていました。しかし、キリスト教の時代になると神々が住む聖なる森は悪魔の住む森となり、大切に保護されてきた森は急速に失われていきました。

エフェソスは地中海沿岸の船が集まる国際商業都市として栄えていました。森の崩壊はエフェソス崩壊の引き金になりました。森が失われた結果、表土が露出して、それが雨で流されて下流の港が埋まってしまいました。経済の中心だった港が何キロも後退してしまったのです。そして埋まった港は湿地になりマラリヤ蚊が大発生して、熱病が何回も大発生しました。こうして、二万五千人が収容できる円形劇場があったエフェソスは六世紀の中頃には廃墟になったのです。
2019/02/17

黒いマリア



ヨーロッパ各地で約450体の黒い聖母マリア像が存在してます。

ブルゴーニュの黒い聖母崇拝の中心地で生まれたクレアヴオーの聖ベルナール(1091〜1153)はシャティヨンにある黒い聖母の像の胸からこぼれ落ちた母乳を三滴飲む霊的体験を幼少時に受けたと伝えられています。

聖ベルナールはマグダラのマリアと同一視したベタニヤのマリアへの忠誠をテンンプル騎士団に規則としてあたえました。テンプル騎士団が崇拝したといわれるバフォメット(Baphomet)はソフィア(Sopia)を暗号化したものといわれています。黒は古代の知恵の象徴でした。

テンプル騎士団はコンポスティーラの巡礼地を保護しました。巡礼地に沿ってテンプル騎士団の支部と黒い聖母崇拝の教会が点在しています。フランスの出発点のヴェズレーはマグダラのマリアの崇拝が盛んな場所で黒い聖母の聖地ともなっています。黒い聖母はテンプル騎士団が崇拝しマグダラのマリアと古代の智慧と関係していました。

アルトエッティングは「バイエルンの(信仰の)心臓」と呼ばれ年間100万人の巡礼者が訪れるドイツで最も知られた巡礼地です。巡礼の目的は「黒い聖母」です。

中世パリのサンジェルマン教会には1514年まで黒いイシス像を聖母マリア像として飾られていました。シチリア島ではマリアの聖母子像のかわりにデメテルの母子像を奉る事が許されていました。母が子を抱くイシスやデメテルの像はマリアの聖母子像に似ていたのでキリスト布教初期には同一視されたのです。

ギリシア神話に登場するデーメーテールは地母神の神格を受け継いだ穀物をつかさどる豊穣女神です。ギリシア語のDeは三角形のdeltaのDeで「女陰を表す文字」でmeterは「母親」の意味です。デーメーテールの古い異名はメライナ(黒い者)で黒い衣服に身を包み頭に蛇がからみついた姿をしていました。デーメーテールの古い祭儀の場所は洞窟や、丸天井式地下納骨堂で入り口が三角形で通路が膣状で短く、丸天井になっていました。暗い洞窟も丸天井も女神の子宮を表しています。そこで死と再生の祭儀を行っていたのです。

フランスの巡礼地として古くから聖母マリア信仰が栄えたル ・ピュイ・アン・ヴレイの聖母も黒いマリアです。スイスのアインジーデルンのベネディクト会修道院、ヨーロッパのピレネー山脈東部、プロヴァンス地方の山間部の教会やブルターニュ地方ギャンガン、スペイン・カタルーニャ地方のモンセラートにも黒いマリア像が置かれています。それらはかつてケルト以前から続く古代の聖地だった所です。

黒い聖母崇拝は古代の地母神信仰の痕跡で常に癒しの水や川の合流点、火山など、大地のエネルギーと関係していました。穂麦のマリア、マリアの泉、ブナの聖母、満月に照らされている泉は若返りの力があるなどの聖母マリアの伝説はヨーロッパ中にあります。キリスト教以前の古代ヨーロッパの地母神信仰はマリア信仰に取って代わったのです。

古代母権社会の大地母神キュベレは、大きな黒い石の姿でローマのパラティン丘の神殿に据えられていました。大地母神の神殿はマリア信仰の中心「サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂」となりました。地母神を受け継ぐアルテミス神殿のご神体は黒い隕石でした。
北アフリカの紅海沿海地方トログロデュタイ人の女たちはとても念入りに黒化粧をしました。黒く化粧をするのは豊穣の大地を表し、昼を生み出す夜の闇と結びついていました。エジプトのイシス、フリギアの大地母神キュベレとその神格を受け継いだアルテミスも肌が黒く塗られていました。アルテミスは月の女神ディアナでもありました。

闇に落ちた人間の罪を救うのは闇夜に輝く月の女神でした。中世の男性社会の罪から救う力があったのは古代の地母神信仰を受け継いだ黒いマリアだったのです。
2019/02/17

聖母マリアのお告げ

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1854年、教皇ピウス9世によって聖母マリアは無原罪の状態で受胎し、処女を守ったままイエスを出産したという「聖母無原罪のお宿り」信仰を公認しました。

それ以降、おびただしい数の「聖母出現」の奇跡が頻発しました。19世紀のマリア出現はルルドの奇蹟をはじめ20回以上に及びます。その出現は20世紀に入っても衰えず、カトリックではマリアの時代とよんでいます。

以前から聖母マリアは、悪魔を打ち破り、あらゆる災いから人々を救済し、信者を天国に導いてくれる女神として、熱烈に崇拝されていました。

ポーランド最大の巡礼地ヤスナ・グラ修道院の「チェンストホヴァの黒い聖母像」は毎年1千万人を超えるカトリック信者が、世界各地から訪れます。ポーランドは東欧圏で最初に法皇となったヨハネ=パウロ二世の祖国でした。

1981年5月13日ヨハネ=パウロ二世はバチカンのサン・ピエトロ広場にて、トルコ人マフィアのメフメト・アリ・アジャから銃撃され重傷を追いましたが奇跡的に弾丸はわずかに心臓をそれました。この日はロシア革命のすぐ後にファティマに聖母が現れた記念日でした。法皇は弾丸で穴が空いた布を「チェンストホヴァの聖母」に捧げました。

ヨハネ=パウロ二世は説教でマリアを熱心に賞賛しました。共産主義が現れたのも、第二次世界大戦も法皇の母国ポーランドの共産圏が崩壊したのも法皇にはすべて聖母マリアの思し召しと映ったのでしょう。

ロシア最後の皇后アレクサンドラはプロテスタントからロシア正教に改宗して「この地の哀れな民度の低い未開のロシアの人々を救うために神の聖母はかならず立ち上がってくださいます」と手紙に書いています。それからロシア革命が起きて多数の聖堂や修道院が閉鎖され、52人の主教のうち40人が銃殺されて信徒多数のほか皇后アレクサンドラ一家全員も処刑されて財産は没収されてしまいました。

聖母が立ち上がるように祈っても必ずしも命が助かるとは限らないようです。

終末の世に太陽を身にまとった聖母マリアが現れることがヨハネの黙示録に書かれています。「また、大いなるしるしが天に現れた。一人の女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた」 (ヨハネの黙示録12章1)。

この黙示録から「勝利のマリア」と呼ばれるマリア像が作られました。マリアに抱かれた幼子のキリストは槍でドラゴンを突いています。マリアが踏む月は征服されたアルテミスなど月の女神を象徴しています。ドラゴンはキリスト教にしたがわない異教徒でした。

ちなみに1941年12月8日に日本軍がハワイの真珠湾攻撃をしたその日は聖母マリアの無原罪の姿りの祝日でした。終戦の引き金となった長崎の原爆は聖母マリアのために献げられた浦上天主堂の真上に投下されました。そして戦争が集結した、1945年8月15日は聖母マリア被昇天の大祝日で、戦争状態を終結させるためのサンフランシスコ講和条約が行われた1951年9月8日は聖母マリアの誕生日でいずれも聖母マリアの記念日でした。

20世紀から21世紀に変わる世紀末はおびただしいほどの聖母のお告げがありました。
肉体を持たない知的存在とコミニュケーションを行なうことを精神世界ではチャネリングとびます。

聖書はそのチャネリングの宝庫です。 (マタイ伝10-20)「語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。」 (ルカ伝8-23) イエスは彼らに言われた、「あなたがたは下から出た者だが、わたしは上からきた者である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。 (ヨハネ伝 3-34) 神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。(ヨハネ伝 10-38)そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」

自分はキリストであると宣言すれば医者は幻聴や幻覚として精神病の範疇に入れてしまいます。
キリストだと信じている精神病患者が複数入院している患者は自分だけがキリストで、他人をキリストと認めません。
自我は自分が特別だということを求めます。自己を否定されて傷ついた人はひとかどの人物としてまわりから認めてもらいたい評価欲求をもっています。終末論的な世界観は精神病患者の妄想にもあらわれるので、精神科の先生にかかると、声が聞こえた人はすべてパラノイアか統合失調症にされてしまうでしょう。

原始キリスト教の時代はカリスマ性のあるチャネラーが沢山いて一派をなし教会を起こしていました。それぞれ勝手にイエスのメッセージを受け取り、自分が本物でお互いに相手を偽物だと非難していました。そこでチャネリングの真偽を識別する必要がでてきたのです。

(ヨハネ第一の手紙4-1~3)愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。 」
教会の教義に逆らうものは反キリスト、つまりサタンの手先として排除されました。聖母マリアは公認されていたので聖母マリアのお告げといえばよかったのです。

20世紀から21世紀に変わる世紀末はおびただしいほどの聖母のお告げがありました。その予言はだいたい「世の終わりは近い、悔い改めよ」で聖書の内容とほぼかわりありません。

涙を流しながら世界中に表れた聖母はこう告げています。
オリヴェト・シトラ(イタリア)「世界は奈落の淵にあります。祈りなさい、特に大きな国の為政者のために祈りなさい。なぜなら、彼らは、戦争を計画し、暴力を拡大することに忙しくて、祈る時間がないからです」(1985年11月2日)
ダマス(シリア)「私の子供たちよ、神のことを思い出しなさい。神は私たちと共におられます。あなたがたは全てを知っていますが、同時に何も知っていません。あなたがたの知識は不完全なのです。神が私を御存知のように、あなたがたが全てのことをよく分かる日がくるでしょう。あなたがたに悪を行なう人々を大切に扱いなさい、そして誰に対しても冷たい扱いをしてはなりません」(1982年12月18日)

私の中の聖母マリア(ソフィア)はこう告げています。
私たちの知覚は思考によって制限されています。
言葉で作り上げた概念で世界を理解しています。
心の中に浮かび上がる考えを真実と思い込んでいます。
世界から切り離されているという間違った思い込みで生きています。
本来の姿から遠く離れた状態で過ごしています。
あるがままの神の世界を分離して見ているのです。
思考に同化することをしないでいると
頭で考えていた自分は存在しないということがわかります。
そのとき、他人の自我も自分の自我も受けいれることができます。
自分がいないということは同時に自分はすべてだということです。
他者を非難したり嫌悪している自分はいません。
絶え間なく浮かんでは消える流れがあるだけで
思考する私はどこにもいません。
すべては神であり、愛であり、虚空であり、全体なのです。